沢の螢

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クールビズの旅
2005年06月28日(火)

連句を趣味としている人は、今、全国にどのくらいいるのか、正確なデータはないからわからないが、短歌、俳句に比べて問題にならない少数派だということは、承知している。
そんなマイナーな文芸なのに、人間の集まるところ、どこの社会でも見られるような現象は、あちこちに見られて、手法もさまざま、人の動きもそれぞれであるのが、興味深い。
大体は、真面目な勉強家で、俳諧の道に黙って精進する人がいると思えば、連句もさることながら、人を動かす方が好きな御仁も少なくないので、政治家顔負けの権謀術数の達人や、たいこもちもいれば、色で売り込む自称美女もいる。
最近はインターネットでの付け合いも盛んになってきたためか、連句愛好者は次第に全国に増えつつあるようである。
そして、地域活性化のひとつの手立てとして、連句をやり始めたところもある。
連句は、一人で愉しむものと違い、必ず、複数で行うものである故、人の集まりが必須条件なので、その意味でも、いいジャンルなのかも知れない。

26,27日の二日間、東北地方某県主催の連句会に行った。
連句を口実に、今まで余り行ったことのない地方に行く機会が得られるのは、嬉しい。
初日は、新幹線最寄り駅に集合、バスで会場に向かう。
宿舎も兼ねた、温泉ホテル内である。
関係者の挨拶、祝辞などがあり、連句実作に入った。
6人ずつのテーブルに分けられ、3時間半程。
日ごろ顔を合わせたことのない人たちとの実作は、充分面白く、時の経つのを忘れた。
4時半に終わり、ホテルの部屋に落ち着いた。
部屋は、ほとんどが、知っている同士の組み合わせになっていて、私のところは5人だった。
大浴場で、温泉に入り、一休みして、夕食会に集合。
8時半に散会。
カラオケに行くグループもあったが、私は、サロンでお茶を飲んでから、そこで、意気投合した6人(うち一人が男性)で、一部屋に集まって連句を巻くほうに参加。
24句の付け合いが終わったのが、夜中の1時を過ぎていた。
私はバタンキューで寝てしまったが、温泉に入り直した人もいたらしい。

翌朝、なぜか5時半に目が覚めてしまったので、一人で、温泉に入りに行った。
すでに先客もいた。
源泉に浸かり、頭も醒めたところで、部屋に戻ると、みな、まだ寝ていた。
その日の予定は、みな少しずつ違う。
身支度して、一足先に、7時からの朝食に行き、バイキング方式の朝食を摂った。
ツァーで来たらしい別の団体の一人と、お喋りしながら、ダイニングルームを出るときに、同じ部屋の人たちと入れ替わりになった。
この地方が梅雨入りになったらしく、朝から雨。
予定では、山の上の古刹を中心に歩くつもりだったが、かなりの降りだったので、足元を気にしながら、最短距離だけを歩くチームに加わり、ゆっくりと一時間半程、散策。
最後は、蕎麦の美味しい店に集合して、蕎麦懐石で〆。
天気は回復しそうもないので、そのまま駅に行き、東北新幹線に乗り継いで、東京に帰る。
東京は、雨はほとんど降らなかったとか。
たった1泊の旅だったのに、とても疲れた。
今週末には、北陸地方の連句行事に行くことになっている。

今回の旅でひとつ気づいたことがある。
行き帰りの新幹線も、宿泊先のホテルでも、冷房がかなり抑えられていたことである。
真夏の外出がいやな理由のひとつは、何処に行っても、風邪を引きそうな冷房の強さである。
涼しいのは有り難いが、体を冷やす程、温度を下げることはないじゃないのと、いつも思う。
夏の風邪は治りにくいし、体が冷えるのは、健康上良くないので、私は必ず厚めのジャケットや、大判のスカーフを持って歩くが、今回の旅では、ほとんど使わなかった。
政府主導のクールビズで、こんなところにも、通達が行って、最低温度が抑えられているのだろうか。
外気温34,5度という日だったので、蒸し暑く、さすがの私も、もうちょっと冷房を効かせてもいいのではないかと思ったくらいだった。
我が家では、暑い日は、湿度を調節するが、同じ気温でも、湿度を低くすることで、かなり涼しく感じる。
真夏の旅は、疲れやすい。
新幹線にも、単に温度を下げる冷房より、湿度を抑える工夫をしてもらえたらいいと思う。


