Leonna's Anahori Journal
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「半袖って、きもちいいわね!」
そいう科白があった。たしか、大島弓子のマンガに。 この季節、今日のような天気の日には、いつもこの言葉を実感する。
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この間ジャーナルで、吉田健一の本が書店から消えてしまったと書いたばかりだというのに、今週は立て続けに二冊も、吉田本が手に入ってしまった。
一冊は『時間』(講談社学芸文庫)で、これは津田沼の丸善でみつけた。見つけた瞬間、奪い去るようにして小走りでレジへ行った。こういうことがあると、これからは本屋さんへ行くたびに松茸狩りのひとのような目つきになってしまいそうだ。
もう一冊は『本当のような話』で、これは海外に住む本好きの友人が「二冊持っているから」とわざわざ送ってくれたもの。この友人は吉田健一の熱烈なファンで、私が吉田本に興味を持ったのも彼女の影響によるところが大きい。
吉田健一の本を読むには、「いまなら読める」というきっかけとタイミングが必要であるように思う。このような友があることも、また、他人のすすめる本なんか読みたくないという意地も希薄になるほど歳をとることも、なかなか悪くないナと思うこの頃だ。
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あ、そうそう。書店といえば。 少し前に、新潮文庫の新刊として出た『百鬼園随筆』と『百鬼園随筆 続』。この二冊の表紙カバー画が面白い。百鬼園先生と菊の花。それから百鬼園先生、くるくる(目まい?)の図。 すごく味のあるヘタウマ系イラストで、内田百間の癇症ぽい感じが良く出ている。もしかしたら長岡毅(原田宗典の文庫カバーを描いていたひと)の絵じゃないかな。そう思ってカバー裏を確かめてみたら・・・何て書いてあったと思います?
カバー装画・芥川龍之介
・・・・・!
龍之介と百間は同じ漱石門下で仲がよかった。百間には『湖南の扇』『亀鳴くや』など龍之介のことを書いた短編がいくつもある。ただし、最期の方はいつも睡眠薬を手放さず、むしろくるくるしていたのは芥川の方だったようだが…。しかし、そういう友の姿を見つめる百間のまなざしは決して冷たいものではなく、才能ある友の苦悩を淡々と写していたように思う。平台に積まれた新刊文庫のカバーを眺めながらそんなことを思い出していると、なんだかこみ上げてくるものがあった。
いずれにせよ、芥川の絵は傑作です。笑えます。今度本屋さんへ行ったとき、もし覚えていたら見てみると面白いです。
今年も朝顔の種をまきました。青い方は「富士の青」、赤い方は「平安の暁」という種類(名前)です。
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