Leonna's Anahori Journal
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2003年09月20日(土) 震度4

昼まで会社に出て仕事した。

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朝、TVの海外ニュースで、アラファト議長の追放阻止に関する国連の緊急協議について報じていた。

安保理決議のような強制力はないけれども、こういうことは放っておけない、国際的なコンセンサスをはっきりさせておこうということらしい。

その席上でイスラエルの国連大使の言った言葉がケッサクだった。
曰く、“こういうことが良いことだとは思っていない。が、こうでもしなければ、われわれはパレスティナ人の攻撃によって滅亡の危機にさらされることになる。”

朝もはよから笑わせてくれる。誰が誰に滅亡させられるって?

実際私は笑ってしまった。もう怒る気にもなれなかった。コレ、ほんとケッサクだよ。こういうことはもっといろんな場所で、大きな声で言った方が良いんじゃないの。そうすれば、イスラエル側の主張がどんなにクレイジーなものであるか、多くの人にダイレクトに伝わるから。こういうイスラエル政府の加工されていない生の声を、メディアはもっと報道すべきだ。

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会社の帰り、駅のホームで電車を待っているときに、足下からグラッときた。階段下、改札口の方向から若い女性のキャーッという悲鳴。
来た、ついに来た。

大きな揺れと同時に電車がホームへ滑り込んでくる。揺れているホームと、揺れている景色と、揺れながら走ってくる電車がいっぺんに視野に飛び込んでくる。(揺れながら走ってくる電車というのはインパクトあった)

おおお…と思いながらも、瞬時にホームの天井や柱、照明の位置などを確認する。ここにいた方がいいのか、それとも素早く動かないと命取りになるのか。揺れている鉄の柱や梁をみながら、いまはここにいても大丈夫と判断を下す。

電車は揺れながらも定位置に停まり、揺れながらドアが開いた。自動的に“脱線、転覆”という言葉が頭に浮かぶ。しかしこの頃(最初のグラリから1分ほど経過していた)になると揺れは大方止んでいるようで、車体の揺れは惰性によるもののようだった。

まだグラグラ動いている電車に乗り込んで座席にかける。二、三十分は動かないだろうと思っていたのに、十分足らずで「安全が確認された」といって電車は動き出した。遂にきた(ビンゴだった)と思ったのも束の間、何もなかったかのように電車は走り始めて、いつもの駅に着いた頃にはもう、本当に何もなかったかのようだった。

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午後。腰痛をおしてテニスの振替えレッスン。

どうかなぁと思っていたら、案の定、足がつる。最初は左足の甲、中指と薬指の筋がビーンと張って痛くなってきた。いつもの兆候。続いて右足も同じところが痛くなってくる。ほぐしたり伸ばしたり、だましだましレッスンを受ける。しかし現金なもので、足の痛みに意識を集中している間は、腰のことはすっかり忘れ去っていた。

結局、だまし通してレッスン終了。コーチからはアルミホイル(サランラップではない)を巻いて寝ると冷えないとか、赤外線ランプが良いとかアドバイスを貰うが、私トーナメント選手とかそういうんじゃないからなぁ。いつものオイルマッサージと芍薬甘草湯で凌いでおこう、いまのところは。

(でも赤外線ランプって想像しただけでもキモチよさそう)

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ところで。

今朝8時半頃、横浜の父に電話したらすごくシッカリした明るい声で「おはよう」というので驚いてしまった。
お天気はお天気として、いざ当日になったら出かける緊張感で高揚しているのだろう。よかった。

「あいにくの天気だけれど、元気出して行ってきて。伯母さんによろしく」
と、それだけ言って切った。
 
 
 


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