情報があふれていると情報に左右されやすいというが果たしてどうなのだろう。飽和するほど情報があふれているとむしろ情報そのものを疑い始めはしないだろうか。情報源がラジオと若干の紙媒体だった頃には比較すべき対象がないまま情報を受け入れていたのだから。