Leonna's Anahori Journal
DiaryINDEX|past|will
4月12日。日帰りでザルツブルグを訪れた。
ミュンヘン中央駅からオーストリアのザルツブルグまでは電車で1時間半。前回11月のヴェネチア行きのときもそうだったけれど、国同士が地続きで接しているヨーロッパというものを実感する。もちろんパスポートを持って出たけれど、今回は一度も提示を求められなかった。
ザルツブルグといえばモーツァルトの生誕地として有名。おりしも今年はモーツァルト生誕250周年ということで、ご当地、少しは盛り上がっているのかと思いきや。全然、まったく。というより、いくらなんでも地味すぎやしないか、ザルツブルグ駅。古い、暗い、人いない。なんというか、金彩プラス曲線美(アラベスク文様みたいな感じ?)を想像していた私としては、かなり拍子抜け。
でもって、表に出てみるとバス乗り場のある駅前ロータリーがまーた地味で! なんかジャージみたいなの穿いてもそもそ歩いてる地元のおじさんいるし。ミュンヘンはドイツの中でも特に都会的な都会だと聞かされてはいたのだけど…これほどまでに違うとは。町を歩いてる人たちの着てるものの色合いとシルエット、それに歩く速度や姿勢までもが違って見える。はーーー。
それにしても寒い日だった。どんよりと曇った灰色の空からは時折、みぞれまじりの雨が落ちてくる。バスに乗って市内へ入り、ミラベル庭園なんてところにも行ってみたけれど、まだ本格的な花の季節には少しばかり早かったようで、寒空の下、縮こまるような格好でパンジーやビオラが咲いているばかりだった。もしかして昨年11月のヴェネチア(あふれる陽光、初夏のような馬鹿陽気)で行楽運、使い果たしたってことなんでしょうか?
お店ごとにきれいな看板を掲げるゲトライデ通り。しかし、石畳というのは足底からしんしんと冷えますな、身体が。でもって、モーツァルトの生家、あの子供だましの展示は、もう少し何とかなりませんかな。
↑この現代美術館は面白かったです。なにしろ『空飛ぶ絨毯』にのってパレスティナまで飛んだのだから。
オフシーズンの平日でほとんど人のいない館内。ある展示室に入ると、広々とした床にアラビア風の敷物とクッション、それから刺繍をほどこしたつま先の尖った室内履きが置いてあった。少々歩き疲れていたこともあり敷物に腰をおろしてくつろぎの体勢に入ると、壁一面にパソコン画面、その端っこの方にジュウタンに座る私たちの姿が映っている。そしてクッションの傍らに電話機が。「これ、インターネット電話だよね、きっと」と友人。どうやら受話器を取り上げると、パレスティナのラマラというところへ繋がるらしい。要するに、これが『空飛ぶジュウタン』という現代アート。おー、なんてコンテンポラリーでインタラクティヴなアートなんだ!
さっそく友人が受話器を持ち上げると、ややや、壁面に大きく映し出されたオフィスのような場所(多分パレスティナ)で、電話をとった人と通話ができるではありませんか。要するにTV電話状態だ。友人は、ハロー、私たちはいまザルツブルグにいて、日本から来た日本人なんだけど、などと話しております。先方はラマラのゲーテ研究所という場所らしい。こっちは雪が降りそうですごく寒いですと言うと、こっち(パレスティナ)は25度くらいあるよ、とか、なんかそんな会話でした。
これはストリートミュージシャン、ピアノを弾く兄ちゃんの図。背板ベコベコのちっちゃなピアノを台車みたいなので運んできて弾いているのだが、このベコベコのピアノがまたいい音で鳴るんだ!石畳と回廊の天井に反響するショパンに、しばし聞き惚れてしまいました。このピアノの人の前にフルートを吹いている人も見かけたのだが、その人もえらく上手でした。このあたりは、さすがザルツブルグ。水準以下の演奏ではモーツァルトに申し訳ないってことなんでしょう。
ところで、天候にはあまり恵まれなかったザルツブルグ行でしたが、私、ひとつ大きな“当たり”を出しましたのです。それは、、、“肉”。お昼に入ったレストランで頼んだ牛肉のなんとかソースというのが、旨かった旨かった、ああー旨かった! どうやら私には肉の神様がついているらしいデス(in 欧州)。
きっと、もう少し暖かく光量の多い時に来ればまったく違う印象を抱くのだろうけれど、でも、私はこういうレアな体験というのも好きです。中でも、寒くて暗いヨーロッパの町の灯ともし頃(夕方)には特別の美しさがあります。…そんなことを思いつつ、また1時間半電車に揺られてドイチェランドはバイエルンの都へと帰ったのでありました。 (ここから余談。)
で、ですね。戻ってみると、やっぱりミュンヘンは都会、大都会。きらめく中央駅、行き交う人々のシルエットはピシーッと縦長、タイトです。(服の)色は、基本的に黒。「やっぱココ都会だわ、全然違うよザルツブルグと!」。興奮気味に叫ぶ私を見ながら、在欧16年の友人は、うっすらと微笑むばかりでありました。
|