Leonna's Anahori Journal
DiaryINDEXpastwill


2002年12月31日(火) 2002年の終わりに

たしか11月上旬頃のことだったと思う。
午後三時頃、部屋に掃除機をかけようとしていたら、不意に天井の隅の方がキラキラッと光った。何事かと驚いてよく観察してみたら、すでに傾きかけた晩秋の陽の光がベランダ側のサッシ窓から深く鋭角に入り込んで、薄暗い天井の隅っこで踊っていたのだった。

その金色の光があまりにもきれいだったので、掃除機などという無粋なものをかけるのはしばし止めにして、ベランダの掃き出し窓の桟に腰をおろして西の空を眺めることにした。すると今度は、隣地との境のヤマモモの植え込みが風に揺れる音がいつになくはっきりと耳に聞こえてきた。それは風が常緑の葉を鳴らすザワザワという音だったが、そのときの私には何故かそれが“風そのものの”の音のように感じられて、こういう音を聞くのは随分と久しぶりのような気がした。

植え込みのずっと先には有料道路が通っていて、クルマが連なって通るときの音が、相も変わらず低く唸る壁のように聞こえていたけれど、それを差し引いてもなお、風の音の存在感は圧倒的だった。それで、私はもっとよく聞こうと右手の平を右耳のうしろにあてがってみた。試してみればわかるが、単なるジャスチャーではなく、こうすると人間の耳の集音機能は格段に上がる。それから、木の葉のざわめき、風の音の細部までもを聞き逃すまいと、私は左手も左耳のうしろにあてがってみた。

・・・そして。そして私は気がついたのだ。たしかに葉ずれの音は良く聞こえるようになったような気がする。しかし。しかしな。これって、高原直泰(もしくはローマのデルベッキオ)がゴールを決めたときの、あのゾウサンのポーズとおんなじなんでないかい・・・?
   
      
嗚呼、どうして。どうしてこうなっちゃうんだろう。なにをやっても、詰めが甘いんだよな私は。このHPにしたってそうだよ。リニューアルだって微妙にやり残してるし、読穴、旅穴、サカ穴だってそう。最後は“夢は枯野を駆けめぐる”の心境でうつむくことになるのだ。クゥ〜ッ。

--

ま、そういう忸怩たる思いもありながら、それはそれとして今年も終わろうとしている。思えば、実にいろんな事があった一年だった。正月早々クルマのマフラーを落っことし、その翌月には母を亡くし、そしてワールドカップがやってきて、去っていった。パートで仕事にも出た。

また私にしては随分あちこちへ出かけた年でもあった。一月に鳴子温泉、その後、日帰りで京都。夏に岡山県牛窓〜京都〜富山。九月に父と妹を伴って九州は博多〜小倉〜別府。九州から戻って再び富山。そして最後は秋田県の乳頭温泉郷。

考えてみたら、けっこう無理をしたかもしれないな。私の能力では、なにもかも上手く納めようったって無理だったのかもしれない。

--

きょう横浜の父のところへお料理を届けた帰り、電車の窓の外には不思議な色の空が広がっていた。昼間は晴れ。その青空に雲が出て底冷えのする天気になったのだが、そういうときの雲は普通どんよりと低く垂れ込めるものなのに今日の空は見た事もないようなブルーグレーで、しかも天高く、どこまでも透明だった。

もしも一年の終わりの日、大晦日が特別な日だとするならば、その特別な日にいかにも似つかわしい空のような気がして、私は、この次いつ見られるかわからないその不思議な空の色を飽かずに眺めていた。
そうして(多少詰めが甘かったにしても)これってそんなに悪くない年の終わり方じゃないかな、などと思ったのだった。
   
      


レオナ |MAILHomePage