Leonna's Anahori Journal
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2003年05月05日(月) |
N・チョムスキー『メディア・コントロール』 |
ベランダの薔薇が咲き始めた。いま、蕾が四十個くらいついている。
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父の家へ行ったついでに横浜で購入した本。
『すいかの匂い』『都の子』 江國香織 『花を運ぶ妹』 池澤夏樹 『メディア・コントロール』 ノーム・チョムスキー
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チョムスキー『メディア・コントロール』には日本語で“正義なき民主主義と国際社会”というサブタイトルがついている。集英社新書の新刊で、平台に山積みされていた。
この本の後半には日本版プレイボーイに掲載された辺見庸によるインタビューが収録されている。これはインターネット上でも一部公開されていたものだが、こうして改めて全部通して読むとスゴイ。家まで待てずにインタビュー部分だけ、帰りの電車の中で読んでしまった。
チョムスキーはこの中で「アメリカはおそらく世界一自由な国だ」と言っている。政府はできるものなら言論を統制したいと願っているけれども、その力はないのだと。つまり言論の元は絶てないから、メディアをコントロールするわけだ。そして、問題はそのコントロールと“闘わない知識人”にあると言うのである。
本書を読めばわかるが、米国の情報公開は意外なくらい進んでいて、知ろうと思えばかなりのことを知ることが出来る。(このことはイラク攻撃をめぐって内外で制作されたドキュメンタリーを何本も見た結果、私もなんとなく気づき始めてはいたのだが)
たとえばこのインタビューでは、アメリカによる宇宙の軍事化について語られているが、この計画はすでにクリントン政権時代に情報公開されているそうだ。それを受けて99年以来毎年国連総会で外宇宙条約(この条約により宇宙の軍備は禁止されている)が再確認されており毎回満場一致で可決されている。ただし、アメリカとイスラエルだけは棄権し続けているのだが…。(つまり棄権者を除いて満場一致、とうわけ)
こういった政府の活動に関する文書は膨大にある。そのなかにはインターネットでみることができるものもある。なのにこういう非常に危険な事柄に関してアメリカ国内でさえ、まともな報道がない。ボストンの道端やハーヴァードの学生ラウンジでインタビューしたって、学生は誰ひとりこのことを知らないだろう、“公表”されているにもかかわらず…そうチョムスキーは語るのだ。
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知識人の腰抜けぶりに対する彼の批判はまことに仮借のないものだが、インタビューの最後に来て、その舌鋒は日本人対しても向けられた。
曰く、日本の戦後復興(富の蓄積)はなにによってなされたか、そこをもう一度よぉく見つめ直す必要があるのではないか、と。 曰く、東京にいてアメリカ人を批判するのは簡単だが、日本人が今すべきことは東京をみてみること、鏡を覗いてみる事なのでないか、と。 とどめに、そうしたらそれほど安閑としていられるのでしょうか?、と。
こういう言葉を(若いうちならともかく)中年真っ盛りになって突きつけられるのはツライ。 What happened is all good.(おきてしまった事はみな良いことである)
これは、シャロン・テート事件の犯人(凶悪な殺人犯)が刑務所にたずねてきたカポーティに対して語った言葉なんだけれど。 チョムスキーを読んだら、我知らず自分もそのように生きていたのではないかという思いがしてきて、さすがに気分はヘヴィーだった。
家へ帰って、ムッツリしたまま玉子炒飯をつくり、ムッツリしたまま食べました。
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