Leonna's Anahori Journal
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2003年07月22日(火) |
私信:四谷シモンの事 |
四谷シモンの『人形愛』という写真集は私の宝物のひとつである。B4変版で写真は篠山紀信、監修は澁澤龍彦。昭和60年、美術出版社刊。
澁澤龍彦は監修のほかに「未来と過去のイヴ」「メカニズムと少年」という文章と、シモンとの対談「ピグマリオニズム〜人形愛の形而上学をめぐって」で登場する。
澁澤以外の執筆者は瀧口修造、東野芳明、吉岡実、巌谷國士、高橋睦郎という面々。これに四谷シモンの傑作中の傑作(この人は文章も天才的なのである)「シモンスキーの手記」と年譜(作成者:高橋睦郎)が収録されている。
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私がまだ中学生だったころ、原宿キディランドの地階、一番奥の隅っこにガラスの扉のついた戸棚があってその中に、四谷シモン制作のフランス人形があった。“シモンドール”という札のついたその人形はベベ・ジュモーに代表される所謂アンティークドールの写しで、現在のシモンの人形とは違っていた。
値段はたしか6〜7万だったと思うのだが、もしかしたら12、3万位したかもしれない。よく覚えていない。 私は横浜から東横線に乗って渋谷乗り換えで原宿へ行くたびに、必ずそのキディランドの地階のシモンドールの戸棚の前へ行って10分でも20分でも飽かずに眺めていた。思えば、私はあの頃が一番“デカダン入って”いたと思う。
しかし私は別に、アンティークドールに興味があってシモンドールに釘付けになっていたわけではない。作り手の四谷シモンに興味があったのだ。 どうしてシモンの名前を知ったのかも今となってははっきりとは思い出せないのだが、それはたしか作家の金井美恵子がらみだったと思う。(金井美恵子の文庫本のあとがきを悪友のシモンが書いて、それを読んだとか、そういうことではなかったかと思う)
それから、シモンの美しい横顔(眼鏡、ヒゲ、なし。憂いを含んだ女顔)の写真をどこかで目にしたのもこの頃。そのうえ名前が、四谷シモン。“デカダン入っちゃってる”14、5歳の少女に、この男に興味を持つなといってもそれは無理というものだろう。
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数日前、読書好きの友達が四谷シモン著『人形作家』(講談社新書)を読んだというので、久々に写真集『人形愛』をひっぱり出してきて、あちこち読み返してみていた。すると、おもしろい事に、澁澤龍彦との対談の中にこんなくだりを発見した。
まだハンス・ベルメールとも澁澤龍彦とも出会う前のシモンが布と綿でヌイグルミのようなものを作っていたこともあると聞かされた澁澤氏、「ハー、それは初耳だな」と驚いたあとで「それじゃジュサブローじゃない」と言うと、シモンが「辻村ジュサブローとは、その頃よく知ってるんですよ」。
澁澤が「そうなの、ホー」とまたまた驚くと、「一番古いくらいですね」とシモンが答える。そのあと(シモンは作る人形が一変したけれど)ジュサブローは布一筋だったんだねという澁澤の言葉には「(ジュサブローには)革命が起こらなかったんです、起こる必要がなかったんでしょうね。」と答えている。
(ここから私信)という訳でisar嬢、ジュサブローさんとシモンは大昔からお互いに良く知っていたようですよ。(意外〜!) --
ちなみに、金井美恵子の最近(ここ十年くらい)に書かれた小説には、シモンがモデルじゃないかと思しき人物がわりとよく登場してくる。もちろん職業が人形作りだとかいうのではなくて、そのキャラクター、口調、言葉遣いなどからそう推測されるのだが。なかには、まんまカネミツという名前で登場してきたこともあって、これはわかりやすかった。(四谷シモンの本名は小林兼光というのだ)
それから澁澤龍彦が四谷シモン作の人形を養女に迎えた後、その彼女を大フューチャーして書いた本として『少女コレクション序説』(中公文庫)がある。この本の一番最後に収められた文章は「シモンの人形(あとがきにかえて)」というのだけれど、これはもう丸ごと一冊、四谷シモン(と彼の人形)に捧げた本と言って差し支えないだろう。
篠山紀信撮影の写真と文章の比率は8:2くらい。内容充実にしてこの比率、絶妙。
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