輝かしいアメリカ映画
2005年06月18日(土)

気が付かずに、途中からになってしまったが、夕べ、BSで「アメリカ映画音楽ベスト100」という番組を見た。
音楽と言っても、歌の入ったものを取り上げていて、映像を流しながら、その中で演奏され、ヒットした曲を、100位から順に、紹介していく。
私が見始めたのは、すでに60位くらいまでが、終わったあとだったので、ちょっと残念。
というのは、この種のものは、上位にランクされたものより、下の方にあるものの方が、いいと言うことが少なくないからである。
2時間半くらいの番組の中で、往年のミュージカルスターや、作詞、作曲者達のインタビューを入れながら、100曲を流すのだから、フルコーラスとは行かず、みな、細切れであったのは、やむを得ないのかも知れない。
しかし、映画の黄金時代と言われた、1950年代前後の、輝かしいアメリカ映画が、ほんの一場面であっても、再現されたのは、嬉しく懐かしかった。
第2次世界大戦後、敗戦日本は、食べ物もろくにない貧しい時代。
戦後10年くらいは、私の成長期とぴったり重なる。
そして、続々と、アメリカやヨーロッパの映画も入ってきた。
リアリズムのイタリア映画、恋愛を描いたら負けないフランス映画、親たちはきっとこちらに夢中だっただろうが、私には、見て愉しく豪華なアメリカ映画が印象にある。
初めて見たアメリカ映画は、昭和25年の「子鹿物語」。
父親に連れて行って貰った。
グレゴリイ・ペックの何とステキだったこと!
それから「若草物語」。
ここに描かれたアメリカの家庭は、南北戦争を背景にしていて、決して裕福ではないのだが、初めて映像で見るアメリカの家の造りや調度、少女達の長いスカートは、その頃の私の生活の中にはない夢の世界があった。
同じ貧しさでも、こうも違うのかと、子供心に思った。
エリザベス・テイラーの美しさは、忘れられない。
次々と入ってきたアメリカ映画のうちでも、ダンスや音楽を中心にしたミュージカル映画は、夢という意味では、最たるものだった。
昨日の番組では、このころ見た映画の場面が沢山流れたが、フレッド・アステアとジーン・ケリーという、天才二大スターを中心に、歌とダンスの達人達が織りなす、銀幕の星達の競演だった。
昨日、ベストテンが出た段階で、アメリカ人の選ぶ眼は、ちょっと違うなと思うところもあったが、ビージーズは、中学生の息子の影響で、私もメロディを覚えているし、バーブラ・ストライサンドの、素晴らしい歌も、記憶に新しい。

番組で紹介されたベストスリーは
1.「オズの魔法使い」のジュディ.ガーランド歌う「虹の彼方に」
2.「カサブランカ」で流れる「時の過ぎゆくままに」
3.ジーン・ケリーが歌って踊る「雨に唄えば」
と言う順位だった。


七変化
2005年06月17日(金)

