Leonna's Anahori Journal
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朝。風の音で目が覚める。
ヒュウっと鋭い悲鳴のような音がして、二階のベランダに何か当たるような音がしきりにする。おそらく隣家のベランダに洗濯物が干してあるのだろうが、ベランダそのものに使われている透明の強化アクリル板を風が直撃しているのか、風の強い日には、何かよくわからない大きな音が、かならず聞こえてくるのだ。
寝ていたい。寝ていたいけれど、音が気になる。ただ風がうるさいというばかりではない。私の頭の中では庭の植木の根元に置いた草花の鉢が倒れ、京成バラ園から届いた大苗(90センチのはずが180センチもの丈だった、つる薔薇)がひっくり返り、赤玉土の袋に被せておいた特大の水受け皿がフリスビーのように空を飛んでいる。
外の様子が気になって居ても立ってもいられなくなり、布団からわが身を引き剥すようにして起き上がる。階下へ下りて、おそるおそる雨戸を開けてみると、鉢も大苗も水受け皿も、昨日置いた場所からびくとも動いておらず、それでも、突然の風に倒れんばかりに体を傾がせながら、それが吹きやむとまるで起きあがりこぼしのように姿勢を正してみせる黄の花(名前は知らない。二年草)の健気さに、胸がいっぱいになる。
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訃報につぐ訃報。歌人の山中智恵子も。
わが家にある現代歌人文庫は、葛原妙子、塚本邦雄、春日井建、寺山修司、山中智恵子、村木道彦の六冊。つまりこれら六人の歌人は私にとって、メジャー歌人の中でも特別な存在といえる人たちなのだが、これで村木道彦を除く全員が鬼籍に入ったことになる。
村木道彦は、現代歌人文庫中の「愛誦歌」という文章で“わたしには一首これといった愛誦歌はない。斎藤茂吉からはじまって塚本邦雄にいたるまで、主義・主張・流派はこえて、いいものはどうしようもなくいいので、そこに甲乙つけるなどとてもできないからだ”と書いている。
しごく当たり前に思える言葉かもしれないが、短歌の世界である程度の評価を得たひとが、こういうことをこんなふうにさらっと言い切るのは結構むずかしいこと(らしい)。この村木道彦の言葉に、大いに心を明るくしながら、短歌ミーハーでしかない私が、ただ好きでノートに書き抜いたりしていた山中智恵子の歌を、ここに書きつけておくことにする。 声しぼる蝉は背後に翳りつつ鎮石(しずし)のごとく手紙もちゆく
水甕の空ひびきあふ夏つばめものにつかざるこゑごゑやさし 絲とんぼわが骨くぐりひとときのいのちかげりぬ夏の心に
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