★悠悠自適な日記☆
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2007年12月17日(月) 摩擦のある風景

言いたいことを何でもかんでも思いついたままポンポンと口にしてしまう悪い癖。
それが時々熱が入りすぎて高圧的になってしまい、友達に怒られる。反省。

「溜め込んで苦しむくらいなら喧嘩してでも意思疎通を図りなさい」

というのがフィガロと卒公でお世話になった先生のお言葉。
でも、言いたくても言葉にできない子もいて、そういう子を相手にバンバン言葉攻めすると、そりゃあ苦しいわな…。喧嘩できたらいいけど、できん子もおる。

本当は話を私に聞いてほしいだけで、答えなんか求められていないのだろうなと思う。
だけどつい答えや結論を引き出さなければならないと思ってしまって、バッシバシ言葉でまくし立ててしまう。せっかちだから、答えばかりを早く求めてしまう。聞きべたで嫌になっちゃうなー。

でも、空気察せよと思う反面、喧嘩できる術を持った人とぶつかりたいと望んでいたりもする。
自分ばかりが主張しまくっていてもそれは暖簾に腕押しをしているようなもので虚しい。自分が主張するためには誰かが主張してくれないと張り合いが無い…とまで言うとおこがましいけれど。そういう摩擦の中からものが生まれればいいのに、と思う。

みんな素直に創作者の言うことを聞いて、ニコニコ作って…そういう理想像は私だって持っているけれど、きっとそれは温いことで。仲間のことを信じて欲しいけれど、同時に、ものをひとつ生み出すことに疑いの目を持たないととも思う。ものを作るって、興味や疑問を持つことから始まるのでしょう。提示されるものをただ鵜呑みにしてはいかんのです。演者は創作者のコマになったらあかん。積極的なアプローチを。

(…でも高圧的に攻め立てて追い込んだらあかん。よよよよよよ。。。。)

今回の公演では、自分の作品を抱えつつ、人の作品にも出演させてもらっている状況。
創作者、演者と両方の立場でクルクルバタバタしていて、ついでにちょっとピリピリもしていて、ちょっと自分の身の置き方を間違えると一気に混乱を招きます。だから慎重にならなあかん…と言いたいけれど、ある程度そういう苦しみに陥ることは作品作る上での通過儀礼かなーと思って開き直っていたりもします。足の引っ張り合いはあかんけど、摩擦があったっていいじゃん。

創作者ひとりひとりが、ひとつの作品を背負いきる孤独と闘っている。
でも孤独を背負ったみんなが集まっている不思議な現場。
自分自身の作品と向かい合いながら、他の創作者の思想に直接触れたり出来る。

しんどいです。

でも、そういう摩擦の中にいられることに、私は毎日ドキドキしています。


だけどまぁ、ちょっとだけ自重。


嶋子 |MAILHomePage

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