★悠悠自適な日記☆
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2003年07月17日(木) |
ピアノ〜彼女の場合〜 |
私の隣の家には私より1つ年下の、高校3年生の女の子が住んでいます。1人っ子の女の子です。彼女は4歳の頃からピアノを習っているそうです。
私がお風呂に入った時、いつも隣からピアノを練習する音が聞こえてきます。私がお風呂に入る時間はまちまちなので、つまりはずっと練習をしていることになります。
そうすると皆はさぞかし上手なんだろうと思うことでしょう。しかし、それは違います。彼女が弾くピアノは、曲こそ変われど、1年前も、2年前も、もっと前もずっと同じ。少しも上達の気配を見せないのです。それどころか、彼女のピアノの音にはまるで抑揚がなく、まるで死人が弾いているような音しか聞こえてきません。
少し注意して聞きさえすれば誰にでも分かることです。技術の問題ではありません。彼女の音には魂が入っておらず、死んでいるのです。どんなにヘタっぴでも、自分が好きだ!楽しい!と思ってさえいれば、その思いだけは少なからずとも音に表れます。しかし、彼女にはそれがありません。ただ譜面上にある記号が、記号のまま並んでいるだけなのです。
私は彼女がこのようにしかピアノを弾けない理由が分かります。それは、ピアノを弾く事は、彼女にとっての生きる手段でしかないからです。
彼女の母親には少しヒステリーの気があります。昔は共働きだったのですがここ数年は母親が会社を辞めたそうでいつも家にいるらしく、些細な内容で口論になっているのをよく耳にします。これは近所でも有名な話です。母親の怒鳴り声なしにピアノの音が聞こえてくることはまずありません。
母親の怒鳴り声と、娘の泣き声と、ピアノの音。こっちが滅入ってしまいます。
彼女を見ていると、(実際には音を聞いているだけなのですが)私の過去が自然とフィードバックされてきてとても嫌な思いをします。私は一時、自分はピアノを弾く事でしか家族に存在を認めてもらえないと思い、自分の存在理由を示すだけのためにピアノを弾いていたことがあります。それは諦めのような気持ちでした。
ただ、私と決定的に違うのは、私にはピアノを捨ててでも、それ以上にやりたいことがあったということで、ピアノ自体が嫌いではなかったということです。私は母親に反発抵抗を繰り返しながらもどこかピアノを弾く事の中に喜びを見つけることができていました。私はピアノを愛しながらも、それ以上にやりたかったことに、情熱を捧げられることにしがみつき、結果としてピアノを捨てました。そして私は母から逃げることができたのです。
しかし、彼女の場合、ああも毎日ビクビクしながら弾いていたら、もはや喜びを見つけるとか、そういう次元の問題ではないのでしょう。今の彼女は間違いなくピノが嫌いです。しかし彼女の場合、逃げる事が出来ないのでしょう。親は相変わらずヒステリーを起こすし、もしかしたら私のように飛び移る対象物―つまり、本当にやりたいことがまだ見つかっていないのかもしれません。
赤の他人の私が気付くことなのに、あんなにも近くにいる彼女の母親はそれに気付かない。もしくは気付いていてもどうにもできないのかもしれません。そして彼女自身も、そんな自分の運命を変えようとせず、受け入れることしか手段がないと思い込んでしまっています。
彼女が泣き喚いて、まだ少しでも母親に抗う態度が表れている間はまだ持ちこたえそうです。しかし、彼女が涙を流すことすらしなくなる時が近いうちにくるのではないかと思うと、不安でならなくなります。
私は彼女にしてあげられることが何一つなく、それを歯がゆく思いながら、今日も死人が弾くピアノの音に耐えるのです。
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