けんたのプロレス&演芸論
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2002年02月09日(土) 第2回 レスラー論 西村修

 レスラー個人個人について語ってみる。最初に誰を書こうか、と考えたときに、不意に西村修選手(以下敬称略)が浮かんだ。それ自体が僕にとっては意外なものではあるのだが、浮かんだからには何かあるのだろうから話を進めてみる。

 西村修を生で見たことはない。僕の数少ない生観戦には新日本が入っていなかったからだ。だからライガーも蝶野も武藤も健介もない。新日の人間で見たことがあるのは猪木だけだ。しかも見たときは僕は赤ん坊だったから記憶はない。話がそれた。西村修については、生観戦がないのはおろか、テレビ観戦も数えるほどしかない。表舞台に立つ機会が少ないように思われる。

 僕が最初に西村修を知ったのは「ヤングライオン」時代。みんながみんな「とんがっていた」中で、妙に落ち着きさえ感じたのを覚えている。そしてその後、彼がガンで戦線離脱するあたりまで、僕の中で西村修はほとんどゼロの存在だった。

 週刊プロレスのインタビューなどで、彼のガンとのかかわりを読むにつれ、そして彼がやたらと発する、現代文明への警鐘、「ファンはバカです」、そして「無我」。それらのメッセージを受け止めきれない自分に気づいたあたりから、僕の西村修観がおぼろげながら現れてきた。

 西村修は稀有なレスラーである。

 それは、彼が全身プロレスラーであることによる。リングを離れてなおプロレスラー。彼自身がそうであろうとしているのか、あるいは自然に生きている結果そうなっているのか、もしくは僕からそう見えるだけなのか、はわからない。かつてリック・フレアーはリングを離れてもなおチャンピオンでありつづけたという。そんな空気を、西村修に感じる。
 ガンとの闘いが、彼に光を与えたのかもしれない。正直言って、彼が戻ってくるとき、僕は心配でしかなかった。どこまでプロレスラーでいられるのだろうか、と。壮絶な闘いから復帰して、並み以下のレスラーでおさまってほしくはなかった。その心配はまったくの杞憂であった。

 新日本プロレスは、西村修を大切にしなければならない。彼を切り捨てる、あるいは彼に切り捨てられるようなら新日本プロレスに先はない。「蝶野革命」はプロレスをやろうという革命だ、と僕は読んでいる。ならばこの全身プロレスラー、西村修を活かさない手はない。
 西村修はプロレスラーだ。骨の髄までプロレスラーだ。だからこそあえて言いたい。「無我」を離れるべきだ、と。西村修の理想が「無我」に全て詰まってるとは思えない。もっと高みを欲していい。その高みとは「無我」ではなく「プロレス」そのものなのではないだろうか。


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