夢見る汗牛充棟
DiaryINDEXpastwill


2000年01月14日(金) ココロノカケラ

『ココロノカケラ』
なんだか、今日はとてもくたびれているのだ。

力が体からどろとろと流れ出てゆくような気分。

昨夜は、恋人なのか、友人なのかはっきりしない奴が
遊びに来ていた。家で、ご飯を食べて、日付が変わるまで一緒だった。
そして、私達はお互いが、お互いにとってどういう存在なのか、という事で
口論をやらかした。
きっかけは、ほんの些細なことだった筈だけど。
そして、そいつは電車のない時間にそのまま帰って行った。
公衆電話から電話がきた。私は、受話器を取った。会話は一言二言。
言葉といえば、間違いだらけだった。

ガチャン。

耳障りな受話器を叩きつける音だけが耳に残った。

翌朝まで、自己嫌悪が押し寄せてきて私は、くさっていた。

寝不足も加わって、ただでさえやる気が出ないまま、それでもちゃんと
出かけた午前中のバイトをどうにか終了し、私はこの先どうしようかと思案していた。
仕事場は、駅ビルの最上階に入っている中華料理店。
だから、そのまま駅の出入り口の柱の陰によっかかって、悩んでいるのだ。

疲れているけれど、部屋に帰るのは嫌だった。
どうせ、一人暮らしだし。
しかも、都会サイズ、6畳のワンルームときている。
誰もいないところに帰って、固い床に寝転んでみても、ますます
暗い気分に陥って、もはや再起不能になるのは目に見えている。
意味もなくそこいらへんをぶらぶらしていたほうがましってものだ。
どっちにしても、一人で過ごすのなら喧騒の中が好きだ。
雑踏は、嫌いじゃなくて、自分に無関心なたくさんの人間の存在は
心を落ち着かせてくれる。
あ、でも、満員電車は嫌い。…わがままをいうと、パーソナルスペースを
きちんと確保できた上で、無意味に雑多な人々が集っている場所が好きなのだ。

ほとんど心の赴くままに、迷子になりそうな勢いで私は歩いた。
もしかしたら、迷子になりたかったのかもしれない。
歩きながら都会は緑が多いと感じる。
でも、それは本当に多いというわけじゃなくて、多分田舎の木々はごく自然に
生えていて、わたしは緑よなぞと叫ばないのだ。
ここいらの木々は、わずかな空間を見つけては最大限に生やされている。
安らぎが欲しいように。乾ききるのを恐れるように。
灰色と濃緑のコントラストがくっきりと浮かび上がるから、たくさんあるように
感じるだけじゃないだろうか。それって、何か騙されている。

そんな事をとりとめもなく考えながら、ふと気づくと公園に辿り着いていた。
名前は知らないけれど、街の公園らしく隙なく整えられている。
風景のなかで多少のだらしなさは、全て訪れた人間がもたらしたものだ。
平日だけれど、人は多い。
平日の昼間に暇な人々は、忙しく働いている人々と同じくらいの数いるのだろうし。
(大体、私もそうなのだ)
そして、人の数に負けないくらい犬もいる。
一般的な公園の風景だ。

いいかげんにくたびれたので、そこらへんの芝生に入って座り込む。
草の上に座るのは、かなり久しぶりの事だと気がついた。
他人のことなど誰もが無頓着なのをいい事に寝転がる。
前方に広がる色は薄灰青色でいかにも都会らしい空だ。
晴れだからそれなりに気分は良かった。

人のざわめき、笑い声、犬の鳴き声、風の音、遠くのクラクション、救急車の音…。
そんな音が身体を通り抜けていき、そのうちに少し瞼が重たくなった。



「ねぇ、ねぇ」

声を掛けられて、私は目を覚ました。

「不用心じゃない?こんなところで、一人で居眠りしてちゃ、駄目だよ」

「え?…あ、…ええ」

目を開けてみれば辺りは少し薄暗くなっている。驚いて私は身体を起こした。

「ま、わかるけど。今日は、うん。いい天気だ。うん。ああ、俺怪しくないよ?俺はテツ。よろしく」

テツは一気にそう言うと、私の傍らにとまって器用に片目を瞑って見せた。なんだか、夢の続きみたいだった。

「…よろしく。私、あきら」

名乗られた以上、なんとなく私も名乗った。まるで警戒心はわいてこない。
私は一体何を平然と会話しているんだろう?まだ寝ぼけているのだとしか思えない。
私の困惑など知らぬ気にテツは小首を傾げて訊いた。

