Leonna's Anahori Journal
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2004年01月27日(火) |
あの世へ持ってゆく本 |
ここしばらくの体験から、どうしても、人間いかに逝くべきかみたいなことを考えてしまう。 いまのうちからある程度身辺を小ぎれいにしておいて、何か希望があるのであれば、“こうしてほしい”とはっきり書いておくのがよかろうとかなんとか。
たとえば、棺の中に入れてほしいものは何かと考えると、やはり私は本を入れてほしい。(二年前、母親の棺にも岩波文庫の漱石を入れた)。 それでは、たった一冊あの世へ持って行くとしたらどの本がいいか。少し考えただけで、すんなりと答えは出た。私は、トルーマン・カポーティの『叶えられた祈り』を持って行きたい。 この小説の魅力、それは“無惨な美しさ”ということに尽きる。そうして(駄目になったのなんのと言われても)カポーティらしさ、その全てが含まれている。しかも、未完の遺作。私はこの本を読んで泣いた覚えはないのだが、無惨(あるいは醜怪)といってもよい場面で生唾がわいてきて困ったという記憶ならある。感動のあまり生唾がわく、しかも美しいとは言いかねる、むしろその逆の場面で。『叶えられた祈り』とは、(少なくとも私にとっては)そういう種類の小説なのだ。
もしもこれが、無人島へ持って行く一冊というのであれば、同じカポーティでも『犬は吠える〜ローカルカラー/観察日記』を選ぶ。そうして、くる日もくる日も『白バラ』だの『ローラ』だの、大好きな短編を繰り返し読んで、そのうちに全部暗記してしまえたらいいと思うのだが… そんなことをとりとめもなく話したあとで、とても久しぶりに件の本を手に取ってみた。すると、本文タイトルのまえ、扉頁をめくったところにこんな言葉が書かれていたので驚いた。 『叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される。(聖テレサ)』 実は私、この扉の言葉のことは失念していたのだが。生前に頼んでおいて一緒に焼いてもらう本に書かれた言葉としては、なんだか出来すぎってくらいにピッタリの言葉ではないか! あまりにもピッタリすぎて野暮な感じがしてしまうとしたら、それが唯一の難点、かもしれない。
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