★悠悠自適な日記☆
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いつだったか、この日記で「何故、演劇なのか」ということを聞かれて困った…という内容の話を書きました。(2003年10月24日「君はどうして演劇をするんだ」参照)演劇の何が面白いのか、それがわからなくて私はずっと悩んでいたのです。
私は芝居を観れば観る程、芝居をやればやる程(といってもそんなにやってないのだけれども)「演技をする」ことに興味が持てなくなってきています。最初はそれに強く憧れてこの世界に足を踏み入れたハズなのに、今「演技力」とか「感情移入」がどーのこーのと言われると、背中がムズムズします。確かにそれらは技術として大切なことで、面白いことで、その追求は飽きることはないのですが、「演技力」なんて、いくら鍛えてもあくまでも舞台に立って表現するための容器にしかならないのです。決して中身にはなりません。だからそこだけに固執するのは非常に馬鹿らしいなと。最近はそういう風に思えてきたのです。
逆に「演技をすること」と反比例するように興味を持つようになったのは人間そのもの。今私は人間の追及が面白くて、そして怖くてたまらないです。ぼんやりと見ているだけでは見えないもの、ふと目を逸らした時に見えるもの。時にその対象は自分でもあって、思いもよらない自分の姿に驚いたり傷ついたりもする…。
群集と他者と私。他人の心も自分の心も完全理解なんて不可能です。だけどギリギリのところまで近寄って行くことは可能で、そのギリギリ加減さと、そこで何かを見つけた時は、背筋が走るような感動があります。演劇の中心になるのは演技力うんぬんよりむしろこっちだと思うのです。だから「私は演じることが好きなの!!」なんて力を込めて叫んじゃってる子を見ると、「あらあら…。」なんて冷ややかな目で見てしまったり…。いや、本当は他人なんてどうでもいいんだけどね。
基準は私が感じたことを私が私という媒体を使って表現するということのみ。ジャンルは定めません。私が何をどう表現したいか。それだけです。それを他人がつまらないと言うならば、クリエーターとしての私はその程度のものということです。それでいいと思います。
私は音楽も美術も好きです。人間の追及を表現できるなら別に何だって良かったのです。たまたま演劇が一番肌に馴染んだというだけです。チョコレートの何味が好き?私はストロベリーが好き。だからストロベリーチョコレートを買った。これと同じです。
「演技」は入れ物で中身は「人間」。これが麻薬のように私に作用するのです。だから私は演劇をする…。
4年前私に問いかけたI先輩と、私の演劇に対するビジョンが曖昧だと指摘した同学科のK君へ。これが今の私が持っている考えだわ。
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