Leonna's Anahori Journal
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2006年03月17日(金) ヤスケンの置き土産(1)

 
村上春樹の直筆原稿が流出、高値で売買されていたという例の事件には、個人的にかなりグロテスクなものを感じていた。

まず、流した方の安原顕(ヤスケン)が、何故そんなことをしたのかと、そのときの彼の心情を思ってみると、当然のことながら暗澹とした気分になってくる。

これだけでも十分にグロテスクなのに、その後、流された側の村上春樹が書いた文章(『ある編集者の生と死』文芸春秋4月号掲載)のことをネット上で知って、さらに変な気分になってしまった。

特に“実はヤスケンは小説を書いていた、自分も読まされ、感想を求められたのだが、正直あまり面白いものではなかったので、あたりさわりのないことを言ったらヤスケンが激昂した”というような部分。村上春樹ともあろうものが、まさか安易な“仕返し”でもないだろう。それに書かれたヤスケンはもうこの世の人ではないのだ。

しかし、これらの情報はすべてネット上で集めた断片的なもの。やはりここは文春に寄稿された村上春樹の文章、全文を読まなければと思い続けていたいたところ、やっと今日、書店で目を通すことができた。
 
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かなり長い文章で、その全体の中に置かれてみれば、前述のヤスケンが書いていた小説について触れられている部分も、ああそうなのかと思えなくはない。それでも、そうとう恐いことには違いなくて(かなりハッキリと、小説の才能はなかったと言い切っている)、村上春樹も意を決して書いたのではないかと思われる。

誤解を恐れず、このことにズバリと触れなければ、この文章自体が中途半端なものになってしまうし、それならば書く意味がない。また、この部分について率直に書くこと、そして、その意図を歪みなく伝えられるだけの筆力が自分にはあるはずだという強い思いがあって書かれたものではないかと、個人的にはそう感じた。

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どんな理由であれ安原顕が直筆原稿を故意に流出させた(売っていた)ということはとんでもないことであって、これは他に論を待たない。しかし、それがわかった途端にネット上のブログその他で、安原は実は大した仕事はしていない、とか、一度会った時の印象はどうこうであったとか、平気で書くひとがいるのには驚く。

こういうの、最近どこかであったなと思って考えてみたら、ホリエモンが逮捕されたときのマスコミ(外野系)が口角泡飛ばしていた感じに、そっくりなのだった。

あくまでエンドユーザである私のような立場からすると、これはもう「ヤスケン、かましてくれたよなぁ」と、トホホの顔で呟くしかない。アンタ、これ、洒落にも何にもなんないわよ。草葉の陰でウッシッシとか、そういうのだけはゆるされないからね、などと思うしかないのだ。
 

 



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