★悠悠自適な日記☆
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2005年09月12日(月) 創るときがきた。

 最近、心が動かないのです。芝居を観ても、ダンスを観ても感動しない私がそこにいます。

 高校生の頃から月2回のペースで劇場に足を運びます。作品を観る目は向上しているかもしれませんが、肝心の作品の質が上がりません。むしろ昔の方が学生ご招待券などで良い作品が観れていたので観劇の質は下がっているのかもしれません。

 しかし劇団の規模だとか、著名なダンサーだとか劇作家だとか、そんなことを基準にしている訳ではなく、小さな劇団のかすかな感動を期待して劇場に足を運ぶのです。だけどそれすらも私は享受できないでいるのです。作品に心が動かないから、そうなってしまうと劇場にいる時間を作品の批評と分析に費やすばかりになり、評論家でもないのに頭の中を分析結果が駆け巡り、浮かない顔をして家に帰ってくることになるのです。その作品が劇場を後にした私の人生に何の影響も与えないのです。

 それでも私は微かな感動を夢見て懲りずに劇場に通うのです。それが1年に一度、いや、人生に数える程しか訪れない感動でも、それが舞い降りた時の背中の震えは、何に変えることも出来ずに私の記憶に刻み込まれるのでしょう。

 だけどそんながっかりした様子で劇場を後にしながらも私が私を少し好きでいられるのは、そこで芝居やダンスを観ることを止めようと思わないところにあります。もし、それがつまらないもので、自分自身に何も影響を与えないものであったなら、逆に自分が欲しているものは自分で作り出すことはできないだろうかと発想を変えることができるのです。

 私があんなにも裏切られた気持ちになりながらも劇場に通うことを止めないのは、私自身が背中もも足も唇も震えてしまうような作品を作ってみたいと願っているからなのかもしれません。

 そういうことが分かってくると、自然と次に自分のやりたいことが見えてきます。創るときが来たのです。

 重い腰を上げて、私は動き始めます。

 次に作品を発表するときは、私自身をもっと浮き彫りにしていることでしょう。人の力に頼って心を動かせなくなった私には、自分の力で動かしていくときがやってきたのです。

 いつまでも待ってはいられない。時間は私を待ってくれない。

 そのとき、今日よりもひとつ、私が明確になることでしょう。


嶋子 |MAILHomePage

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