沢の螢

akiko【MAIL

My追加

敬老の日に
2006年09月18日(月)

旗日の設定が変わり、ウイークデイに祝日を作らず、土日に続く月曜日になったことで、以前は、固定していた祝日が、毎年動く。
9月15日に決まっていた「敬老の日」が、今年は、今日である。
一昨日、ある会合で、「何も、土日と続けなくても、いいのにねえ」という意見が多かった。
三日続きにすれば、小旅行などに行きたい人には便利だし、会社にとっても、間に休まれるよりも、かえって効率がいいと言うことなのだろうが、国民が、同じ日に、一斉に休むと言うことが、果たしてそんなにいいことなのかどうか、疑問に思う。
月曜日の授業は、ほかの曜日より時間数が少ないので、年単位の授業計画が、立てにくいという話を、ある大学の先生がしていた。
授業時間が少ないからと言って、給料に差があるわけでもないだろうが、時間給で貰っている講師などは、収入に響くかも知れない。
また、三日間という休みは中途半端で、家庭の主婦などは、家族が居る分、家事が増えるだけということもある。
みんながそうそう、お金のかかる旅行や、外食ばかりして、過ごせるわけでもあるまい。

昨日、母から電話。
「元気?」と訊いているが、本当は、自分がそう訊いて欲しいのである。
8月に行ったきり、ひと月も無沙汰をしてしまった。
ちっとも顔を見せない娘を、気にしているのである。
私も、もう、高齢者のカテゴリーに入っているのだが、母にとっては、いつまでも、娘であり、その世代は、子どもが親のことを気遣うのが、当たり前だと思っているところがある。
しかし、60才半ばを過ぎた私自身も、もう、若い時のように元気なばかりではない。
出かけること自体が、もう、億劫だと言うことが増えてきた。
この前行った時、私が膝の痛みを訴えたので、母は心配して、持ち合わせの湿布薬を貼ってくれた。
いつまでも、親は有り難いなと思い、本当は、言いたいことがあったのに、胸に納めて帰ってきた。
その後、避暑に出かけてしまい、そのままになっていた。
「悪かったね」と謝ったが、母は耳が遠いので、あまり込み入ったことは、電話では通じない。
連休が明けたら、墓参りに行くことになっているので、その帰りに、行こうと思った。

「元気な人には働いて貰って・・」などと言うことを、自民党総裁選の、さる候補者が言っている。
いかにも、男の発想だと思った。
家庭で夫を支えて、過ごしてきた女たちには、どんな言葉を掛けてくれるのだろうか。
また、男にとっても、仕事だけが、人生ではない。
日本の高度成長期、豊かさへの橋掛かりとなって、充分働き、これからは、老後を心豊かに過ごしたいと思ってリタイアした人たちに、まだ、会社みたいな働き方を勧めるのか。
ちょっと発想が貧困すぎないか。
子どもの受難が増えている今、気持ちに余裕のあるおじいちゃん、おばあちゃんの出番を作るとか、若い人たちに、生活の知恵を引き継いで貰うとか、席の空いた大学に、もう一度勉学の機会を与えて、授業を活性化させるとか、いろいろ多様な道がありそうだ。
私の住む市では、幸いこの方面に積極的な市長さんになってから、市民に大学を開放するやり方を取り入れている。
ネットワーク大学と名付けて、昨年から、様々なプログラムを、設けている。
以前の市民講座というと、あまり専門的でない、趣味や健康、入門的なノウハウ物が多かった。
このところ、様変わりしている。
平日は、夜間にも半分くらい時間設定している。
先日、募集した秋期のプログラムのうち、「臨床心理学」と「比較宗教学」という、回数の多い、まじめに取り組む型の講座が、すぐに満杯になった。
高齢者対象と言うわけではないが、前回の例から、多分、半分くらいは、シニア受講生であろう。
今や、もう、小手先の市民講座よりも、こうした物にニーズが高まっているのである。
孫の面倒を見るだけ、受け身で介護をされるだけの、おじいちゃん、おばあちゃんのイメージは、もう私の世代くらいからは、無くなっている。
介護の形も、変わって来るであろう。
高齢者に対するイメージを、変えて行かねばならない。
かといって、若い人と同じ働き方を、強要しても、うまく行かない。
長い人生経験と、生活感覚の中から産み出された知恵、心のゆとりから生まれる、人間に対する見方、感じ方を、いろいろな場で活用し、役立てて貰うこと。
高齢者を邪魔者扱いにして、サービスの質を減らすなど、もってのほかである。
下記の記事を読んで、示唆されること多く、私も、あらためて、その世代に属する人間として、考えてみた。


