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2002年11月09日(土) 職業と患者役割・本論

役割。

在宅、訪問看護の場合。

病院で出会ういわゆる「入院患者さん」よりは、
ずっと自然体でわたしたちを受け入れてくれることが多い。

それでもしばしば、自分の職業に大きな誇りを持ち、
自宅にいて仕事と離れた場面でも、ずっとその役割で
いつづけようとする方にもお会いする。
 初回訪問でそう感じられた時は、相手を
何とお呼びすれば良いか、訪ねる時に配慮する。
教職や医者、作家、政治家(?)などなど、物を教えたり、
人から「センセイ」と呼ばれていたような利用者さんには
「先生」と呼んでいいのか尋ねる。

 わたしの同業者はわかってくれると思うんだけど、
そうではなく何で?と思った人。
だってね、教職の人って、ご近所の人にまで
「先生」と呼ばせることがあるじゃありませんか。
地域によったり、その家のカラーにもよりますがね。
そういう人は就業時間の呼称を、
私生活にも広げて当然と思っている人なのです。

そういう人もいらっしゃるのです。

 おかしいと言えばおかしいんですけどね。
 別にワタクシこの人の生徒じゃないし、とか。
 家でお父さんだと近所でも「お父さん」って呼ばれることもあるし。
 お母さん、お祖父ちゃんお祖母ちゃんもそうですね。

高齢の方の呼称として、医療・介護の患者・利用者さんを
おじいちゃんおばあちゃん呼ばわりするというのは
もうだいぶ無くなっていますが、日本の地域の文化としては
根強いものがありますね。
 関西人ではないワタクシは、大阪で
 「ねえちゃん」と呼び止められると、
 ちょっとムッとしたりしますが。
 (ごめんね悪気がないのは知ってるんだけど。慣れの問題よね)

閑話休題。

人によって「いやあ」と言いながらも嬉しそうであったら、
それは「そう呼んで欲しい」というサインと判断することが多い。
 中には「いやいや、もうずっと昔に引退したので
それは勘弁して下さい」とおっしゃる方も。
その場合は苗字でお呼びする。

 しかしその程度で済む気がする。
いつまでもケアの内容まで「先生」として、
高圧的に訪問看護に指示しようとしたりする人には、
今の所お会いしたことがない。
職業役割というより、私的な性格も奔放なんだな、と
いう人はああしなさい、こうしなさい、ちょっとアンタ、と
いう感じで生涯接して来られたりしますが(笑)。

今の所、ワタシの経験ではそのような
「ワガママお嬢さんタイプ」は圧倒的に女性が多いです。
女性は強い?

男性は体が弱って、家にいるようになると、何だか
気落ちしてしまうのでしょうか。それも気の毒な気がする。
おお威張りで堂々としていた人なら、年をとっても、
障害を持っても、家で過ごすようになっても、
ずっと堂々としていて欲しい。

ちょっと命令口調になったって、ワタクシは許します
(て言うのも偉そうだね。いえある意味、ははあ、と
頭を下げる時ほど心の中では静かにプロとしての誇りを
感じていますから。それが不遜であることは自覚してます)。

誇りは持った方がいい。

 それによるリスクや負の見返りは充分その人たちは
受けてるんです。変わらない誇りであれこれ頼むその人に、
「老体のくせに」「『元』センセイか、偉いねえ」
「病気のくせにワガママばかり」
家族や親戚から冷たい視線を浴びせられている人もいます。
プロ意識が足りない介護・看護サービス従事者の中には、
何を勘違いしたのか、家族や親戚なら在り得るこのような
「私的な感想」を、ご本人にあからさまにする者もいます。

 高く伸ばしたプライドは、飛び出せば飛び出すほどへし折られる・・・。
それもまた、痛々しく、この上なく悲しく目に映るのです。


 生活や立場に合わせて自分の役割を変えていくのは、
あくまで本人の自然な心の変化があってからでいい。
それを他人が強要するのは激しく本人を傷つけます。
そうでなく、少しずつ、少しずつ、
仕事をしていない自分も大切にされるし、
家にいてもいいし、その価値があるのだと
思ってもらえるように・・・。

 
そのためにほんの1時間ばかり、訪問看護が
「先生」「先生」とお呼びし、こんな偉い方の所を
訪問させていただいて嬉しいとばかりに
ニコニコすることなんて、

なーんにも苦にはならないのでした。


 

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