2002年09月24日(火) |
人生はたまたま地上に半分廻る |
読書話。
エリザベス・キューブラー・ロス「人生は廻る輪のように」 (角川書店;1998)と、中島義道「たまたま地上にぼくは生まれた」 (講談社;2002年9月)を読み終えた。
平行して読んでたもんだから頭がおかしくなってしまった。 大概の本はごった読みにしても(結構やります。著者には失礼な読み方かも 知れないが)、好きだからって、大概の本はごった読みにしても、 届かないほどある意味敬愛するこのお二方の著書は、 一緒に読むもんではないです。
しかし、感受性が強く、勉強ができ、そして真摯な思いと いつも暮らして過ごしたキューブラー・ロスと、 中島氏の幼年時代の感受性は似通っていて、そして別の方向へ向かった。
33歳でウィーンに留学するまでは日本に生まれ育ち、 生きにくい生きにくい、と思いながら苦しく生きてきたと言う中島氏と、 時代背景のため、否応無しに人種や宗教、人生や命の問題を突きつけられる 環境に育ったキューブラー・ロスは命と人生には正反対の結論を出した。 (結論というか、中島氏は小学生の頃からの思いだけど)
「死は存在しない」(キューブラー・ロス) 「どうせいつかは死んでしまう」(中島)
対極のことを両者は強く、強く主張するのだけど、 不思議に同じようなことも言っており、それは妙に納得する所だ。
「大切なのは自由選択」
やっぱそうだよね。
「唯一価値があるのは成長すること」
「深く考えて見ることで道が開ける」
開けるのだろうか。 そうなのかも知れないし、そうでないのかも知れない。 ただ、死後の世界を信じ、希望に満ちたメッセージに溢れているにも かかわらず、ワタクシにはキューブラー・ロス博士の言葉の方が、 無性に悲しく、切なく感じられるのでした。
ワタクシの信じることは 「いつかは死んでしまう」ではなく、 「明日は死ぬかも知れない」です。
不確定な明日のために、 今日や、今伝えたいことを犠牲にするのは、止めたのです。 だから、自分の信念は他の誰にも止められない。 そのことを自分は知っています。 だからこそ、正しくないことを言うかも知れないワタクシに、 誰かが何かを言ってくれることをも期待してしまうのです。
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