★悠悠自適な日記☆
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私は飢えている。何もない時間を餌にして食べているはずなのに、私はどんどん空腹になる。喉はカラカラだ。
でもこれはきっと自分の中から何かが生まれる前兆なのだ。私が求めているものは、この空腹感が積もり積もってやっとカタチを表すのだ。それは身体と心が知っている。だから今は、この空腹感を身の回りにある陳腐なもので満たさないように、じっと耐えてみよう。この飢餓感が限界に来た時に見えたものこそ、私が本当に食べたいものなのだろう。
モノは、こういった飢餓感から生まれてくるのだと私は考える。
私を取り巻く世界を、私は笑いながら、だけど心では空腹で飢えまくった眼でじっと睨むように見ている。そのひとつに、大学。私の学科は、モノを生み出す人間の養成を目的として作られた場所だ。演劇と、コンテンポラリーダンスを主に勉強する。だけどその気になればこれ以外のこともたくさんできる場所だ。
自分の中に何らかの飢餓感や空腹感を抱いているからこそ、こんな場所にやってきたのではないか。少なくとも私はそうだった。演劇やダンスをやってきた経験の有無もどうでもいい。それよりもここには飢えた眼をした人間が集まってきているものだと思っていた。貪欲に何かをむさぼり、生み出そうとする、そういう空腹感に喜び、苦しむ人間が集まるのだと思っていた。
大学には先生がいる。授業の実習では、先生が私達に発言の機会を与えてくれる。先生が私達に踊る機会を与えてくれる。その時間にどうして食らいつかない!どうして下を向いてうつむく?どうして簡単に遅刻する!?稽古を休む!?しゃべろうよ!踊ろうよ!楽しもうよ!みんなのそういう自主性にイマイチ欠ける態度がますます表現しずらい環境を作ってしまう。
ああ…この子達には飢えがないんだな…と、思う。今の生活で、今の自分に満足してるんだな…と、思う。
別に演劇とかダンスやりたくないならやらなくていいと思う。自分は確実に飢えていて、それを他のことに向けたいなら、そうするのがいいと思う。ただ、今ここには、演劇をやりたいと、ダンスをやりたいと、飢えた人間が集まってきているわけで、これはもう、そういう集団なわけで、そういう集団の和を乱すようなことはしてほしくないと思うのだ。
こんなときこそ自由を主張する人がいる。「私がどんな授業を取ろうが、どんな気持ちを持って授業を受けようが、みんなに迷惑かけてないし、私の自由だ」と。確かに本質はそうかもしれない。集団の中に一度入れば、自由が自由でなくなる場合もある。自由をバカのひとつ覚えみたいに擁護して、振りかざしていい気になっている人、いい人ぶっている人、一度グーで殴って食い潰してやろうか。私達は飢えていて、何かを生み出そうと必死だから、そんな集団の意志を読み取れない人間は大迷惑なのだ。
私は飢餓に苦しむ人間とだけ作品を作りたい。
ここには、親に高い学費を払ってもらって、下宿させてもらって、その上お小遣いをもらって、家に帰ればおいしいご飯が用意されていて、洗濯されていて、優しい両親に温かく迎えてもらえる…そんな人間はいっぱいいる。それはとても素晴らしいことで、感謝すべきことで、けれどもそこで満足して終われば、それは「満腹な人」なのだ。そこから何も生まれない。それでも且つ飢えを感じる人、その飢えをもっともっと追求していける人こそ「モノを作る人」ではないか。誰が何と言おうと、私はこの定義を曲げない。
「やりがいがある」…とか、私は言わない。私はいつからか、いくら芝居をやっても、書いても、作っても、「やりがいがある…」なんて感じることがなくなった。作るのは楽しいけど、その分疲労感や精神的苦痛も大きくて、「やりがい」を感じる余裕がない。やってもやっても私の空腹感は積もって、何かを掘り起こすかのように次の作品へと向かっていくのだ。その作品だけで満足できるのなら学園祭の屋台で十分だ。そんなのじゃないんだ!もっと切迫しているんだ!私は!
私は幸い、自分のやりたいことがだんだんと明確になってきている。そのために、学びたいと思ったことは今学ぼうと思うのだ。そう思うと、自分が本当に学びたい授業は、とてもじゃないけど休めない。今日はしんどいから〜。他にやることあるから〜なんて言えない。だって自ら意志して学びたいんだもの。それに、自分が本当に学びたい場では、そこに集まってきた人たちとも上手く調和したい。だってそこは集団だから。そう思うと、そこにいる人たちを裏切るような行為、不快感を与える行為なんてできない。そう思えば遅刻もできないし休むこともできない。本当は当たり前なんだけどなあ。きっと大学で、やりたくなくても「単位取らないと」があるから、難しいんだろうな。
私はお腹が空いている。喉が渇いている。
満腹で、ツヤツヤした顔の人間を見ると、食い潰してやろうかという狂気に襲われる。 ここには何でも揃っている。何でもできるようになっている。何でも試してみることができる。だけど何でもできる分陳腐なもので満腹になる癖をつけてはいけない。
そう言い聞かせて、私は戦いに挑んでいく。
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