6時40分起床。
こんなに早起きすることは、余り無い。
夫がリタイアしてからは、早くて7時、時には8時になる。
今朝は、夫がゴルフに行くために、早朝から物音がしていたので、目が覚めた。
6時半、ピックアップしてくれるゴルフ仲間が来て、夫を乗せていった。
夫が自分で運転するとわかっているときは、出る時間には私も起きて、ガレージのところまで送る。
なるべく、気分良く、安全に出発して貰いたいからである。
幸い、運転好きの人が沿線にいて、その人が居るときは、積極的に迎えに来てくれるので、有り難い。
ガソリン代などをワリカンして、乗せて貰うことになっている。
現役の頃は、仕事がらみのゴルフが多かったので、私も、それに合わせて早起きしたものだが、低血圧の身には、正直つらかった。
4時、5時という時間に起きて、朝食の支度をし、自分も身支度を整え、迎えの車があるときは、門の外まで出て、見送った。
ホッとして、またベッドに入っても、余り眠れず、結局、そのまま一日の始まりとなるが、余り爽やかな寝覚めとはならなかった。
ただ、悪いことばかりではなく、最初は嫌々ながら、付き合いで始めた夫のゴルフが、だんだん趣味に転じ、腕は余り上がっていないらしいが、それを通じて、交友関係が広がったのは、確かなようである。
私にとっては、早起きは三文の得という言葉の通り、時間が有効に使えたという利点もあった。
夫が、リタイアしてからは、その為に、私まで無理して早起きすることはしない。
前の晩に御飯が炊きあがる時間をセットしておき、みそ汁の下ごしらえだけしておけば、あとは、夫が自分でやる。
ぐっすり眠りこけている間に、いつの間にか夫が出かけてしまうことが多い。
玄関の鍵を開け閉めする音で、目を覚ますくらいである。
何かの加減で、自然に目が覚めたときは、朝食の相伴をすることもある。
今朝、夫が出たあとに起きてみたら、食卓には、おかずが半分、残してあった。

梅雨に入り、雨の日が続く。
庭の水撒きをしなくて済むのは有り難いが、家の中が湿っぽい。
洗濯物が、洗面所にぶら下げてあるが、すっきりとは乾かず、アイロンがけの量が増える。
きのう、天気が良ければ、家から自転車で15分くらいで行けるところに出かけたが、バスの時間が合わなかったので、歩いていった。
雨の中、足元を気にしながらなので、35分くらいかかった。
家にいるときの雨は、キライではないが、外出の時だけは、止んでほしい。

今、あじさいが満開である。
道を歩きながら、紫陽花のある家が案外と多いのに気づく。
私の家のすぐ近くにも、塀から垂れ下がらんばかりに紫陽花が咲いている家があり、見事である。
傘をかしげて、しばらく見とれてしまった。
そんな風景も、ゆっくり歩いているときでなければ、目に入らない。
我が家にも、紫陽花が三カ所程植えてあるが、少しずつ色が違う。
門の辺りはブルーのあじさい。
裏口には、赤みのある紫。
そして、居間に面した窓辺には、紫がかった額紫陽花。
七変化という別名も持つが、あじさいという花は、雨に濡れたときに、ことに映えるようだ。
4月頃、急に暑くなった時期があり、その時、クリーニングに出そうとまとめておいた冬服が、その後、また寒さが戻ったため、出せずにいた。
大分溜まってしまったので、昨日、取りに来て貰い、ひとつ懸案事項が片づいた。

艶話たまにはいいか七変化


同じ星の下に生まれて
2005年06月10日(金)

あまり触れたくないことだが、二子山親方が亡くなって以来の、その息子達の「争い」は、つらいなあ。
ワイドショーが格好の話題にしていて、だんだんエスカレートしている。
夫は「こんなもの見るな」とテレビのスイッチを切ってしまう。
どこの家でも、親子、きょうだいの関係は、一様ではないし、他人の窺い知れないことが沢山ある。
子どもの頃は仲が良くても、それぞれ配偶者を持ち、子どもが出来て、家族としての形が整って来るに連れ、きょうだいも他人の部分が多くなるのは仕方がない。
普通の人は、私生活の範囲に留まっているが、有名人であり、社会的立場のある人は、家族の問題まで、すべてさらけ出されてしまう。
そして、それを取り上げて、ああだ、こうだと、話題にする人たちは、彼らの身になって考えているわけでなく、面白がって、商売にしているだけだから、何ともいたましい。
マスコミのえじきになっているとしか思えない貴乃花の記者会見を見ていると、その話の真偽はともかく、「黙って、超然としてなさい」と言ってあげたくなる。
そして、自分たちが、カメラで追いかけ、無理矢理マイクの前に、引きずり出しておきながら、片方で「沈黙は金」だなんて言うコメントを、番組のゲストがしているのは、矛盾も甚だしいし、マスコミというのは、なんと節操のない、ご都合主義の人達かと思う。

