Leonna's Anahori Journal
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2003年07月17日(木) Patti Smith

夜。赤坂BLIZでパティ・スミスのライヴ。

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夕方5時頃、同僚のゲッツ君が「今日じゃなかったですか」と声をかけてきた。私がパティ・スミスみに行くんだと言ったことを覚えていて、それがいよいよ今日で、それで、私以上にそわそわしているふうなのだ。「大丈夫なんですか。仕事定時で終われますか」とわが事のように心配してくれる(笑)

私が「オープニングアクト(前座)もあるそうだし、ま、ダイジョウブ」と答えると、そのオープニングアクトをつとめるバンドは“ユダ”といって、浅井健一がやってるバンドだと教えてくれる。あらあ、それじゃあんまり遅れないように行こうかなということになり、5時半過ぎ、そそくさと会社を後にした。

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こういう書き方をすると誤解を招くかもしれないが、パティ・スミスにしろ浅井健一にしろ、私にとってもはやこの人たちは、ミュージシャンでありながらその音楽を聴いてそれについて云々する対象ではなくなってしまっている。

もっとはっきり言うと、パティ・スミスや浅井健一の音楽を聴いて理屈抜きで楽しいかというと、私は正直言ってそうでもないなと思うのだ。

たとえば浅井健一の歌というのは、私にとっては赤ん坊の泣き声(それも不意打ち)のようなもので、彼の絶叫にちかいところまで張り上げてやっと安定するあの歌唱のリアルさ(そして異様さ)は、通常の“楽しさ”というものをはなから拒絶している。

しかし逆に、だからこそ楽だとも言える。なぜなら、お金を払った分だけ通常の意味での楽しさを求めなくても済むから。私は彼女(彼)が上手くやったらいいなとは思うけれども、コケても別にかまわない。要するにこれは信頼関係の問題なのだ。

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パティ・スミスの貫禄はもはや揺るぎないもので、すでに“祭り上げられたひと”という感じすらした。
「グローリア」や「ビコーズ・ザ・ナイト」といったヒットナンバーもさることながら、やはり彼女はポエトリーリーディングの要素を取り入れた曲が最も素晴らしい。この分野になるともう(ジム・モリソンの死んだいまとなっては)空前絶後、代わる者なし、だろう。

特に圧巻だったのは「ホーセズ」。
もし仮に(仮のはなしです)禁制の煙草や薬品をたしなんでから来たひとがいたとしたら、間違いなくその人は今頃、銀河系の彼方だろう。二度と戻っては来られまい。

パティは周到にも「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」(アンコール1曲目)で満場の客をノリノリモードにさせて、舞い上がれるだけ舞い上がらせておいてからあの極彩色のボムをかましたのだ。背後のスクリーンに映し出された視覚効果まで含めて、まったく大したオバハンだと言うよりほかない。あああ、最高じゃった(笑)。

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◇ 今日の“wireへの道”

パティ・スミスのライヴ、七時からユダのオープニングアクトの後、パティが出てきたのは八時少し過ぎ。そして終わったのが十時半頃ということは、たまにステップを踏んだりしながら結局三時間半も立ったままでいたということだ。これは通常のライヴより一時間半くらい長くスタンディングの状態を続けたということ。

スゴイ。ファビュラス。インクレディブル。ここはどどーんと150ポイント加算。

(ポイント…?)
 
   


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