「SNSって?」
2006年09月14日(木)

昨年あたりから、ネット界で話題になっているソーシャルネットワーキングサービス。
そのパイオニア的存在の mixi 会員数が570万人になったとか。
時代の先端を行く成長産業と言うことで、株式公開し、ニュースになった。
私はまだ参加していないが、会員になるには、すでに会員になっている人からの招待が必要なんだそうだ。
誰でも参加できる、その辺のネットコミュニティとは違いますよと言う、一種の差別化で、逆に人気がでてきたらしい。
人間は、見知らぬ人との関わりを避けたい反面、何処かに自分に合う社会はないかと、追い求める気持ちがあるから、そこを撞いた、うまい商法といえる。


私の周囲で、話題に出ないのは、元々IT 化の浸透していない中高年社会であるから、当然だが、すでに、この世界に足を踏み入れて、6年になる私には、今までにないコミュニティのあり方として、すこぶる興味のあることである。
「招待メールが来ないので・・」と、参加しているヤフーのグループで書いたら、「よろしければ紹介しますよ」と言ってくれる人がいた。
その人とは、ネットグループのメンバーというだけの付き合い。
顔も名前も、どこに住んでいて、何をしている人かも知らない。
ネットの交流には、必要ないからだ。
その人も、顔見知りでもない、ネット上の仲間から、招待メールを貰って、会員になったという。
ミクシイだけでなく、いくつかのSNSに、同じやり方で参加しているらしい。
じゃ、会員はみな知り合いばかりで、安心ですという謳い文句と、ちょっと違うではないかと思うのは、ユーザーの側の危惧で、経営者、あるいは主催者にとっては、参加者の個人情報が分かっているから安心だという意味なのであろう。
ヤフーでも、無料でIDを持っている人には、参加資格がなく、有料利用者のみに、参加を許されている。
有料なら、お金を払い込む関係で、利用者の本名も、そのほかの個人情報も、サーバには分かっているので、どこの誰だか分からない利用者とは、違うと言うことなのである。
連れ合いは、ヤフーの有料サービス利用者なので、SNSに参加できる。
まず、連れ合いに入って貰って、その紹介で、私も会員になれるのではないかと言ったが、「友達の友達の、またその友達と・・と広がっていけば、結局、従来のネット社会と変わらない、知らない人ばかりの集まりと同じだよ。ネットに起こる問題は、そこでも起こるよ」という意見で、敢えて、参加する気はないらしい。
SNSについては、今までに何度か、テレビでも取り上げられた。最近は、爆発的に参加者が増え、学生などはほとんどミクシイあたりの会員になっているという。
学校などでは、あまり自分の考えを発表しないような人が、そのコミュニティでは、積極的に、意見を言い、議論に参加している例があると、大学の先生が言っていた。
「君みたいに、どこでも自由に物をいうような人は、そんなところに入らなくてもいいんだよ」と連れ合いは言う。

ともかく、今までにないネット社会が、登場していることは確か。
参加したい気持ちはあるが、ネット上だけの知り合いの人に、招待してもらうのも、ちょっと躊躇する。
「ブログと同じで、雨後の竹の子のごとく、この種の物が登場し、だんだん淘汰されて、いい物だけ残るだろう。
そんなに遠い話じゃないから、様子を見たらいいよ」という、連れ合いの意見で、静観している。


「ブログの引っ越し」
2006年09月12日(火)

今、メインのブログの引っ越しを考えている。
2004年6月から書き続けたブログが、記事数400件になった。
ところが最近、アクセス数が増え、どういうわけかと思っていたが、ケータイで見に来るらしい。
ケータイ検索機能が、向上したらしく、ヤフーあたりのモバイル検索で、ほとんどがDOKOMOとAUユーザーである。
7月から、やたらとケータイでのアクセスが増え、毎日100件を越すくらいになった。