ところで、この話題から離れて考えると、よく言う「沈黙は金」という言葉は、人間関係を良くするために、必ずしも当たっていないように思う。
私は、物事をいい加減に済ませることの出来ないタチなので、家族の間でも、友人との付き合いの中でも、何かあれば、率直に言うほうだが、当事者同士であれば、その方が、解決しやすい場合が多い。
問題は、当事者の間で、話し合いが出来ないときである。
こちらの投げかけたことに、相手が応えず、第三者に波及してしまったときは、解決から遠くなるばかりか、双方に誤解が生まれ、禍根を残してしまう。
私自身も、そんな経験が、この数年の間に、いくつかあった。
その中に悪人はひとりもいない。
一人一人は、みな、善良で、常識をわきまえた人たちであるのに、どういうわけか、些細なことでボタンの掛け違いが起こり、タイミングを逸したために、修復が難しくなってしまったことであった。
その原因の一番大きなものは、コミュニケーションの不足である。
緊張する関係であれば、人は、意思疎通に、努力するのであるが、なまじ、良くわかっていると思う間柄であるために、それに甘えて努力を怠るのである。
相手がわかっているだろうと思うのは、やはり一方的な思いこみなのであり、どんなに親しく、意思疎通が出来ているような関係であっても、まず言葉で伝え合うことは、大事なことではないかと、つくづく思う。
問題に真正面から向かい合う意志が、相手になければ、もう、諦めるしかないが、もし、その人と、今後も、ずっと良い関係を維持していきたいと思うなら、やはり、お互いに努力しなければならないだろう。
でも、それは理想であり、理屈でもある。
かくして、私の心には、真っ赤な薔薇の刺が、刺さったままである。

きょうだい、はらから、どうほう、どうし・・いくつもの表現を持つ星の下にいるのに・・。


喪の礼儀
2005年06月03日(金)

元大関貴乃花、二子山親方が亡くなり、長男花田勝氏が喪主を務めて、葬儀が終わった。
これについて、偉大な力士であった故人を、悼むことの他に、取り沙汰されていることがいろいろあり、当事者、関係者の発言を廻って、マスコミ報道がかまびすしい。
それについて、私がとやかく言うことは避ける。
ただ、思うのは、人の死を悼むというのは、どういうことかと言うことである。
故人が親しくしていた人たち、何らかの関わりのあった人たち、マイクの前で、求められての発言を聞く中で、きわめて個人的なことだが、思い出したことがあった。

夫の母は25年前、70歳になったばかりで、脳溢血のため亡くなった。
父の方は、夫が大学を卒業した年の秋に、亡くなっている。
義母は、昔気質の女性だったので、家のことは、夫と息子を立てて、切り盛りしていたが、実際には、この母が、すべてのことを仕切り、支えていたと思う。
私は、この母から、世間との付き合い方、日本人が昔から行ってきた冠婚葬祭での身の処し方、他人に家の中のことを話すときの心構えなど、自分の母よりも、多くのことを教えて貰った。
もう少し、長生きしてほしかったという思いは、今でもある。
夫は、23歳で、死んだ父の代わりに、一家を代表して、親戚や近隣のさまざまな付き合いに出ることになったが、裏では、母が、すべてを支えてくれたので、余り苦労をせずに済んだ。
母が亡くなったとき、夫は長男として、義弟と共に、喪の儀式一切を取り仕切り、母の遺したわずかばかりの遺産の処理も含めて、兄弟の間で、すべてが巧く運び、私はそれらのことを通じて、明治生まれの夫の母を、あらためて偉い人だと思った。
母の葬式には、生前ゆかりのあった人達が、来てくれたが、私たち夫婦が、初めて顔を合わせた人たちも多い。
母は、亡くなる少し前まで、都心で一人暮らしをしていた。
旅行が好きで、度々ツァーで国内旅行に出かけていたことや、茶道をたしなんでいたことくらいしか知らなかったが、葬儀の時にいろいろな人たちに、挨拶されて、あらためて母の、交友の広さを知った。
その時、母の友人だという女性が、私に言った言葉を今でも、覚えている。
その人は、焼香を済ませてから、私たちに型どおりの悔やみの挨拶をしたあとで、こう付け加えた。
「でも、お母様、お元気なうちに亡くなって、かえって良かったんじゃないでしょうか。いつも、寝たきりになって、お嫁さんの世話になるのはイヤだと言ってましたから」。
夫も、私も、葬儀に来てくれたお礼を述べて、送ったが、その人の言った言葉は、ずしんと響いた。
そして、母の友達は沢山いたが、少なくとも、その人だけは、本当の友人ではないと思った。
母が、そんな話を、自分の仲の良い人たちに言っていたかも知れないことは、想像できる。
それは、「ここだけの話」だからであり、相手を信頼しているからこそ、出てくる話題である。
だから、それを聞いて、母に対して、怒りの気持ちは、少しも沸かなかった。
それよりも、こんな人を、友達として、信頼していたのかと、母がかわいそうになった。
もし、本当の友達なら、亡くなった人の言葉は、黙って胸の中に収めておくだろう。
それが、友情であり、喪に際しての礼儀である。
葬儀に行った先で、自分自身には、何もふりかかってこない事柄について、葬式が終われば、その息子夫婦と、付き合うこともないであろう立場で、口に出すことではない。

