Leonna's Anahori Journal
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2004年10月23日(土) 我々は皆

特殊な状況、というほどではないけれども、通常とは少し違う精神状態で読書していると、今までだったら絶対に読み流していたであろう一行に、深く刺される思いのする事がままある。
先日読み終えた「ルル・オン・ザ・ブリッジ」にもそういう一行があった。忘れないうちにメモしておこう。

キャサリンというイギリス人の映画監督が語る、ドイツの劇作家ヴェーデキント(キャサリンがリメイクしようとしている『ルル』の原作者)の言葉。彼女は自分の映画で主役のルルを演じる女優にこう語る。
 
 
“「我々は皆、さまよえる者たちだ」と彼(ヴェーデキント)は言っているのよ。「それを認めてはじめて、私たちが自分を見いだす可能性が出てくる」って。”
 
 
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私が間違えた、もしくは忘れたのはこのことなのだ。
モットーは「たゆたえども沈まず」だなんて言いながら、いつのまにか、たゆたう余裕も度胸もなくしていた。カタチのあるものや保証を得るのに汲々として、自分本来の姿や、謙虚さ、アソビゴコロというものを忘れてしまった。

でも、掛け違えたボタンの最後のひとつが(わかってはいたのだけど)やっぱり掛け違っていて、どうごまかしても勝手に正しく掛け変わることはないのだと知った途端に気づくのだ。自分がこれまでもたった今も、ずっと変わらず“さまよえる者”だったということに。
 
 
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ヴェーデキントの言葉を私は、「自分がいかに俗っぽくて弱くて心もとない、でも自由な存在であるかを思い出せば、また(よくも悪くも)ありのままの自分に戻って生きなおす事ができるかもしれない」というふうに読んだのだけど、どうだろうかな?

いま、真夜中にこれを書きながら、いや間違いないって、完全にさまよえる者だもん、皆さんのことはよく分らないけれども、アタシは思いっきりさまよっちゃてるもん、と、ひとり深く納得しているのだが。
 
 
 
 


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