本日、ゆずとゆずっこをつれて、草木ダムそばの富弘美術館に行ってきました。
星野富弘さん。 教諭時代に事故により付随になってしまった手足。しかし、彼は口で筆を持ち、絵を書き詩をつづった。 存在は知っていたが名前は知らなかった。 そして、ゆずが彼の詩のファンであることも今日初めて知った(まさか、ゆずにそういう文学を楽しむ趣味があったとは……(@@)
彼の美術館に行き、彼の絵と詩を見る。 正直言って、絵心ないですから、よく口で持った筆であそこまで細かくかけるな、というのが絵に対する感想(^^; コメントを雑記帳に残した小学生と変わらんコメントだ(−−;
詩はというと……。 重い。 限りなく重い。 似たような言葉をつづる詩人はいる。しかし彼の詩ほど重くない。 なんでだろう。 詩を見て感じるのは、彼はまだ悩んでいるんだ、ということ。 手足が不自由になり、しかし口を使い語ることで彼はいろんなものを手に入れた。 キリスト教に帰依し、キリストに対する言葉も詩にはある。 それでも、日々彼は荒れ、あるいは穏やかになり、毎日を送っている。 だからこそ、その言葉に重みがあるんだろう。 そして、何より、彼のつづるその言葉は、いろんな人のいろんな状況に当てはまる。 だからこそ、いろんな人に共感を得るのだろう。
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来訪者のコメント帳を見てみた。 いろんな人が来て、いろんなものを受け取って帰っていった。 もちろん、人生経験が少ないものは、それなりのものを。 彼と近しい悩みを持つものは、先駆者の彼に勇気を貰い。 彼とは異なる悩みを持つものは、彼の言葉にヒントを貰い。
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大学受験のとき、詩の問題がでて、それに対する解答を求められたことがある。 でも、詩について解釈をするのはナンセンスだ。 それがたとえ研究者の解釈であったとしても。 つづられた言葉から受け取るものは人それぞれでいい。 受け取らないのも一つの選択。 論文ではないのだ。 限られた言葉の中で、広がる想像の世界を楽しめればそれでよし。
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その後、山を越えるロングドライブを敢行しましたが、ゆずにもゆずっこにも不評でした(−−;
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