★悠悠自適な日記☆
DiaryINDEXpastwill


2002年09月09日(月) 大阪の街で育つ文化。

 小学5年生の時、初めてお笑いを観に大阪の吉本の劇場へ連れて行ってもらえることになった。お笑いといえば漫才、落語などといろいろあるが、その中で私は“吉本新喜劇”が一番好きだ。我が家には毎週吉本新喜劇が始まる時間になると、一番手の空いている者がビデオに録画をするという暗黙の掟がある。普段家族全員が揃うことなど滅多にないのに、そのビデオはたちまち家族全員をリビングに集結させてしまう。我が家における吉本新喜劇は一家団欒の鍵となっている。

 そんな訳で、私が吉本新喜劇を観にいくということはディズニーランドに連れていってもらうことの何十倍もビッグなイベントだった。しかもその日、連日満員である劇場に当日券で入るという最大のハンデを背負いながらも、私は運良く前から二列目のど真ん中の席に座ることができたのである。マイクを通さずに舞台上の人の声を聞くことのできる位置で本場のお笑いを楽しめるということはこの上なく幸せなことだった。テレビでは味わえない感動がそこにはあった。

 ところが、吉本新喜劇が中盤に指しかかった頃、私は信じられない光景を目にした。なんと、私の斜め前に座っていた中年のオッチャンがいきなり新聞を広げて読み始めたのだ。しかも堂々と。高い入場料を払って、しかも芸人さんの立っている舞台のすぐ前という最高のポジションで、この人はなんてバチ当たりなことをするのだろう。私はだんだん腹が立ってきた。吉本新喜劇の定番ギャグに「邪魔するんやったら帰ってぇ!」というのがあるが、正にその通りだった。

 あのようなことは大阪ではよくあることらしい。しかも、犯人のほとんどは地元の人が多いそうで、地方からやって来る人ではないという。お笑いは大阪の誇るべき文化であるというのに、一体どうしてしまったのだろう?

 ところが後で、あれは妨害ではなく、その人から芸人さんに対する“挑戦”であることがわかった。「どや!悔しかったらもっと笑わしてみい!」という意思表示であるというのだ。このような観客の行動は昔の演芸の世界ではどこにでもあったらしい。そしてその名残りが大阪だけに根を生やしたのだ。私はこの話を聞いたときは唖然としてしまった。それまで、お笑いといえば舞台の上やブラウン管の中から提供されたものを観客が受け取るという受動的なものだと思っていたからだ。しかし大阪だけは違う。能動的なのだ。そういえば、大阪のオバチャンが街で芸人とすれ違うと声を掛けて熱心に駄目出しを始めるという話も有名だが、これも能動的行為の表れだと思う。そしてそれを受けた芸人さん達はより笑ってもらうためにはどうすればいいのかを考えるという。大阪の人にとってお笑いは「見る」ものではなく「参加する」ものなのだ。これが大阪でお笑いが育つ原因なのかもしれない。

 そしてこの積極性はお笑いだけでは留まらない。例えば最下位が続いてもチームを見離さない阪神ファンは、たまに順位が上がったりするだけでも大騒ぎだ。大阪の人は他人の活躍を自分のことのようにとらえる熱い生き物なのである。そしてそれを誇りとしているようにも見える。今では飛び込みの名所として、大阪の名物になってしまった道頓堀も、この熱い人達が生み出した文化だ。

 では、なぜ大阪の人はそんなに熱いのか?生まれつきそういう血が流れているのだろうか?いや、そんなはずはない。これは私の勝手な推測だが、大阪人の熱い性質は大阪という環境が生み出したものではないかと思う。徳川家康が天下を統一してから日本の中心は東京で、大阪はいつも二番手に見られてきた。かといって京都程歴史文化財が残っているわけでもない。そんな中で、大阪の人は自らの手で文化を作り上げていこうという精神が自然と出来上がってしまったのかもしれない。そこで生まれたのはお笑いだったり阪神タイガースだったり、道頓堀だったりするわけだ。そうやって文化として育ったことを誇りに思い、ますます積極的に文化を育もうとして、後はそれを繰り返しているのではないかと思う。

 他の地域がこれまで培ってきた文化に保守的であるの対し、大阪は積極的に参加して育てようという姿勢が見られる。芸人の前で新聞を広げることも、道頓堀に飛び込むことも決してよいことではない。しかし、このようにパワー溢れる大阪の人達を見るとついつい応援したくなってしまうし、そんな元気な大阪の街を愛しいと思う。


嶋子 |MAILHomePage

My追加