私のブログは、どれも、あまり面白おかしい内容ではないので、訪問者数は、多くない。
ニュース性のあるものを取り上げると、アクセス数が増えることは分かったが、数は少なくてもいいから、定期的に来て、じっくり読んでくれる訪問者の方が、私には有り難い。
ただ、この春、ケータイ機種を替え、その際、インターネット対応にしたので、それまで使っていなかったケータイでの投稿の仕方も、覚えた。
父の病床に付き添っていた時は、ケータイからも、2,3投稿した。
便利な物だなと思った。
しかし、私の書くものは、どうしても長くなるし、瞬発的な物ではないから、やはり、机に向かって、大きな画面のPCから書き込む方が、ずっと楽だし、内容的にも、合っていると思った。
だから、今は、ケータイ投稿は、旅行中以外はしていない。
私のブログが、ケータイではどんな風に見えるのかも、自分がケータイで見て初めて分かった。
苦心してカスタマイズしたテンプレートのデザインも、サイドバーに書き込んだ能書きも、ケータイには表示されないし、なんとも無機質で、ケータイの小さな画面では、私のブログは適していないことが、よく分かった。
私の書く記事は、一件平均が長いので、PC画面でないと、全体が掴みにくいし、逐一画面をスクロールしなければ、読めないケータイでは、些末なところが気になって、書いた文章が、うまく伝わらないような気がする。
ケータイ閲覧のアクセス状況を見ると、始終画面を動かしながら、切り替えてみているのが分かる。
その度に、アクセス数が、増えるからだ。
短い時間に、記事全体を読むのも、ずいぶん手間が掛かるだろうし、多分、訪問者は、スクロールの途中で、画面を変えてしまうだろうなと思った。
もう一つは、私にとって、困った訪問者が居て、数年前から何故か私のサイトやブログを、検索でしつこく追いかけてくるのだが、PCでは、IPアドレスで、身元が分かっているので、ケータイの方が、アクセス解析では分かりにくいと思うらしく、7月以降、ケータイで、毎日おいでになる。
とうに身元は分かっているので、ご苦労さまなことよと、同情するが、あまり気持ちのいいものではない。
出来れば、お引き取り願いたい。
そこで、メインのブログサーバーが、最近、サポート状態が悪く、いつ閉鎖するか分からない状態になったので、消えてなくならないうちに、ログをそっくり、ほかのブログサーバーに移すことにした。
ログのダウンロードで、メモ帳に写した物を開くと、読めない文字コードになっている。
しかし、互換性のあるサーバーに移せば、変換されるはずだから、迷わず、インポートした。
ところが、ログのインポートで、「ファイルサイズが大きすぎます」という警告が出て、失敗。
画像などほとんど使っていないテキスト中心のブログが、いつの間にか1メガを超えていたのだ。
いくつかに分けるにしても、記事の区切りが、判別しにくい。
やはり手作業で、一件一件移すしかないかと、考えている。
いっそ、サーバー解除と共に、全部消してしまった方がいいのかも知れない。

最近は、ブログ出版を手がけるところが出来た。
ネットにアップしたファイルから、そのまま製本してもらえて、しかも、注文は、一冊から可能と言うので、シメタと思ったが、縦書きには対応してない場合が多い。
私のブログは、本にした場合、やはり縦の方が向いている。
そこで、自費出版を専門にしている出版社のホームページを見たが、ネット上から原稿用紙がダウンロード出来、校正も、PDFで、すべてPC上で、出来るらしい。
活字を組むという手間がないので、校正と印刷期間だけ。
費用も、その分安いはず。
便利な世の中になった。
自分の記念のためだけに、1,2冊くらい作っておくのも、悪くないかと、思っているところである。


「冥王星に捧ぐ」
2006年09月02日(土)

マイホーム追われし星よ地に降りよ水金火木土はた天海より

さる連作和歌のコーナーに投稿した。
水金・・云々は、私が小学生時代にはなかった覚え方。
英語では
My very eager mother just served us nine pizzas.
と言って覚えるらしい。
今まで9個あった星の名前の頭文字を、別の言葉の頭文字に当て嵌めて、上のような文にしたようだ。
冥王星は、一番最後のピザにあたる。
今頃になって、惑星の座から外されて、どんな気持ちがするのだろう。
ママのピザが無くなっちゃったと、英語国の子どもたちは、戸惑っているらしい。
plutoという名を持つ冥王星。
人間様の都合で勝手に、追い出したって、僕は僕だよ、と笑っているかも知れない。

はじめはこの歌ではなかった。
水金も地火木も・・・と書き出したが、三十一音になかなかまとまらず、あれこれやっているうちに変換ミスもあって、画面が汚くなったまま、エンターキイに手が触れ、送信されてしまった。
あらためて、書き直したマイホームの歌を書き込んで、変換ミスだらけの歌の削除を依頼した。
すぐに、元歌を削除して、後からの歌を残して再表示してくれたが、元の歌を「シュールで面白いですね。惜しいですね」と主宰が言ってくれたので、削除された元歌に近い物をちょっと手直ししたのが下記の歌。
同じような物を、また投稿するわけに行かないので、ここに載せておく。

