本日、おいらの会社のある地区の新年会。 恥ずかしいことに、本当に15分前まで忘れてました。 デスクトップの画面に付箋を張っていたのに(^^; なんとなく、その付箋を見て、今日何日だっけ? え? 今何時だっけ? え? あと十五分じゃん(−−;
ってな具合で急いで駆けつけました。
------------- 国会議員が来る飲み会。 別にいいんだけどさ。 それより、ビックリしたのが、コンパニオンのおねーさんが四人来たこと。 こんな小さな地区の商工会の新年会にもコンパニオンが来るのか、と。
商工会なんて、いい年こいたヒヒじじいの集団。一部おばちゃんもひとりいるようですが。
最初はおとなしく飲んでいた親父どもも、酒が入るにしたがってバカになる。 コンパニオンの乳掴んだり、スカートの中に手いれてみたり、スカートの中の写真をとろうとしてみたり。 見るに耐えない……。 なにより、それでも笑顔を振りまいていないといけないおねーさんたちがなんともいえず痛々しくて……。
知り合いにコンパニオンをしている人もいるんだけど、彼女もこういう目にあってるのか、と思うと正直嫌だな。 自分の知り合い、娘、姉妹、嫁、好きな女。 そういう存在がコンパニオンであることが、なんともいえずいやだった。 別に、そういう職があることを否定をするつもりはないし、そういう職だってなければいけないだろう。 そして、彼女たちは、人身売買された子供と違い、パート、アルバイトとはいえ自分の意思でコンパニオンをやっているのだ。乳もまれるのが嫌だったり、スカートの中の写真を取られたりするのがいやなら、そもそもコンパニオンなどやらないはずなのだ(だからといって、やっていいということではないのだろうけどさ) コンパニオンである彼女たちを否定することは、そのまま彼女たちのアイデンティティを否定することになる。 それに、彼女たちだって金をもらわなければやらないだろう。彼女たちに安っぽい同情をすることで、彼女たちからその職を奪うなら、その分の彼女たちの収入は補償してやらねばならない。 それができないなら、風俗にいく自分をさておき、「お前のお父さんは泣いているぞ」説教をたれる親父と同じことになってしまうのだ。 お前アホかって(^^;
自分とかかわっているかもしれない人間が、少なくともこの職に触れているのが嫌だな、と思ったのは事実。 でも、その一方で乳もまれてるおねーさんをみて、ちょっとムラムラしてみたり。
会が終わって、家に帰る途中、涙が出ました。 なんなんだろう。 自己嫌悪とも違う。人間という存在として嫌だと思ってみても、オスという本性では迎合していたことに対する怒りなのでもない。 女性は清潔でなければならないという妄想はもはや捨て去って久しい。 大なり小なり女は女性であることを武器として世の中を生き抜いているのだ。 女は、この男だ、と思えば色仕掛けでも何でもする。 それはおいらは決して悪いことだと思わない。 なぜなら、強いオスを得たいというメスの本能にそぐっているから。 そして、その本能を充足することこそが、生きる人間の生物としての側面における目的であるにほかならないからだ。
わからない。 自分がわからないと思った数少ない経験。 戸惑いおびえる自分。 理性と欲望がぶつかり、ひどく精神的に不安定になった。 子供とか大人とか、そういう類の、人間が持つ存在を示す名称では表現しきれないびみょうな力がおいらに働いたのは間違いない。
この気持ちは、永遠に続くものなのか。それとも、さらに年を経るにしたがって消えるのか。はたまた増大するものなのか。 この気持ちがおいらのみのものなのか、それとも誰しもが持つ感情なのか。 大切にすべきなのか、唾棄すべきなのか、それすらわからない。 どういう感情なんだろう、これは……
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