毎年、大晦日から来ることになっていた息子夫婦が、年末から外国に行ってしまったので、夫と私だけの静かな正月となった。 1日は墓参り。 昨日は、12時間ドラマ「忠臣蔵」を斜め見しながら、ネットの連句や、サイトの更新などで、過ぎてしまった。 年内の掃除も中途半端のままになっているし、おせち料理も、いつも嫁さんに頼っていたので、今更、作る気力も起こらず、亭主どのも、「酒だけあればいいよ」というので、お言葉に甘えて怠けてしまった。 昔はおせちが最大のご馳走だったのだが、お餅も、年中スーパで買える時代になって、有り難みもなくなってしまった。 ひと頃までは、私もせっせとおせち料理を作っていた。 実家では、母が正月に来る客迎えに、いつも忙しくしていたので、そんなものだと思っていた。 一日は、父の職場の客が、まず年始参りに来る。 母は客の接待に追われ、私達子どもは、火鉢を囲んで、お酒の燗番をしたり、長女の私は、弟、妹の食事の面倒を見たりした。 二日、三日は、親戚が次々来る。 家族水入らずの正月というのは、まず無かった。 正月というものが、生活の中での大きな行事だった時代である。 子どもが成長し、私を筆頭に、次々親元から巣立っていくと、今度は、親の家に、みんなが集まるようになった。 父がリタイアし、お客の数も少なくなり、母も自分の家での集まりに、疲れを覚えるようになると、今度は、私の家に、集まるようになった。 暮れに、沢山の材料を買い込み、一通りの料理は作り、家の中もきれいにし、正月の準備をした。 私と夫は、長男長女なので、両方の親、きょうだい、その子どもたちまでが我が家に集まり、一時は30人くらい集まったことがあったと思う。 私の作る物だけでなく、みんなの持ち寄った料理がテーブルに並び、賑やかな笑い声が、途絶えることがなかった。 6,7年前から、正月に大勢が集まることが、だんだんむずかしくなった。 それぞれの家族があり、親族よりも、外との付き合いが増え、生活上の変化がそれぞれにあり、親の老化も進んだからである。 最近は、義弟の家族の方が人数が多くなったので、息子夫婦と共に、そちらに寄せて貰うようになった。 今年は、義弟に初孫が生まれて忙しく、息子夫婦も居ないので、正月の集まりは見送ることになった。 立春を過ぎたら、私の喪も明けるので、赤ちゃんの披露かたがた、集まることになるだろう。 11:27
喪中でも、25枚ほどの年賀状が来た。 すでに、目上の人、久しく会わぬ人には、「年賀欠礼」の挨拶状を送ってある。 その人たちからは来ないのは当然だが、中には、挨拶状を送ったのに、例年のように、年賀状をくれた人もいる。 しかし、生前の故人のゆかりの人を除けば、他人の喪中など、忘れてしまっても、仕方がない。 連れ合いとか、子どもなら、喪中は本当の喪中だが、私の父のように充分長生きして、天寿を全うしたなら、家族、近親者以外は、忘れてもいいのだ。 年賀欠礼というのは、こちらからは出しませんと言うことなのだから。 「聞いていたのにうっかり出しちゃって・・」と、メールや電話で知らせてくれた人が3人居るが、つい最近会って、「私、今回は、年賀状出せないのよ」と話したばかりなのに、毛筆の丁寧な年賀状をくれた人もいる。 特に連句関係者は、おおらかというか、あまり緻密でない人が多いので、おかげで、「歳旦三つ物」を愉しませて貰った。 私はこれが苦手で、連句関係者宛にも、普通の年賀状を出すが、送ってくる連句関係者は、ほぼ例外なく、三つ物を書いてある。 「葉書に収まりがいいし、ほかの事書かずに済むから」という人が多い。 今年はイノシシの年。 それに今年の宮中歌会始のお題「月」を入れて、スタンダードに作られた物を披露させて貰う。 引き緊むる三筋の絃や家の春 M 獅子の楽もて祝ふ新年 M 山笑ふはんなり月を頂いて M 私より一世代若い人の物はまた違う。 初東風に裳裾たなびく摩利支天 T 幼の手毬月に弾みぬ T ミルクティ銀のスプンでかき混ぜて T 20:45
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