日々逍遙―この1冊、この1本、この1枚―
1冊の本、絵本、1本の映画、舞台、(ワインやお酒)、1枚の絵、CD。
散歩の途中に出会ったあれこれを…。

2002年02月28日(木) 息子の部屋(名古屋駅前グランド2にて)

カンヌ映画祭、マスコミ向け上映で総立ち拍手の作品、という惹句と亡くなった息子に両親の知らなかったガールフレンドが…、という内容に惹かれて楽しみにしていた作品を最終日前日に観にいきました。
う〜ん、確かに誠実につくられた作品ではあるのですが、いまひとつでした。
ナンニ・モレッティ監督自ら演じる精神分析医は互いに信頼しあい睦み合い亀裂や破綻などとは無縁の家庭を妻と高校生の娘と息子とで築いています。
精神分析医としても、職能ゆえか、本来的資質としてか、クライアントの挑発的な態度にも動じることなく常に穏やかです。
後半の彼の苦悩を描く布石として必用だと感じてでしょうか。
前半、診察室でのクライアントとのやりとりと、事故の前に息子が理科室のアンモナイトの化石を盗んだのではないか、という嫌疑をかけられた時に夫婦揃って、疑いを晴らすために関係した少年たちの家を訪ねたりする場面がかなり長い間続くのです。
(息子はアンモナイトはいたずら心で盗んだ、と告白するんですけどね。)
なぜ、いまひとつ、と感じたのだろうかと考えてみると、この延々と続いたように感じられた場面がその後の展開とそう密接につながってこないあたりで、です。

息子はある日曜日、友達とスキューバ・ダイヴィングに出かけ事故にあいます。父親とジョギングをする予定だったのに往診の依頼の電話があって海へ行くことになるのです。
素直で、穏やかな好青年に育った息子を不慮の事故で亡くし悲嘆に暮れる日々。
両親を気丈に支える姉。仕事に復帰していく妻とは裏腹に夫は「あの時往診を断っていれば…」という後悔に苛まれて立ち直れない。
日頃、穏やかにクライアントを受け止め、気持ちを楽にして外に向けての一歩を踏み出せるよう静かに励まし続けていた、その職業も最早続けていけない。
妻との間にもぎくしゃくしたものが。

そんなある日、息子宛に遠い町の女の子からの手紙が届きます。
サマー・キャンプで知り合った子。
ラスト近くでこの子がこの家族を訪ねてきて、息子がこの子に送った自分の部屋で写した写真を持ってきてみせます。
この家族はお互いに認め合っている、お互いに認め合っているがゆえに内面を推し量りはするけれど立ちいったりは決してしないのです。
自室でくつろぐ息子の数葉の写真は、家族にとって初めて見る顔でもあったわけです。
この息子が恋した女の子泊まっていったらとすすめられるのだけれど、男の子を道連れの旅の途中なのです。
ヒッチ・ハイクでフランス国境まで行く予定だという2人を乗せて、結局は一緒に国境まで行ってしまう3人。
この邂逅とドライブでこの家族には曙光が見えてきます。

息子には、恋する心を育て、自室でくつろぐ姿を見せたい思いも伝えていた女の子
がいた、そのことが息子の死を受け入れるきっかけになっていくであろうことを暗示する3人の寄り添う姿で映画は幕をとじます。

こうしてふりかえってみると家族の絆、喪失からの再生、個の尊厳を守っていくことを尊重していくこととそれにかかる負荷等様々な問いかけがある映画だったとは思います。
でもね…。


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みねこ

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