えすぱっ子
清水エスパルスユース紹介サイト

1982年04月02日(金) 選手紹介 1982年度組

 ちなみにJrユースでの基本布陣は、こんな感じ。

−−−−−高木−−山口−−−−−

−−−桜田−−−−−−大内−−−

−−−−−鈴木−−塩澤−−−−−

−村松−−藤田−−佐野−−渡辺−

−−−−−−−神戸−−−−−−−

 藤田直己・山口健が清水商、渡辺哲也が市立船橋、桜田和樹が静岡学園、大内真が静岡北、神戸佑介が清水東、そして佐野裕也は昇格はしたものの、3年生時に在学していた清水商へ「移籍」している。

 昇格後の布陣は、こちら(高3高2高1


村松 潤 1982.04.10 [170cm/60kg] 左SB・左MF・ボランチ 「ジュン」
  静岡FC/中田SSS(静岡市中田小)→清水Jrユース→清水ユース(静岡学園)
  U-16日本代表(98年)
  趣味:買い物、漫画「東京トライブ2」

 82年組カルテットのトップエリート。類い希なるサッカーセンスを持つレフティ。ユース時代から多くの黄色い声援を受けた、正統派ジャニーズ系でもある(笑)。
 Jrユースから不動の左SBで、U-16代表でも絶対の存在。彼の負傷離脱が、史上最強を謳われた98年U-16代表が、早期敗退する要因にもなった。ユースでも1年時より左SBで活躍し、2年では完全に主力に。しかし、高3では新任のゼムノビッチ監督により、佐野裕也の移籍などで直面した最終ライン危機への対処を任されCBを兼任、新境地に挑戦する。体の入れ方に職人芸を見せ、長身選手にも仕事をさせず、予てより指摘されてきたフィジカルコンタクトを嫌う消極性から脱却。一方で、よりプレスの厳しい中央に位置しながらも、機を見た攻め上がりは健在、プレーの幅を大きく広げた。

 攻守両面における柔軟性は、最大の特長。撓やかに相手の前に入ってスクリーニングする、競り合いでのポジショニングの良さは、堅実な守備から機を見た攻撃参加という、村松の基調を形成している。センス溢れるテクニシャンで、左足のキックは豊富な球種を宿す。中でも、小さな振りながら素晴らしい伸びを見せるアーリークロスは、正確無比。アウトサイドキックやシザースフェイントを混ぜ合わせたトリッキーなドリブル突破からの、センタリングや流し込むようなシュートも得意としている。
 また、自ら突破するだけでなく、ビルドアップの創造性も高い。多彩なキックが活きるのは、後方からも試合を創れる視野と展開力があるからこそ。CBや中央でのプレーを積んだことで、前線への飛び出しが意図を持ち、鋭さを増した。ショートレンジでも、絶妙なコンビネーションプレーが光る。
 冷静に考えられたプレーをする選手だが、多用な判断を求められる役割・状況だと、バランスを重視して考え過ぎてしまい、結果として無難で弱気な選択になってしまう。悪いことばかりではないが、一つ一つの判断の速度は上げる必要はあるだろう。プレー面でも、調和の取れた能力を持つが、強引に自分で決めてしまう武器はない。フィジカル的には弱い選手だが、左SBということを考えれば、まずはスペースを駆け上がる思い切った展開と、それを可能にするスピードは身につけたいところだろう。


鈴木 隼人 1982.05.13 [177cm/67kg] ボランチ・トップ下 「ハヤト」
  静岡FC/麻機SSS(附属静岡小)→清水Jrユース(附属静岡中)→清水ユース(静岡学園)
  静岡国体少年選抜(00年)U-16日本代表(98年)
  趣味:犬の散歩、ラジコン

 00年度ユース主将。メニコンカップMVP男(エスパルス二代目)。
 Jrユース時代は、切れ味鋭利なドリブラーとして名前を知られていた。高1では出場機会は限定的だったが、翌年、行徳監督が導入したシステムは、MF4人を攻守で役割分担をせずに、フラットラインで並べるもの。この時は、強健な守備をする吉崎と組んだこともあって攻撃偏重の向きも強かったが、最後の年にゼムノビッチ氏が監督に就任すると、アルゼンチン遠征ではCBの経験も積み、攻守両面で試合に大きな支配を及ぼすセントラルMFとして大成した。中でも、途中交代で3点差を引っ繰り返したJユース杯横浜戦の衝撃は大きく、ヒーローインタビューを受けるアップの顔がJスカイスポーツで放映、全国デビューを果たした(笑)。

