★悠悠自適な日記☆
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2004年03月01日(月) それは優しさ?

 私の知り合いに、こんな男の子がいます。 

 彼は雨が降ると、すすんで道路側の歩道にまわり、一緒に帰っている後輩の女の子が車がはねた水がかからないようにして歩きます。

 彼は傘を忘れてきた子がいると、その子に自分の傘を貸し、自分は濡れて駅まで歩いて行きます。

 彼は駅に着くと、そこにいた後輩の女の子全員に制服のブレザーを脱げと命じ、鞄のポケットからハンカチを取り出しなさって、濡れたブレザーを一人ずつご丁寧に拭いて差し上げます。

 彼は普段からそれらを自然にやってのけます。そして周囲の者も彼のことを「優しい人だ」と褒め讃えます。

 それなのに、私は彼のその行動を見た時、まず第一に「気持ち悪い」と思ってしまいました。彼のことを偽善者だと言いたいのではありません。だけど私には彼の行動を「優しさ」だと思って素直に受け入れることはどうしてもできなかったのです。

 私はその理由をずっと考えていました。彼の行動に嫌悪感を抱くのは、自分に彼ほどの優しさを兼ね備えていないから嫉妬しているのだとか、ただ単に素直じゃないからだとか、自分の心が狭いからだとかいろいろ…。だけどそうではない気がしました。だって、やっぱり私も友達が雨に濡れて風邪を引いたりするのは嫌だなと思うからです。

 ならば自分はどうするでしょうか。彼のように道路側の歩道を歩いたり、自分が濡れてまで傘を貸したり服を拭いてあげたりするでしょうか?答えは「ノー」です。絶対にやりません。私なら友達に「濡れるからもっと道路から離れて歩きや〜!」って注意を促したり、傘がない子とは一緒に差して帰るし、服が濡れていたらハンカチを貸してあげます。(もしくは友達の背中を拭いてあげて、自分も拭いてもらいます。)

 私と彼の間で決定的に違うことは、自分が犠牲になるかならないかの違いです。彼は自分が犠牲になることで彼女達を守り、それを良いこととみなしています。しかし私からしてみれば、彼の行動には配慮が足りません。誰も犠牲にならない方法があるのに何故それを考えないのでしょうか?彼が犠牲になることで守られた女の子達の気持ちを何故考えないのでしょうか?私が彼に守られた立場なら、なんだか自分のせいで彼が負担を背負ったことに戸惑いを感じてしまいます。

 それは大袈裟に例えると、どうしようもない火事の中に一人で飛び込んでいってしまう消防士と似ています。その消防士は中にいる人を助けたい一心で、その気持ちに嘘偽りはないけれど、自分が助からなかった時のことを考えていません。残された遺族の気持ちを考えていません。そのイマイチ配慮が足りない判断に、私は不快感を覚えたのだと思います。

 皆は彼のことを「優しい」と呼びますが、そう呼ぶ周囲の人々にも異議あり!私から言わせてみれば、彼の行動は「優しさ」ではなく「親切」であり、「サービス」であり、そして「哀れ」です。目先の親切は優しさとイコール関係になるのでしょうか?私は違うと思います。

 優しさってなんでしょうか…?相手を思いやることが優しさならば、今回の彼の行動はやっぱり優しいとは言えないかな、と私は思うのです。

 去年の11月頃から考えていた私なりの答えを、とりあえず今出してみました。


嶋子 |MAILHomePage

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