2005年05月17日(火) 子育ては水鏡

三ヶ月子育てをしてきて。
本当に、子育ては自分が丸裸にされてしまう。
たとえ、どんなにいい教材を揃えようが、いくらいい服を揃えようが、結局は自分の満足に過ぎないし、なにより、自分自身が子供と向き合わないと勝負にならない。

そして、子育てにおいて自分を偽ることも、自分のいいようにすることもできる。
つまり、子育てというものは、虚無の空間に放り込まれるようなもの。
上を向くも下を向くも自由。大きくなるも小さくなるも、限りなく無になるも有でい続けることも可能。
しかしそれが正解であるかどうかはわからない。

巷に情報はあふれているが、それを取捨選択するのは自分。
子育てに手を抜いて(あるいは自分で検討の結果そう結論付けて)世間の風潮にあわせるのもあり。子育ての意義について本当に考え抜き、自分で意義を見出して(我流で独善的に)行うのもあり。
だれもとめることはできないし、だれも意見することはできない。
なぜなら、それが親だから。自由にできる分、すべて責任は自分に来る。
その意味の集約こそが「子を見れば親がわかる」なんだろう。

正解もありはしない。
極端な話、彼の死後に彼の功績がたたえられる可能性すらもあるから。

子育てって一体なんだろう。
一人の人間を育てるって一体どういうことなんだろう。

今、言えるのは、子育てとは自分を客観的に見、評価し、判断することなんだろう、ということ。
子育ては自分と向き合うこと。

他の親がどう考えているかはわからない。
子育てなんか簡単、って思っているかもしれない。
でも、その子育てに対する考えすら、自分の気持ちの水鏡。
自分は偽れても子供を通して(映して)見る自分自身をどうみるか。
考えてみると、世の中で一番恐ろしいのは子育てかもしれない。


 < 過去  INDEX  未来 >
ご感想をどうぞ。




彩葉 [MAIL]

My追加