「で、あきら、帰らないの?」

「え、ううん。帰るよ、帰る。ちょっと、休むつもりで何でか寝ちゃっただけだし…。あんたこそ帰んないの?じき夜でしょう?」

「くふん。俺、やる事あって来てるの。これから」

テツはきらっと目を光らせて言った。

「ここで?何を?」

私は聞き返した。テツは得意そうにくふふふと笑い声を上げた。

「それは、だねぇ」

「それは?」

「そだ、あきら、立ってみて」

何の関係があるんだ、と私は思った。「…何で?」

「そしたら、説明が、簡単」

「…?……?」

首を傾げながらも好奇心から、私は立ち上がった。
無意識に、パンパンと身体についていた枯草を手で払い落とす。
テツはそんな私をじっと凝視している。

コロン…。

枯草と一緒に何かが払い落とされた。
ガラス玉か石ころのようなもの。もちろん私は気にしない。けれど、

「あった!…これ、これ」

テツは嬉しそうに弾んだ声をあげると、その何かを咥えた。

「ほうら、ね」

手を差し出すと、テツは手のひらの上に落っことしてくれた。それは小さな薄紫の玉だった。少し歪んだ形をしていて、でもきれいな宝石みたいだ。

「俺、これ、探してんの」

「ええと、…ってことは、あんたの捜し物を私は、お尻の下に敷いて居眠りしちゃっていた訳なのね?」

いたたまれない気分でテツを見ると、テツは、ちがうちがうと目を丸くして首を横に振った。

「こういうのが、探すといっぱい落ちてるの。俺、それを集めるの。ちなみに、これが誰のかっていうなら、これは、あきらの」

「私の?」

さっぱり、わからない。「私、そんなの持ってなかったけど…。」

「でも、そうなの。あきらが知らないだけ」

「…そもそも、何?それ」

「ココロノカケラ」

「…?」

「これのこと、ココロノカケラって俺は呼んでる。えとね、あんま難しいことわかんないよ?これは、サキシロのじいさんの受け売り。ひとがいっぱい暮らしているでしょ。いろんな気持ちで、泣いたり、怒ったり、辛かったり、憎かったりする。あと、幸せ、嬉しさ、愛しさ、慈しみ…数え切れないたくさんの思いが毎日毎日生まれてるの。昨日も、明日も、明後日もね。どんどん増えていく。で、それをみんな蓄えて、抱えながら暮らしてる。でも、それって重たくなるばっかりだから、時々無意識にこぼれたり、捨てられたりするの。それが、こういうカタチになるんだって。きれいでしょ?…じいさんは、オモイダマって呼んでたな…」

「…想い玉…?」

「うん、そう。特にこういう公園とかは、なんかほっとする場所だから、気を抜いて無意識のうちにいらないオモイを捨て易いのだって。」

「…いらない想い?」

「うん、ずっとひきずってると疲れるとか、そういう理由で、外に出すの」

私は、あらためて、手のひらの上の紫の玉を(ココロノカケラというらしいけど)しげしげと観察した。近くで見ると薄紫だけじゃなく。少しマーブル模様で別の色も混じって複雑に光っている。

「これが、想い、ねぇ…」

「ね、ね。あきらは、今日、どんな気分だったの?」

「気分って…。」


思い返してみて、そういえば私は落ち込んでいたんだっけ。
(変な出来事に遭遇したせいなのか、そんな気分は既に吹き飛んでいたけど)


「うーん、自己嫌悪とか、やり場のない怒りとか、あとちょっといじけてた。」

「じゃあ、それがきっとそうだね」「これが?自己嫌悪の塊?きれいすぎると思うけど」

「だって、ココロから、なんの飾りつけもしないで、出てくるものだから、きれいなの当たり前だよ。怒りでも、たとえ憎しみでも、一つとして同じ色じゃなくて、それなりのきれいさがあるの。だから、俺、そういうの集めるの好き」

「それ、本当だったらちょっと、悪趣味なコレクションだと思う。」

「そう?でも、こんな、きれいなのが、土にまみれて、踏まれて、力づくで砕かれて散るほうが、かなしいと思うしなぁ。」

テツは考え込みながら言った。

「だから、ついつい拾ってまわっちゃうの。集めて、大事にしまっておくの。…そうするとね、ある日、ふわって空気に溶けて消えるんだよ。そうするとね、その『ココロノカケラ』はちゃんとどこかに帰ったんだと思うの。その瞬間に、俺とかちょっとだけ気分がいいの」

「そっか」

私は、手のひらの玉をテツに差し出した。

「はい」

「あきらが持っててもいいんだよ」

「う〜ん。いいや。いらない。…捨てたってことだけ覚えておくから、テツが預かっていてよ」

「うん」

テツが笑って請合った。私は、満足して伸びをした。

「もう、帰る?」

「うん。もう帰る」

公園の灯が砂利の道を照らしている。その中に無数の小さな星が光っているのがわかる。

多分その数だけ、いろんな人々の様々な想いってやつが、こぼれ落ちたんだろう。
そんな童話みたいなお話を、今日は信じてみてもいいやと思った。

「今日も、大漁だといいね。テツ。じゃあね。」

「ありがと。あきらもね。ばいばい。」

私たちは手を振って、別れた。私は振り返らなかった。もちろん、テツは瞳を輝かせて楽しそうに皆が捨てていった宝物を拾い集めているんだろう。

こうして、私の変てこな一日は幕を閉じた。





そんなこんなで、私は毎日いつもどおり生活している。時々、公園に行ってみることもあったけど、テツに会えることはなかった。

あれは特別の日だったのだ。

その内、バイトをやめたので、その公園に行く事も今はない。不思議な感動も時間とともに曖昧になるけれど、一つだけ習慣がついた。

立ち上がる時や、誰かが身体についた埃を払う時、そこからそっとこぼれ落ちて光るココロノカケラがないかどうかと探してしまう。



恵 |MAIL