二子山親方の葬儀で、故人の親友だったという、ある親方が、故人と貴乃花親子の確執を伺わせる言葉を、故人が生前漏らしていたと、マイクの前で喋っているのを聞いて、義母の葬儀の日のことを思いだした。


ネットの交流を廻って
2005年06月01日(水)

私は文芸創作を趣味にしているので、インターネットで、詩や連句、短歌のサイトに投稿したり、自分のサイトでも、掲示板を使った連作の場を設けている。
私の連作掲示板の参加者は、顔見知りの人と、ネットの上だけでの付き合いの人とが、いつも混じっている。
当時は、ホームページを持っていないと掲示板が借りられなかったので、その為にサイトを開設した。
もう4年になるが、参加者の出たり入ったりの変化はあっても、概ね、いいメンバーに恵まれて、深刻なトラブルもなく、過ぎているのは有り難いことだ。
今では、ブログの方が身近になってしまったが、作品の公開場所としての、サイトの役割はあるので、連作用、訪問者用掲示板と共に、機能している。
サイト管理者として、一番気を使うのが、掲示板でのメンバー間の遣り取りの中で、トラブルになったとき。
創作上の議論がきっかけになって、言葉の行き違いからバトルになることが、たまにある。
しかし、これは、あくまで「芸術論争」みたいなものだから、お互い、言葉には、気を付けて、決して相手の人格に関わるようなことを言わないようにすれば、やがて収まる。
バトルの現場に居合わせた他のメンバーも、冷静に、公平に対応するような大人の知恵が働けば、むしろ、よい結果に移行する場合もある。
ネットであっても、その向こうにいるのは紛れもなく、人間であり、人の心は、考えるより、ずっとデリケートに出来ている。
それは、年令や性別と、関係ない。
何げない言葉の言い回しや、その時の受け止め方で、思わぬ誤解が生まれたり、心ならずも相手を傷つけてしまったりする。
そして、お互いの顔を見て話す場合と違い、ネットでは、書き込まれた言葉だけが頼りだから、そこに籠められたニュアンスを、相手が、こちらの意図と違って、受け止めてしまった場合は、思わぬバトルに発展してしまうこともある。
サイトの中で、そんなことがあったときは、管理者が、中途半端に放置せず、適切に捌かないと、ちょっとしたトラブルが、大きな問題に発展してしまったり、収まっても、双方あるいはどちらかに、感情的なしこりを残すこともあるので、難しい。
私の場合は、顔の見えない相手に対しては、顔見知りの人より、何倍も気を使うようにしている。
知っている人なら、別のところで埋め合わせが出来るが、ネット上だけのご縁は、ネットの中で、解決するしかないからである。
そして、ネット以外での付き合いの気配を、ネットの中では、出来るだけ、晒さないようにする。
そうでないと、ネットだけのご縁の人は、取り残されたような気持ちになり、何かウラで遣り取りしてるのではないかと、不信を抱くことになるからである。
それは、私自身も、よその交流の場で、時々経験するので良くわかる。
参加者あるいは訪問者に、公平かつ誠実に対応するというのが、インターネットで交流する際の、管理者の心得であろう。

