Leonna's Anahori Journal
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2002年12月24日(火) フジタが家にやって来た。

『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』購入。ついに、フジタが家にやって来ました。

B4変形で総218頁。代表作約160点収録。大きくて重たい本だ。お茶碗を洗うのも忘れてページをめくること一時間。感激なんだけれど、さすがに疲れてしまった。だってさ、観ても観ても、めくってもめくっても、次から次へとフジタなんだよ。

そういえば1986年にレオナール・フジタ展を観たときも、帰りみち、小さな“おくび”のようなものが止まらなくなったことがあったっけ。

あのとき、有名な『カフェ』という大きな作品のまえに立ってじっと絵を観ていたら、だんだんと、最初は観ているつもりだった私の方がしまいには、ハッキリと絵に見られていると感じるようになった。(こういう逆転現象はフジタに限らず、力のある絵の前に立つと起こるようだ。同じようなことをその後も何度か経験した)

それで、すっかり展覧会に呑み込まれたような、それでも良い気分で会場をあとにしたが、電車に乗って窓に映る自分の顔をみてギョッ。なぜなら、目元(目頭と目尻の二箇所)と唇の両端がクッとくぼんで切れ込んだ、つまりフジタの描く人物の特徴が、ガラスにぼんやりと映る私の顔にも現れていたからだ。

その瞬間から数分おきに“おくび”が出て止まらなくなった。フジタの描く人間の顔は、最初はまごうかたなきフジタ調に見えるけれども、一度「確かに人間ってこういう顔の造作をしている」と納得すると、目があらゆる人間の顔にフジタ調(目元や口元の特徴)を探してしまうようなのだ。
(ま、要するに本物のフジタばかりを、短時間に根を詰めて見過ぎたせいだったのだろうけど)

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この本、横浜の父にも見せてあげたいと思うのだけれど、これだけ重いと気軽にさっと持って出るというわけにいかない…







   
    


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