★悠悠自適な日記☆
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2005年08月24日(水) さら砂

 今日は相方さんと、某先輩K5さん(某の意味ないやん!)と、突然大学側の公園で舞踊の深夜稽古を行うことになりました。K5さんは次の舞踊の公演に出演するにも関わらず、社員級の仕事を任されているバイトが忙しく、ついでに腰を痛めていたこともあって、稽古が大幅に遅れているからです。その穴を少しでも埋めるために、相方さんが稽古をつけることになったのです。公園で公演の稽古(笑)。後からわらわらさんも参戦。

 私は稽古着を持っておらず、Gパンでは足も思うように開かないのでちょこっと動いては一人で遊んでいるだけだったのですが、夜の公園を裸足で戯れているとなんだか嬉しくてワクワクしてしまいました。

 中学の時、国語の先生がこんなことを言っていたのを思い出します。

 人間は、大人になるにつれて自分の手や足が汚れることを嫌い、避けるようになるらしい。だから大人は砂場で遊ばないし、手に絵の具をつけてベチャベチャにすることもない。子供が泥んこになって帰ってくると「汚い」「ばっちい」と叱る。そう言われて育った子供もやっぱり大人になると汚れることを嫌うようになるのだ。

 大人になると、ただ、手や足に土がついていることが、絵の具が付いていることが「汚い」と認識されるようになってしまうのです。それはただの砂なのに、それはただの絵の具なのに。ただの砂が、ただの絵の具が、手の平に、足の裏にひっついているだけなのに。

 ものを、そのままの姿として、捉えられなくなるということ。

 私は時々こんな恐怖に襲われるのです。大人になるにつれて忘れていく感覚。大人の実を齧ると、子供の心を失う、その恐怖。嫌でも先入観がまとわり付くうっとおしさ。昔あんなにも大人が勝手に決め付けることに、色眼鏡でものを見ること嫌悪感を抱いていたのに、その私が大人になり、まっさらなこころでものを見れなくなる。大人になるにつれて、昔あこがれたさらさらのさら砂が、汚い水に見えてしまいます。。。

 ああ、忘れそう、忘れたくない、どうか、忘れないで…。
 
 さらさらさらさらさらさらさらさらさらさらさらさら…。

 ちょっとためらいながら裸足になり、地面に足を投げ出します。だけど砂の上で戯れている私は、全然汚いと思わず、むしろ少しひんやりしたこの砂が、ところどころ落ちている小石を踏んづけてちくちくする感じが、たまらなく心地よく、気持ちいいのです。ガバっと砂を掴んで、握り締めて、手を開いて、砂が落ちて、手に残った砂を見つめながら私は思いました。

 まだ、大丈夫。

 空には半月さんが頬を赤らめて微笑んでいました。(自称メルヘン少女!)

 やらなきゃならないことがあって、余裕を持とうと急いで終わらせると、時間に余裕ができるかなと思いきや、その空いた時間には新たな仕事が舞い込んできて、それをまた終わらせて、その繰り返し。

 不条理な理由で怒られて悲しくなったり、不誠実な人に混乱したり、よかれと思ってやったことや、先を読んでやったことが逆に失敗して迷惑をかけたり、大人でいることは、まるで終わらない迷路をいつまでもぐるぐると彷徨っているだけなのか…と、やりきれない絶望感に最近ずっと頭を悩ませていました。

 でも、砂のちくちくを踏みしめながら、まだ私は大丈夫だ。自分の心持ちを変えていけると、そう思ったのです。(脳が刺激されてるのかしら?)

 また、夜の公園に自主稽古(遊び)に来たいなと思いました。

 今日一緒にいたメンバーは皆あたたかい人ばかりで、それもきっと私をいい方向に導いてくれたんじゃないかと思います。感謝感謝。




嶋子 |MAILHomePage

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