 高いキープ力から繰り出す、正確な左足によるワイドな展開は、大きな魅力。重心の低い体勢で足下に収めるのが上手く、その上に確かな足下の技術があり、簡単に相手にボールを奪われることはない。ロングフィードは、力強く低い直線を描いて、狙ったゾーンにピタリと落とす。正確なだけでなく、スピードがあり、クリアできない極限の高さを平行移動するので、処理すべきDFには非常に嫌なことだろう。これを武器にセットプレーも担当するが、曲芸派が多い清水では、希少な存在といえる。体を張る守備もでき、最終ラインの前の防波堤としての役割も務める。
 一方で、県選抜などでトップ下に入った時には、中学時代を想起させる鋭いドリブルからのスルーパスなど即興性の高いプレーで魅せる。左足はミドルシュートにおいても威力抜群で、低い弾道で積極的に狙ってくる。リズムに緩急を付けられる知性を感じさせる選手であるが、忘れてならないのはその闘志。大人しいチームを叱咤しては、勝利への意欲を注入し続けた。ミドルシュートにも非常に積極的。
 技術は高く、フィジカルも平均以上あるのだが、運動量・機動性は乏しいのは課題。なまじキープ力があったものだから、数タッチで素早くパスを回すような、判断速度を磨く機会に恵まれなかった。特にパスを待って受けてしまう傾向は、早急に修正する必要がありそうだ。受ける前に周囲の遠近を見て、予め判断を下し、持ち過ぎないようにしたい。


高木 純平 1982.09.01 [170cm/62kg] 左右MF・左右SB・FW 「ジュンペイ」
  熊本YMCA→TOAスポーツJrユース→清水Jrユース(清水第二中)→清水ユース(清水商業)
  静岡国体少年選抜(00年)U-17NT(99年)
  趣味:サーフィン、プラモデル・フィギュア収集「スターウォーズ」「ガンダム」

 熊本人。肥後っ子。ブレイズ熊本に所属したという情報もあり。
 中1の途中、父の沼津転勤に伴い、純平のサッカーのため、家族で清水に移住。JrユースではFWとして活躍し、クラブ選手権でこそ優秀選手に選ばれたが、代表選出はなく、常に評価されたのは共に2トップを組んだ山口健(→清水商業)であった。しかし、クラブの評価は揺らぐことなく、高1ではFWに定着。高2では併せてアウトサイドにも挑戦すると、このポジションで高円宮杯平塚戦の意地のドリブルシュート、Jユース杯神戸戦では伝説に残る左センタリングエリアからの同点ドライブシュートを土壇場で決め、栄達を掴む。高3では、ゼムノビッチ監督により左右MF・左右SB全てのアウトサイドで起用、生来の強気は高いゴールへの積極性を引き出し、最強ユーティリティープレーヤーの地位を確立した。

 ユーティリティーという言葉から、柔軟な発想を持つバランスに長けた選手と思われがちだが、むしろ逆。ボールを受けた際に選択したパターンを、貫き通すタイプ。ジェネラリストではなく、自ら語る通り「スペシャリスト」なのである。斯様に愚直で不器用なプレースタイルでありながら、各ポジションへの高い適用性を与えているのは、尖鋭な程に磨き上げた自分の形に、絶対の自信があるからだろう。
 特に「必殺技」とさえ言えるのが、縦突破から切り返して放つドライヴシュート。応用で、ゴールに向かい突破しながら、DFが半身ずれた瞬間に放つパターンも持つ。ゴール前の人垣を無効にすべく飛び上がり、直後、鋭角に落ちる佳美な曲線は、数多くの劣勢や膠着状態を打破してきた。第二の得意技は、俊足を生かして縦に抜けトップスピードのまま送り出すセンタリング。深く足下に入れて突破するドリブルは、簡単に相手に奪還されることはないため、スペースのない場合には、独力で崩して突破することも可能。「必殺技」を繰り出す際、遜色なく両足の左右二択を有する点も大きい。村松と並ぶ端正な顔立ちも、エスパルスにとっては大きな武器に違いない(笑)。
 一方、瞬時の判断力・対応力に欠け、局地戦でのパス回しや密集地からのダイレクトシュートなどでは、信じ難いミスを犯すことがある。フィジカルも弱いので、守備も下手ではないが、やはり周囲の状況変化への対応に柔軟性がない。また、俊足にしても長い距離を走る加速型であり、一瞬で振り切る速さはない。あくまで、首尾一貫した流れるような連続性にこそ、最大の魅力のある選手である。


