★悠悠自適な日記☆
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2005年09月08日(木) そこにはなにもないのに

 現代社会におけるひとつの小さなコミュニティ。それは社会の小さな縮図であるのかもしれない。

 それは女の子。女の子のグループ。仲良しグループ。いつも群れてるグループ。いつも隣の席に座りあうグループ。トイレ一緒に行くグループ。お昼ごはん一緒に食べるグループ。野外活動もグループでないと行動できないグループ。

 でも我慢してるグループ。群れてるだけのグループ。隣に座りながらトイレでだべりながらごはん食べながら野外活動しながら、我慢してるグループ。だけど人はそんなに長く我慢できないから、その子がいなくなった時にわーっと悪口言いまくるグループ。やがて陰口で飽和してしまうグループ。

 きっと、言うべきところで自分の意見や考えが言えないから陰口になるんだろうな。そうやって育ってきてしまったんだな。でしゃばるんじゃない、黙っておけば自分は悪者にされなくて済むんだから。そういう日本社会の影響をモロに受けてしまったんだな。あーあ。

 それは思春期の微妙で曖昧な時期によく見られる光景で、私もそうだった。だけどこういうのは自然となくなってしまうものではないか。人と我慢せず仲良くできる方法を見つけられるようになる。我慢するより楽をする方法を見つけられるようになる。大人になるにつれて世界が広がると、自分の身の置き場を選ぶ範囲が広くなる。自分に合った場所を選べばいい。

 ここは大学。もはや学校だけの生活ではないはず。グループに頼らないと生きていけないような狭い世界ではないはず。それなのに、彼女達はいつまでしがみついているのだろう。ふへっ。

 ちゃんと自分の意見は相手に伝えて、その場で解決したらいい。それで受け入れられずに苦しくなったら一度孤独になってみればいい。そうすれば、意外と見つけられるかもしれないのに。

 今思えば、私は孤独を選んだときに本当の友達に出会えたと思う。

 一人一人は悪い子じゃないのを知ってる。仲良くしたいとも思う。だけどそうやっていつまでも自分の意見が言えずに、グループで群れている子を見ていると、正直、退いてしまう。あぁ、私のことも悪口言われてるんだろうなーって思ってしまう。見えないグループの壁に近寄りがたい。

 今、そこには何もないんだよ。

 私はそうやって彼女達を見ている。

 小さな社会の縮図。大きな社会の現状。


嶋子 |MAILHomePage

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