Leonna's Anahori Journal
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2003年07月26日(土) ジャン・ジュネとパレスティナ

いつもの週末と同じように、横浜の父の家へ行く。

家を出るときバッグのなかに江國香織『すいかの匂い』を放り込んで行った。その際、帰ってくるまでに読み終わってしまったときの用心にと、もう一冊ジャン・ジュネの『ブレストの乱暴者』を持って出たのだった。

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ゴーヤ(苦瓜)が食べてみたいという父のリクエストに応えて「牛肉とにがうりの甘酢炒め」を作って食卓へ出し、帰宅する途中の東海道線のなかで、案の定、江國香織の短編集を読み終えてしまった。さっそくバッグから『ブレストの乱暴者』を出してブックカバーを掛け替えた。

いつも通り、まず巻末の、訳者、澁澤龍彦による『ジャン・ジュネ論』(あとがきがわりに収録されている)を読む。あとがきから読むべき本(すべての本がそうであるとは限らない)のあとがきは必ず最初に読む、そうして本編への期待を高めつつきちんと心の準備をすませてから読み始めるというのが私の読書における習慣であり、楽しみのひとつでもあるのだ。

澁澤の『ジャン・ジュネ論』を読み終えたあと、本の最初に戻り、カバー折り返しのジュネのポートレイトに目を留める。そして、その写真の下に記されたほんの数行の著者略歴を読んだとき、ガーンと殴られたような衝撃が走った。

私生児で泥棒で同性愛者、幾度となく投獄されたこの小説家(ここまではよーく知っていた)は、晩年“ブラック・パンサーやパレスティナ問題に積極的に関わった”と書かれていたからだ。

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知らなかったのだ。まさかそんなことだったとは。パレスティナ問題という言葉は、その実体を知らないひとにとっては単なる国の名前のついた単語でしかない。ほんの数ヶ月まえまでそれは、私にとってもなにか複雑で解りづらい政治上の問題であり、どこか遠い国でおきている揉め事であった。

おそらく私はこれまでもジュネとパレスティナという単語が同じ文章のなかに登場してくるのをみていたのだと思う。ただ、私のなかにパレスティナ問題についての知識がゼロであったために、その意味がわからず読み飛ばしてしまっていたのだろう。

帰宅して、検索エンジンで調べてみるとジュネの最後の長篇『恋する虜』というのがパレスティナのことを書いた本だと判明した。人文書院から出ていたこの本(たしかに一時期書店で目にしていた)は現在絶版になっており、全集にも未収録、文庫化もされていないそうだ。

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きょう、家を出るときどうしてもジュネが読みたくて、というよりまるで本棚の『ブレストの乱暴者』が呼びかけてくるような気がして、それでとにかく次はジュネと決めて持って出たのだった。

そんな気持ちになったのは江國香織の『すいかの匂い』を読みかけていたことと関係がある。そのまえに同じく江國香織の『都の子』を読んだ事とも関係がある。そのことについてはこれから読書のページに書こうと思っている。

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今年の五月、告発者としてのチョムスキーを知り、そのあと偶然TVのドキュメンタリーを通してサイードを発見したあとで、日刊ベリタというサイトへ行ってみたらば、E・サイード&N・チョムスキーと並記して彼らのサイトへリンクが張ってあったなんてこともあった。

しかし、このときはそんなには驚かなかったのだ。やっぱりな、という感じだった。自分の現在地を、しっかりと確認したような気分だった。

けれども、次にジュネがくるとは夢にも…(絶句)。
やはり、大勢の後をただついて歩くのではなく、自らの内なるプリンシプル(原則)にしたがって生きようとする人間にとっては(それが高名な学者であろうと、オカマで泥棒の小説家であろうと)見過ごすことの出来ない大きな問題なのだろう、パレスティナというのは。
 
 
(ちなみに殿山泰司も著書『三文役者の待ち時間』のなかで、パレスティナ問題についてサラリと触れている)
  
  


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