▼鶴田 達也 1982.09.09生 [190cm/72kg] GK 「ツルタ」
  田子の浦SSS(田子の浦小)→田子の浦中→清水ユース(静岡学園)

 富士市出身の大型GK。田子の浦中サッカー部からの外部参入組だが、高1から何度か出場機会を与えられ、クラブの期待の高さを伺わせた。しかし、高2の夏に足を骨折する重傷を負い、ほぼ半年を棒に振ってしまう。その間に一つ下の学年で、フィルダーとしての能力も長けた万能型の浅山が台頭。勝負の高3の年は、168cmの村松ががCBに回った時は先発を掴んだが、1年生の本職CBコンビ・高山&渡邊が組む時は、浅山にポジションを譲ってしまう。最終的に村松はボランチに固定され、それに伴い鶴田はポジションを喪った。昇格も無理かと思われたが、第四GK探しに苦労したチーム事情もあり、社員選手としてトップ契約を勝ち取った。

 やはり、何と言っても190cmの身長が、最大の強みである。空中戦では思い切りも良く、ハイクロスの対応には溌剌とした姿を見せる。また長身でありながら身体的バランスがとれており、至近距離からのシュートにも機敏な反射動作を見せる。ロングキックも良い。
 一方で、最も欠けているのが「自信」。性格的にも大人しい方なのだが、エリート集団たる清水ユースの中で国際経験・全国経験に乏しいという点からか、妙に気後れしているように見える。本来の身体能力・運動能力は良いものを持っているので、精神的に集中していれば信じられないスーパーセーブを連発するのだが、調子を落とすと信じ難いイージーミスが続出する。自信の無さが顕著に表れるのがオープンプレーで、飛び出すのを躊躇することが多く、守備範囲を自ら狭くしてしまっていた。ユースでは村松のカバーリング能力で補完していたが、今後は改善が必要だろう。


塩澤 達也 1982.11.11 [165cm/62kg] FW・右MF 「シオ」
  静岡FC/大谷SSS(静岡市大谷小)→清水Jrユース(静岡市高松中)→清水ユース(静岡学園)
  U-16日本代表(98年)
  趣味:サーフィン、買い物、読書

 清水ユースが平松に次いで世に送り出した、稀代のエンターテイナー(笑)。
 Jrユースでは、隼人と同様にドリブラーとして中盤から仕掛けるのを得手にしていた。U-16代表では、天性のクイックネスを重用され、スーパーサブとしての起用。清水でも、その後は専らFW起用されるようになるが、純平にポジションを奪われがちなど、2年生までは不本意な状況が続いた。しかし3年時、サテライトに出場した塩澤を、当時のトップ監督ペリマン氏が「FWの動きを熟知している」と絶賛、村松と共にACWC決勝ラウンド帯同メンバーに。ユースでも長沼と、地上戦要員と空中戦要員、速さと高さ、チャンスメイクと決定力と、絶妙の補完関係を築いたが、国体静岡選抜の練習試合で頚骨骨折、4ヶ月の重傷を負う。大事な3年生の後半を全て棒に振るが、それでも順調にトップ昇格を勝ち取った。

 「和製ロマーリオ」という異名の所以たる、トリッキーな足技と豊かなスピードが身上。静から動への一瞬の速さと切り返しの技術で、DFの網をすり抜けてシュートを放つ。ペリマン氏が賞賛したようにオフ・ザ・ボールの動きに長け、隙を見て相手DFラインの後方に抜け出すのが上手く、混戦のゴール前でも真価を発揮する。得点や決定機逸の場面では大声で吠えるなど、性格は積極果敢で、勇猛で、時に傲慢。己の一瞬の判断に賭けられる傲慢さは、思い切りの良さに結びついている。位置や体勢を意に介さず、高い得点意識を常備する姿勢は、独特の怖さを持つ。
 だが、ただのクラッキではない。小柄ながらフィジカル能力は高く、足下のポストプレーには滅法強い。精力的にプレスを掛け、献身的にフリーランニングを前線で繰り返す。MF経験もあり、前線から下がってビルドアップが可能な点も見逃せないだろう。
 高さの面では、やはり大きなビハインドを背負っていることは否めない。小気味よい判断をするが、ロングキックや曲線的な動きは苦手にしているため、空中戦も含めた大きな展開ではあまり生きてこない部分がある。フリーランニングは時に独善的で、出し手と呼吸が合わない場面も散見される。幾多のシュートを放った上で最後に決める傾向はあるが、ゴール前での落ち着きを求めるのは特色を消すことになるか。


→1983年度組へ


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ひかる。 @H.P. [MAIL]

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