三ヶ月子育てをしてきて。 本当に、子育ては自分が丸裸にされてしまう。 たとえ、どんなにいい教材を揃えようが、いくらいい服を揃えようが、結局は自分の満足に過ぎないし、なにより、自分自身が子供と向き合わないと勝負にならない。
そして、子育てにおいて自分を偽ることも、自分のいいようにすることもできる。 つまり、子育てというものは、虚無の空間に放り込まれるようなもの。 上を向くも下を向くも自由。大きくなるも小さくなるも、限りなく無になるも有でい続けることも可能。 しかしそれが正解であるかどうかはわからない。
巷に情報はあふれているが、それを取捨選択するのは自分。 子育てに手を抜いて(あるいは自分で検討の結果そう結論付けて)世間の風潮にあわせるのもあり。子育ての意義について本当に考え抜き、自分で意義を見出して(我流で独善的に)行うのもあり。 だれもとめることはできないし、だれも意見することはできない。 なぜなら、それが親だから。自由にできる分、すべて責任は自分に来る。 その意味の集約こそが「子を見れば親がわかる」なんだろう。
正解もありはしない。 極端な話、彼の死後に彼の功績がたたえられる可能性すらもあるから。
子育てって一体なんだろう。 一人の人間を育てるって一体どういうことなんだろう。
今、言えるのは、子育てとは自分を客観的に見、評価し、判断することなんだろう、ということ。 子育ては自分と向き合うこと。
他の親がどう考えているかはわからない。 子育てなんか簡単、って思っているかもしれない。 でも、その子育てに対する考えすら、自分の気持ちの水鏡。 自分は偽れても子供を通して(映して)見る自分自身をどうみるか。 考えてみると、世の中で一番恐ろしいのは子育てかもしれない。
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