水金も土天海も地火木もなく飛び立てよ冥王星よ


「亭主殿」
2006年08月28日(月)

今日は言わせて貰います。

宴会だとかパーティだとかはもちろん、もっと庶民的な集まりでもいいけれど、夕飯は要らないと言って出かけた時は、帰ってから「腹が減った、何かないか」なんて言わないでください。

妻は、夫の居ない日は、ご飯を作らなくていいので、買い物にも行かないし、冷蔵庫の中の余り物を片づけたり、ちょっと栄養は偏るけど、紅茶に甘い物、果物一個、ツナ缶かなんか開けて、それで済ませてしまい、あとは、好きなテレビを見たり、友達と長電話したり、インターネットを覗いたりして、ひとりの時間を愉しんでいるのです。
毎日欠かせない夕食の支度、決してイヤなわけではありません。
90歳過ぎた私の母が、父が亡くなるまで、自ら食事を作り続けたように、私も、あなたと二人の食卓を、自分の手で整えることを、これからも、続けたいと思っています。
でも、あなたが現役時代、土日や祭日以外の日に、何かで思わぬ休みが取れた時に、解放感を感じるように、私も、台所に立たなくていい日というのは、同じような気分でいるのです。
それなのに、ちょうど衛星放送で、昔の名画なんかを見て、ロマンチックな気分に浸っているときに、ご帰還のベルが鳴って中断され、家に入るなり、「立食パーティでねえ、なんだか食べ損なっちゃった。
お茶漬けでいいからさ、ちょっと作ってよ」と言われたときの、うらめしさ!
あなたが、立食パーティやバイキングが嫌いなこと、よく知ってます。
「立ったまま、ものが食えるかい」と言って、お酒のほかは、テーブルに並んだ食べ物に、あまり手を付けないでいることも、わかっています。
デモねえ、1万円も会費払ってるんだから、「帰ってから家で食べればいい」なんて思わず、やっぱりお寿司とか、サンドイッチとか、唐揚げとか、会場で出たものを、何かお腹に入れてきてほしいの。
「せっかく出かけて行ったのにさ、男が人とろくに話しもしないで、ガツガツ食ってばかりいられるかい」と言いたい気持ちもわかります。
だから今まで、「夕飯はいらない」と言って出かけても、何かしら用意して、待っていました。
でも、私もそろそろ、そういうことから解放されたい。
きょうは、あなたは外で食事をしてくるんだから、と安心したいのです。
こんな嘆き、私だけかと思ったら、同じ年代の奥さんたち、みな同じこと言ってました。
「私だったら、絶対、会費分は食べてやるわ。男の人って、そう思わないのかしら」って。
バイキングパーティは、女性客だと赤字だって、ホテルの人が言ってました。
でも、女の人だと、お酒はあまり飲まないから、赤字ってことはないわね。
まあ、そんな一般論はどうでもいいわ。
とにかく、あなたが、夕食は外で、といって出かけた日は、家では、原則食事の用意をしないことにします。
だから、会場で、しっかり食べて、帰ってきてください。
あ、お酒も飲み過ぎないでね。
あなたがグラスを持って、話をしている間、その相手は、本当は食べ物が気になっているかも知れません。
「○○さんにつかまってねえ、気が付いたら、テーブルに何も残ってなかった」なんて、家で奥さんにしゃべっているかも知れないですよ


「邯鄲の声」
2006年08月24日(木)

日付が替わったが、一時間程前からしきりに鳴いている虫の声。
鈴虫ではないようだ。
深夜の音としては、ややウルサイ程。
邯鄲だと言うことにしておこう。

昨日午後から母の元へ。
7月のお盆は、父の新盆なので、墓石を直したり、迎え盆、送り盆に行き、その後、私たちが高原に行っていたため、ひと月以上、足を向けていなかった。
父が天寿を全うしてから、遺された母と、私ども4人のきょうだいとの間には、相続という問題があるが、墓の継承は長女の私と言うことで、すでに手続きが済んだ。

