2006年09月22日(金) 催眠

ゆずがラーメンを食いたいというので、ラーメンをこさえながら、瞬間的に見たテレビ番組。
ちょうど、催眠術でトラウマを癒す、というものでした。
KABA.ちゃん、野々村真、石田純一、青田典子、ジャガー横田のだんなさんといった面々が、次々と催眠術で心のトラウマを治していました。

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トラウマを言い訳にするわけじゃないけれど、退行催眠によって、今のもやもやを飛ばせるかもしれない。
そんな気持ちになりました。
何が不安なの?
わからない。
何が不安なのかわからないことが不安。
手が打てないことが不安。
今後が不安。
この先どうなるのかが不安。
ただ漠然と不安。

その不安の理由って何?

その不安をなくすために自分は必死に力をつけようとして努力してきた。
勉強とかじゃなくて。勉強もあるけれど。
丸暗記の勉強じゃなくてね。
理解し、納得することで1をきいて10を知る力を身につける。
その力さえ身につければ、ある程度のことは何とかなる。
そう思ったのが大学生の頃。

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周囲はパチンコやスロット、競馬やキャバクラ、風俗。
そういうものにお金をつぎ込んでいく。
それでも生活は変わっていない(様に見える)
おいらなんか、不安で、良くそんなものに金を使えるな、と思ってるんです。
不安だからやるのかもしれない。
そんなことも考えた。
やらないことに、自分なりの理由を求めた。
けれど、その理由も見つからない。
だって、負けてないんだもん(二回しかやってないけど)
ただ、やっても面白くないからやらない。
そう結論付けておわることにした。
そのまんま。
誘われたらやるかもしれない。けれど、自分から行くことは決してない。

他人に評価されることに価値観を見出していた年頃は、酒飲みである振りもしてみた。
タバコ吸いである振りもしてみた。
不良である振りもしてみた。
ファッションに凝ろうとして、髪を伸ばしたこともあった。
でも、どれも面倒くさくて途中で投げ出した。

やっぱり、他人に評価されるために努力することが、おいらには無理なようだ。
だから、社会的な地位の低いガス馬車御者であることに何のためらいもなかったし、清掃のバイトをやっても汚いともなんとも思わなかった(缶コーヒーが飲めなくなったのには参ったが)

世間一般の人が持っている価値観が理解できない。
人それぞれだとはおもうし、それそのもののよさもわかる。
しかし、我を忘れるほどのめりこむものはなかった。

原稿を書いていても、ほかのものよりはずっと集中できたが、一時間が限度だった。二時間くらいいけたときもあるけれど。

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面白い、楽しい、と思う感覚が麻痺しているのか?
最近そんなことを痛切に思う。
仕事もそうだし、家事もそうなんだけれど、人よりいっぱいやって、人より大変なことをやっている状態に身を置いて初めて少し安心できる。
嫌だと思う反面、それを我慢してやっていることではじめて安心できる。
不思議な感じ。

それは所詮、人より多くのことを一生懸命やっているんだ、という自己満足?
それとも、自分が手を抜いたことによって、後で発生するさまざまな事象について責任を感じないようにするための逃げの一手?
それとも、後で自分がわがままを言うための、言い訳作り?

そして、そんな風に思う自分がまた嫌だったりする。

あまりいないタイプの人間であることは間違いない。
なぜこうなってしまったのか。
いまさら直したいとは思わない。
社会的にはおいらみたいなタイプのほうがいいわけだし。
いまさらパチンコやスロットで興奮したいとも思わないけれど。
ただ、そうなってしまった理由を知りたい。

ここ数年、常に強く思うようになった。
『退行催眠』。
自分を探求するための道具。
ちと興味が出てきた。


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彩葉 [MAIL]

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