★悠悠自適な日記☆
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フェミニズム【feminism】 女性の社会的・政治的・法律的・性的な自己決定権を主張し、男性支配的な文明と社会を批判し組替えようとする思想・運動。女性解放思想。女権拡張論。
学問的な知識は全くありませんが、とりあえず広辞苑にはこう書いてあります。
私の両親は「女の子なんだから…」という言葉が大好きです。ことあるごとにこの言葉を私に投げつけます。「女の子のくせに料理もできないのか」「女の子なんだから服くらいきっちり畳め」「女の子なんだから飲んだコップくらいは洗っておけ」…etc。「女の子なんだから」余計な副詞節です。
私が女として生まれた時、姑が母に言った第一声はなんだったのでしょうか。
「次は絶対に男の子よ。」
その話を聞いて以来、私は祖母のことを「おばあちゃん」と呼ばなくなりました。
我が家にはこういう空気が伝統的に根付いています。
父は長男で、家の跡取りとして大切に大切に育てられました。反対に母は、考え方の古い父の第二子という立場で、更に女であったために、昔から欲しいもの、やりたいことは全て我慢させられて育ったのだと言います。そして母は、時代のせいか、ただ単に素直な性格だったせいか、それを当然のこととして受け入れてきたとそうです。
そんな母が、長男の嫁として我が家に嫁いできました。ピアノ以外の習い事を一切やらせてもらえなかった母は、お茶もお花もできない無作法な嫁として、姑と小姑にさんざんやりこめられることになります。
母は相当悔しかったのでしょう。子供の世話から解放された今、茶道も華道もたしなみ程度ではありますが頑張って身につけようとしています。
女だから、母はやりたいことを我慢し、女として身につけているべき(だと歴史が作り上げた)作法を当然のことと受け入れてきたのです。
さて、そんな境遇の中で生きてきた母だからこそ、今度は私にこんなことを吹聴します。
「夫が家に帰った時、妻が家にいる方が家庭は上手くいく」 「妻が夫においしい料理を作ってあげられることが夫婦円満の秘訣だ」 「女は子供を産んであげないと男は嫌気をさす」
ここに書くだけで吐き気がしてくるセリフです。
私が家で夫の帰りを待つのは、少しでも夫と過ごす時間を長く「得たい」と思うときであり、私が料理を頑張って作ろうと思うのは、誰かにおいしい料理を「食べてもらいたい」と思うときであり、私が子供を産む時は、私とその人の間に子供が「欲しい」と思った時です。男のための義務ではありません。私が主体です。結果的には同じでも持ち合わせている意味が全然違います。私が必要だと思うからするのです。私にはそれを選ぶ権利があります。女だからという義務はありません。
しかし、我が家にはこのような観念は存在しません。比較的私も弟も平等には扱ってもらえますが、両親は相変わらず私に「女の子であること」を強制するのをやめようとしません。
私は女の子に作り上げられたいのではありません。自分で考え、自分で必要と感じたことを身につけていける女になりたいのです。しかし我が家ではその考えが通用しません。だから私はこの伝統的思想から抜け出したいと思い、家を出たいと提案しました。自分の生き方を守るためです。
すると、「子供は子供らしく、親の言う事に従いなさい」と言われました。あ〜全否定。
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