これは、相続とは違う先祖の供養ということなので、今は三親等以内の親族なら誰でもいいのである。
大家族の長男である父名義の墓には、祖父母の遺骨、未婚のまま亡くなった叔母の骨も入っている。
父亡きあとは、すべて私の名前で、法事を行うことになる。
父の遺産については、墓の維持や先祖の供養にかかる分以外は、母にすべて相続して貰おうと言うことで、私たち子供の考えは、一致している。
それは、母自身の希望でもあった。
ただ、相続の手続きを、老母自身がするのは無理なので、誰かがしなければならない。
それには、母が日頃から何かと頼み事をしたり、ケアハウスの身元引き受け人にもなっている上の妹が、母の希望で引き受けた。
ところが、彼女が、面倒な手続きを嫌って、弁護士に頼んでしまったために、かえってややこしくなっている。
家族の話し合いで決めたことを、そのままやればいいのだが、妹が、暑い最中、役所に行ったり、銀行に行ったりで、体調を悪くしたらしく、知らない間に、弁護士の手に渡ってしまった。
争うような要因は何もないのに、他人が入ったことで、きょうだいの間が、ギクシャクしかかっている。
後に禍根が残らないように、父の遺産の状況を、相続人全部に開示して、手続きを進めたほうがいいと、私は妹に提案したが、なぜか、母も、妹も、開示したくないらしい。
父の遺言状があり、弁護士に頼めば、そんなことはしなくても、銀行の名義変更は出来るからと言い、未だに、印鑑証明一つ、要求してこない。
銀行がそんなに簡単に、処理するのかと疑問だが、弁護士なら出来るのかも知れない。

しっかりしているようでも、90歳過ぎた母には、もはや、自分のことを考えるのが精一杯。
自分がいなくなったあと、残った子供たちが、どうしたらきょうだい仲良くやっていくかと言うことまで、配慮が及ばないのは、無理もない。
何が一番大事かという優先順位も、判断できなくなっている。
そんな老母に安心して余生を送ってもらうために、みんなで考えた後始末の仕方だったはずだが、弁護士のミスリードもあって、そんな風に進まなくなってしまったのは、残念なことだ。
耳の遠い母に、複雑な話は出来ない。
元気かどうかだけ確かめて、帰ってきた。


死闘!甲子園
2006年08月20日(日)

午後1時から始まった、甲子園夏の高校野球決勝戦。
南北海道地区代表の駒沢大学付属苫小牧高校と、西東京地区代表の早稲田実業高校。
3時間半闘って、延長15回で1対1の引き分け。
決着は明日の再試合に持ち越された。
どちらも譲らず、事実上は投手戦だった。
最後は、全力を尽くした投げ合いに、どちらにも勝たせたいと思った程。
苫小牧高は、今年勝てば夏の大会三連勝となる。
高校三年最後の夏に、優勝旗を手にしたいエースの田中。
対する早実は、何度も甲子園に来ていながら、まだ夏の大会では優勝したことがなく、これで勝てば夏の大会で初めて、優勝旗を手にすることになる。
大先輩には、王監督。
癌の手術後の身で、テレビ観戦しているのではなかろうか。
また、一年生ピッチャーで決勝戦に臨み、横浜高校に破れはしたものの、荒木大輔の姿も、印象深い。

今までの高校野球夏の大会で、一番記憶に残っているのは、何と言っても、昭和44年の松山商業と、青森県出身の三沢高校の闘い。
当時は、延長戦も18回まで。
松山商の井上投手と、三沢の太田投手。
0対0のまま延長18回で、決勝戦が引き分け。
4時間以上に及ぶ死闘だった。
幼い息子を抱えて、テレビの前に釘付けになった。
翌日、松山商が継投で守り、4対2で三沢を下したが、負けた三沢の太田幸司投手は、ロシア人の母の血を引く端正な顔立ちの故もあって、「もっとも美しい甲子園の敗者」と言われる程の、人気と感動を呼んだ。
連戦に次ぐ連戦を、たったひとりで投げきった太田選手の姿は、今でも、よく覚えている。

時代は変わり、高校野球も、練習環境がよくなり、地域差も、あまり無くなった。
いまは、コンピュータなども使って、データ管理もしているのだろう。
しかし、いざ、甲子園の現場に立つ球児たちの顔は、やはり子どものあどけなさを残していて、ひたむきに走り込む良さを持っている。
明日の再試合はどうなるか。
早実には勝って貰いたいが、苫小牧の田中君のポーカーフェイスにも、笑顔を見たい気がする。
ここまで来たら、どちらも負けられない気持ちであろう。
今日の甲子園は、満員。
最後まで、気力とスピードを保ち続けた両投手に、拍手が湧いた。



BACK   NEXT
目次ページ