変化? - 2015年08月05日(水) 怒りっぽくなったし口が悪くなったと思います。 自分自身が。 後者について。 口語ではべらんめぇ口調的というか、語尾の母音周りが雑になったし、 ネットで使うことはあってもリアルでは避けていた表現が真っ先に口から出てきがちに。 理由を付けても結局はヒキコモリなので、対人スキルの劣化が表面化してきたのだと推測します。 元々、大して気配りのできる人物に成れてもいませんでしたし。 単純に、喋るための筋肉回りが鈍ったのに伴なって、より発音しやすい表現を選んでしまっているというのもありそうですが。 口に出してから、あーあぁ…と地味に後悔しています。 そのうち後悔もしなくなってしまいそうなので、そこくらいは踏みとどまらねば。 前者。 多感な多感な高校〜浪人時代に、ここでも結構愚痴やら鬱ループやらな気持ちや思索を散々書いていたように思います。 その時はほぼ確実に自分の内側に興味が向かっていて、自分自身が糾弾対象になっていたように記憶しています。 内省的、とでも言いましょうか。 自分のココがダメだ、ココがイヤ、あるいは自分はこう思うんだからこれが正しいはず、だとか。 思い返すと最近は文句を言う対象が大体外にあるなぁと。 最も身近な他人である家人に対する不満がかなりの割合で、 「家人」と表記している以外の家族に対する苛立ちとか拒絶、 スーパーの店員の態度、公共施設で見かけたマナー違反、公道上での他人の振る舞い…。 他者の瑕疵をあげつらってばかりいることに(ようやく)気がつきました。 多分、外に興味が湧いてきた、というより、自分自身に対する興味が減退しているんだろうな、と思います。 注意して観察して、しっかり取り扱っているつもりでいたのに、勝手に壊れるような。 確率やら運命やらのファクターが大きすぎるゲームに嫌気が刺したような。 状態の良し悪しの見極め手段が自身の感覚よりも医師と検査結果が完全に優位に立ってしまったというか。 今はテキトーにぬるま湯につけてほっとけばとりあえず新しい破損はないし?くらいの。 許可しなくったってあなた(身体)勝手にするじゃない。知らないそんな子。 という気分なのかなぁというのが久しぶりの自己分析遊びで出てきた可能性なのでした。 Twitterでは否応なく誰かの目を汚すことになるので愚痴を言いたい時はこっちに書くことにしていくかもしれません。 本当はいっそのこと、病名やら家族構成やら、もっと具体的に言及して プライベートを語れる場が欲しいようなきもしていますが、 手広くやると三日と持たずに放り出す性分なのでひとまずは保留。 -
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