という、哲学にも似た問いを友人が友人の会社の社長から受けたらしい。 瞬時に答えられなかった自称『愛の超戦士』である彼(爆笑)。 同じ問いをおいらにも彼は振ってきた。
おいらは即答する。 愛。それは自己満足の究極形。誰でもが共感する(だろうと思われる)自己満足の形。
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われ思う。故に我あり。
こういったのは確かデカルト。 つまり、これは、ある人物が何かを考えるときには、必ずといっていいほど『私は』が前につく。もしくは省略される。
腹減った。 あの子かわいい。 あの女とやりてえ(だんだん下品に(−−;) あの子が幸せになるためにはこれが一番いい。
これは、すべて考える私から見た観点。
自分はどうなってもいいから家族には幸せになってほしい。 こういう人は、単純に、自分が不幸せであってもかまわないから、もしくは財政的に厳しくてもかまわないから、家族が幸せであればいいと思っている。 つまり、家族が幸せであることが自分にとって、何物にも変えがたい、ということだ。 自分にとって。 ここ重要。
暗い男の中には、振られた女に対して、無駄に操を守る奴もいる。 彼女のために操を守る。 いや、それ、あんたの自己満足でしょ。 彼が好きで好きで仕方ない。 でも、彼が迷惑かもしれない。ならば告白しないほうがいいかもしれない。 いや、それも結局自己満足でしょ。 私に告白されたら彼は迷惑だと思うかもしれない、と勝手に思っている私。 つまりそういうことでしょうに。
世の中で語られる美談も、自己満足。 自分がいいと思うから、その現状を受け入れる。 単純にすべてがその構図。
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でもね、おいらはそれを否定するつもりはないんだ。 自己満足が人間をここまでにした。 それが人間だと思ってる。 それでいいんだよね。 こういうときばっかり人間賛歌。
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