Leonna's Anahori Journal
DiaryINDEX|past|will
暖冬とひとくちに言うけれど、ここまで暖かいと不安になってくる。といっても、地球温暖化、水位の上昇といった世のため人のための不安ではない。 このまえ何かの本に漫画家の柴門ふみが、自分の大学時代は東京も寒くて下宿の部屋の中でも氷がはった、と書いていた。そうなのだ。私の子供時代にも、朝、水道管が凍って水が出ないなどということがあった。
小学校から中学にかけては、冬の間に数回は雪合戦をして遊んだ記憶があるし、高校時代は黒いタイツをはいた足の指に霜焼けができて、その足でうっかり点字ブロックの凸凹うえを歩こうものならあまりの痛さに悶絶したものだった。つまり、その昔は東京なりに厳冬期というものがあって、私の冬の記憶というのはその寒さと強く結びついている。
ところが、昨今のように冬が暖かくなってしまっては、なにやら自分の記憶の中の子供時代までが薄ぼんやりとしてきて、消えかかっているような気分になるではないか。この頃では、比較的新しい記憶に自信が持てなくなってきていて、せめて古い記憶くらいは大切にしたい、鮮やかであってほしいと思っているのに、これでは困る。
しかし「困る」といくら言っても気温が下がるわけでもないので、不安なような悲しいような、やりきれない気持ちで、バス停から家までの道のりを、ただとぼとぼと歩いた。 -- とはいうものの、夜の道にどこからともなく漂ってくる沈丁花の香り、あの独特の匂いには、ハッとしてしまう。なんなのだろう、あのインパクトは。
しかも沈丁の花の匂いにハッとするのは中年や老人ばかりではなく、十代の若者でも同じらしい。このまえ、バス停のそばの高校から出てきた女学生が「この匂い嗅ぐと春がきたかんじするね」「ほかの花と違ってどこに咲いててもすぐわかる」などと話しているのを聞いて、「そう、そうそうそう!」と心の中でうなずいてしまった。これはちょっと不思議な現象と言えまいか。沈丁花の香りには、人間の記憶を特に刺激するなにかが含まれているのだろうか。
沈丁花には、なにか秘密がありそうだ。それがなんなのかは、わからないけれど。沈丁の花の匂いが、暖冬を憂える私の強い味方であることだけは間違いない。
|