Leonna's Anahori Journal
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2003年07月28日(月) ジュネの年譜

昨日のJリーグの順位、間違えてました。正しくは、1位:横浜(29)、2位:磐田(28)、3位:市原(27)。カッコ内は勝ち点。

磐田が本当にユヴェントスなら、インテルの横浜は最後の最後で墓穴を掘って自滅回路、なのだが。(マリノスがインテル…?)

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一昨日書いたジュネの『恋する虜』、松岡正剛の千夜千冊でとりあげられていないかと思い調べてみたが見あたらず。ただしジュネの代表作のひとつ『泥棒日記』があったのでこれにリンクを張っておきます。正剛さんの文章はわかりやすくて、情報量が多いので。

それから「ジャン・ジュネ 奇跡の庭」というサイトにアルベル・デシールによる年譜があったのでこれにも。この年譜の後半1967−1984年には、ジュネがヨルダンのパレスティナ人キャンプに六ヶ月間滞在したこと、アラファトと会見し自由交通権を与えられたこと、また、パレスチナ人の受難劇の記録を世界に伝えるてほしいと依頼されたことなど、興味深い記述が多くみられます。

1982年、中東を再訪したジュネは、サブラのパレスティナ人キャンプで虐殺が行われたとき、偶然ベイルートに居合わせることになる。歴史の証人となったジュネ。彼はこのとき既に喉頭癌を患っていたが、1984年に亡くなるまでに『恋する虜』を書き上げ、出版社からの第二稿を受けとった時点で息を引き取った。

『恋する虜』は1985年(彼の死の翌年)にガリマール社から出版された。この作品をジュネが生涯を賭けてで書いたと言われる理由がこれでわかりました。
 
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ゲッツ君、フジロックより朝七時に帰宅、そのまま出社。

なにが一番良かった?と訊いたら「ジイサンたちはみんな頑張ってました」だって。アハハハハ。エルビス・コステロどうだった?と訊くと「あー、良かったっす!」。とどめに、「あー、そうだ、イギー・ポップがすごかったっす」だってさ。

・・・くやしいね〜!(笑)
 
 


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