2003年07月19日(土) |
死んだあとも存在しますかねえ |
死ぬことは怖いですか、皆さま?
うちの母は、「死ぬ瞬間はたぶん苦しくないと思うから怖くない、 その後は無になるから怖くない」と昔から言っています。
大体死が怖いと思う人は、死んだ後無になってしまうのが 怖いと言いますね。ワタクシはと言うと、 死んだ後何か存在するのか、それとも無になってしまうのかは、 考えても考えても想像の域を出ないので 考えるのは止めました。
なのでそれは置いておいて。 今いる知己の人々と別れるのは大変寂しいと思うのです。 自分はわからなくなるならいいとして、残した人が 悲しむだろうと思うと、やっぱ自分も悲しいわけです。
その中で、病気で死ぬというのは、いい方かなあと 最近は思うのです。病気の症状にもよるけど、 事故や災害や犯罪の被害などで、自分にも家族にも 何の予測もなく、あっけなく逝ってしまうよりは、 少しずつ、少しずつ、別れの準備をしていく方が 余程お互い納得できているような気がします。 (死んだ本人のその後は知りませんが、生きているうちの 心持ちは、その人の考え方でいかようにでもなっている部分が あるように見えます。)
自分をまた横において、今この年で、さらに仕事を離れて 個人的に不思議に思うのは、かなりの高齢になった人でも 「自分だけは死ぬはずがない!!!!」 と固く信じて、死に対して大変な恐怖と抵抗を 繰り広げる人もいることです。 (念のため、妄想の種類のうち、 「自分は永遠に生き続けなればいけない」 というものがあるのですが、そのことではありません。 また、病気の告知がうまく行かず、そのため 「死ぬような病気ではないはずだ」と本人が 思っているということでもありません。)
「高齢者はよく口ではいつ死んでもいい、などと言うが、 それは本心ではない」と言う人もいました。 でも・・・・・・じゃあ、いついつまで生きればいいの? いつまで生きればその人は満足なのでしょうか。
他人の死生観に、諦めるべきだなどと押付けるつもりは ないですが、どうしてその人が、自分は死なない、自分こそは 死ぬはずはないと考えるに至ったのか、そこに興味があります。
わたしはどっちかというと、 絶対死ぬよ、死ぬ死ぬ、あー死ぬ。 だって毎日ちょっとずつようやっと幸運で 生きて来れたんだもん。
と思っていたりしますから。
だから今日はっきり思ってることを言うんです。 今日死んでもおかしくないから。 嫌です。こう思います。って。 おかしいと思うことはやらないんです。
あの人は、どう考えているのかな。 そういう話もして見たい。
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