あるサイトの投稿欄に参加していたときのこと。
掲示板で、現代風の連歌を楽しんでいるグループだった。
10人くらいの小人数で、仲良くやっていた。
管理者は、60代の男性と思われ、メンバーも、大体中高年の人たちのようだった。
年齢が明記されているわけではないが、遣り取りしているうちに、大体わかってくる。
管理者の面識ある人もいたようだが、大体は、インターネットのみのご縁である。
私も、その一人だった。
卓越した管理者のリードで、活気のある遣り取りが展開された。
一人二人の移動はあったが、常時活動しているメンバーは大体固定していた。
そこに、新人が入ってきた。
詩を書いているという、若い女性である。
「連歌というのは初めてですが」という自己紹介に、「新しい才能を迎えて・・」と、管理者は喜んだ。
確かに、彼女の詩を見ると、なかなか感覚のすぐれた人で、ひらめくものを持っていた。
そして、早速、グループの連作に加わった。
ところが、理に勝っているというのか、頭でっかちというのか、理論から入ろうとする。
毎回、理屈をこねるし、難解な言葉を使いたがるので、出来た作品が、大変わかりにくい。
連歌は、五七五と七七を繋げて、一首の歌を作り、次々と繋げていく遊びである。
だから、次の人が、巧く受け止められないと、流れていかない。
多少のルールもある。
一人で作るものは、どんなに難解でも、独りよがりでも構わないが、連作は、共同作品だから、ほかの人に伝わらなければいけないし、全体の調和と言うことも大事である。
そこで、次の順番に当たっていた女性が、「意味がわからないので、解説して下さい」と言った。
管理者も、「こんな風に、表現を変えてみたらどうか」と助言した。
そんなことが、何度かあって、そのうちに、新人は、キレた。
わからないのは、そちらに鑑賞力がないからだ、無知を押しつけないでほしいと言い、自分は子どもの頃から、内外の古典は暗記する程読んでいる、人より言葉の知識が多いのは、いけないことなのかと、やや感情的な言い回しで、掲示板に書いた。
新人だからと言うことで、歓迎のメッセージを寄せた人もいたし、管理者が、当初から、少しチヤホヤしたせいもあって、甘えもあったのだろう。
しかし、その言い方は、明らかに無礼であり、相手の人格を侮辱したものだった。
言われた女性は、憤懣やるかたないものがあったのだろう。
直接言い返すことはしない代わりに、「ここで降ろさせていただきます」と、連作の途中で抜けてしまった。
管理者の、やや公平さを欠いた対応の仕方もまずかった。
若い才能を、何とかグループに定着させたいという気持ちが先行し、そちらに気を使うあまり、日ごろ冷静で、メンバーに気配りのある管理者が、どこかバランスを逸していたらしい。
それが発端となって、他の人たちも、だんだん、疑心暗鬼になり、明るく活発だった遣り取りが、影をひそめてしまった。
その少し後に、私も退会してしまったので、そのグループが、今でも続いているかどうかは、知らない。

実際のサークルやグループ活動でも見られることだが、男性がリーダーの場合、とかくハーレムを作りたがる傾向がある。
そして、気に入った女を特別扱いしたりする。
これは絶対ダメである。
ある程度年を重ねた女性達は、自分の品位を下げるので、絶対口には出さないが、みな、心の中で苦々しく思っている。
そうした、見えない空気を読むのが下手な管理者の場合は、悲惨な結果になることもある。
同性から見放された女性こそ、かわいそうである。
贔屓の引き倒しと言うが、ハーレムのボスに、えこひいきされたために、せっかくの才能をグループの中で生かせず、孤立してしまった人を知っている。
しっかりした女性が仕切っているグループが、比較的うまく行っているのは、女はハーレムを作らないし、公平だからである。
「どんな先生が嫌いか」と訊かれたときの、子どもの答えに「えこひいきする先生」と言うのが、一番多かったそうだ。
大人も同じである。

今、私の連句掲示板は、男の人に捌きを頼んで、進行中だが、ゆっくりと、お喋りを楽しみながらやっている。
4年間で、作品数は、50巻を超えた。



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