2002年10月06日(日) |
ファイル整理で寄り道 |
古い書類やファイルを整理する。 数年たって役に立たなくなるのを待って、やっと捨てられた資料が多くて。 とかくワタクシ、他の物とは違って仕事・学生時代の書類は、 捨てられないんスよねえ。 だから、写真も、整理するのが大変だからあんまり撮らない。 捨てたら捨てたで、絶対記憶に残らずに忘れてしまうから、 ホントは何でも捨てたらいいんだよね。
で、看護関係の資料でも、書籍はどんどん新しいものが出てるから 簡単に捨てる。行政関係の資料も同じ。 捨てられないのが、自分や他人が書いた文章やレポート。 これってここにしかないもんだから・・・ しかも、こうやって整理の度にたまには読み返すと新しいことや、 自分の初心を発見したりして・・・
いつも思うのは、 ワタクシ、10代の頃が一番飛ばしてましたなあ。 セミナーのレポートで、キューブラー・ロスのあの、 あの超有名な著作、「死ぬ瞬間」の5段階に!! 「そうではなく受容―否認の間で果てしなく行き来を 繰り返すだけなのではないか」と、反論を展開していました…ハハハハハ。 同じ汗の仲間は全国多数と思います。今もいますか。 5段階説に「違うじゃん!」と言ってしまった方。
若いっていいね。文章とか、硬いけど、今よりよほど。 素直さ(自分はどう思うかの自覚)と、気概と、えーと (何か書こうとした言葉、忘れた。後で直しておくかも) ○○を、もう一度。
最近、考えると、現場に居にくくなるよ。 すごく閉塞感を感じる。 どうして、看護はもっと考えられるのに、 考えられる素材を持っているのに、 現場は安直に行こうとするの??? 手持ちのカードだけでやっていこうとするの? たまには他人のカードと交換したり、山から引いたりしてみろよって 言いたい。全部取り替えろ、とは言わないからさ。
ちなみに、自分、手技的な技術はすんなり学んでいたようだ。 看技はいいな。単純明快。教えるなら看技担当がいいでしょうね。 自分で今学びなおすなら、当然「在宅」をやりたい。 今は「地域看護学」ですね。で「利用者(在宅では患者とは言わない) ―看護者間の人間関係におけるストレス」をやりたい。 これは、ワタシというより、訪問看護の課題で、焦点じゃないかと 思うからなの。 続くかも。
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