沢の螢

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迎え梅雨
2005年05月31日(火)

昨日は結構な雨の一日。
5月というのは、本当は一年のうちで、一番良い季節の筈だが、あまりそんな気分の日を味わわないうちに、もう、終わりそうである。
はつなつと言うに相応しい日は、あまりなかった。
もう、梅雨の前触れかと思うような、雨が時々降るし、一時期、大変暑い日があって、仕舞おうと思っていた冬物も、家中に散乱している始末である。

目まぐるしく日が過ぎて、何かについて、書こうと思っているうちに、どんどん事態が変化し、追いつかない。
これは時代のせいなのか、
それとも、私が、世の中の動きに、付いて行けないくらい、衰えたと言うことなのか。
多分、その、どちらでもあり、またどちらでもない。
言えるのは、いつの時代にも、世の流れ、人の動きはあった。
ただ、それが、みんなに浸透するのに、昔は時間が掛かったということだ。
だから、ニュースで流れた事件ひとつにしても、考える時間があったし、意見を交わすことが出来た。
いまは、物事の実相が、よくわからないうちに、メディアによって、どんどん表面化し、果たして、何が事実で、どれがホンモノなのかを、見極めないうちに、気づいたときは、流れが変わってしまうと言うことだ。
インターネットに、シロウトのジャーナリストまがいが、沢山輩出したのは、いいとしても、その中で交わされる情報は、間接的な聞き書きの域を出ないので、中には、大変無責任な垂れ流しレベルの、言いたい放題があったりする。
間違っていたら訂正すればいいと思って、気軽に流された情報は、実は、個人の無責任だけで済まないことがあり、そうしたことによって、傷ついたり、被害を被った人も、実は少なくないのではないだろうか。
これは、私自身の反省でもある。
ブログを開設して、来月でちょうど1年になるが、私なりに、思ったこと、言いたいことは、ある程度、表現し、発信することも出来た。
しかし、このところ、私は、少し、「待てよ」という気持ちになっている。
シロウトブロガーが、プロのマスメディアより、先んじて情報を持つことは、難しいし、たとえ、得たとしても、その検証は、困難を伴う。
市井に生きる人間が出来ることは、それら、プロの流した情報から、何が、真実に最も近く、誰が、一番本当のことを言っているかを、見分け、生活者としての視点を失わずに、判断することしかないだろう。
そしてこのことが、実は、言うは易く、一番難しいのだと言うことを、いつも、心しなければならない。
新聞やテレビは、強力なインパクトを持っているし、まだマイナーではあるが、インターネットから窺い知るさまざまな情報も、かなりリアルに、物事の側面を伝えている。
それは尤もだと同感できる、説得力ある意見も、多く、知ることが出来る。
その中で、名もなく、力もない普通の人が、何かに与することなく、独自の考えを持って、表現するのは、ますます難しくなっている。
せめて、野次馬にならず、人を煽る妙な力の下請けになることだけはすまいと、ささやかな決意を述べて、久々のエントリーの締めくくりとする。

世が直る直るとでかい螢かな   小林一茶


ホスピタリティのある空間
2005年05月11日(水)

新宿や池袋などの繁華街で、会合の場所として大変いい役割を果たしてくれていた談話室「滝沢」が閉店してから、そこを格好の場所として使っていた私たちは、代わる場所探しに苦労している。
喫茶店の一角を陣取って、安いお金で、長時間連句を楽しもうというのだから、店にとっては、営業の足しにはならないが、「滝沢」は、そんな人たちにも、こころよく、応じてくれる、ホスピタリティの溢れた空間だった。
月に一度の10数人の会合のために、店では、「予約席」の札を置いて、場所をとっておいてくれた。
従業員も、とても感じがよく、さりげないサービス精神を心得ていて、真面目な女性達が中心のグループにとっては、お茶とサンドイッチくらいの支出で、使えることを、有り難いと思っていたのである。
4月から、別の場所を探すことになり、たまたまインターネットで、お茶の水すずらん通りに、「F」という店を見つけ、下見を兼ねて、3月終わりに行ってみた。
出版社の地下にあるその喫茶店は、周りが、本屋や、大学が近いこともあり、私たちの目的には、雰囲気が合っているように思えた。
しかし、どうも店にとっては、あまり、歓迎する客ではなかったようである。
その店は、昼食時に、サービスメニューとして、1000円前後のランチ、あとは、飲み物やケーキ、ソフトドリンク程度の物を用意してあり、夕方になると、バーに模様替えして、仕事帰りのサラリーマン達の、酒場に変身するらしかった。
私たちは、昼前の11時に集まり、ランチメニューを頼み、午後3時頃にもう一度、飲み物か何か摂って、5時前には、退散すると言うことで、利用させて貰うことになった。
3月に初めて行き、4月も利用させて貰い、そして、今日もそこに集まった。
ところが、会合が終わり、「来月も・・・」という申し出に対し、やんわりと断られてしまったのである。
「他のお客さんから、苦情があって・・」とか、「場所が狭いので、長時間塞がれるとちょっと・・」などと言っていたが、要するに、歓迎しないと言うことであろう。
それ程混んでもいないし、迷惑になるようなこともないのにと思ったが、黙って受けることにした。
代わりの店は、すぐに見つけ、来月は、そこに集まることになっている。
そこが、果たして、そんなおおらかなところかどうかは、わからないが・・。
「F」という店は、本屋の地下と言うことをうたい、文化的な雰囲気を売り物にしているので、ちょっと期待していた。
しかし、昔と違い、あまりお金を使わず、長い時間、居座る客は、困るのである。
それだけ、世知辛くなったと言うことであろう。
学生時代、珈琲一杯で、勉強部屋代わりに長時間いても、イヤな顔をしなかった新宿の「風月堂」や、先頃の「滝沢」。
もう、そんな店は、望めそうにない。


連休明けて
2005年05月10日(火)

年末年始とゴールデンウイーク、それに夏の旧盆の頃は、日本人の国民的休暇期間となっている。
多分、この時期は、何処に行っても、人、人、人、で、あまり愉快ではないだろうから、人口が一時的に減少した東京で、のんびり過ごすに限る。
もともと、私は世間に照準を合わせるのが苦手なタチなので、夫が現役時代から、何も、わざわざみんなと同じことをすることはないと、独自の道を歩んで(ナント大げさな!)来たが、夫がリタイアしてから、我が家ではゴールデンウイークも、ますます関係なくなってしまった。
休みというのは、自分の好きな時に、好きなだけとれるのが、本当だと思うのだが、日本では、会社も工場も、一斉に休んだ方が効率がいいし、管理もしやすいというのだろう。
また学校も一斉に休むので、家族が一緒に過ごすには、その期間を使うのが一番良い。
この期間しか休めない人たちには、家族連れで、故郷に帰り、自然と接する貴重な時期になるので、西へ、東へと動くことになる。
かくして、高速道路は渋滞し、飛行機も電車も、混むと言うことになる。
私の息子夫婦も、お互いの休みを調整して、ハワイに出かけた。

長い休暇が終わって、昨日から、また世間は、通常の日常を取り戻しているようである。
今、仲間内でやっている連句掲示板、メンバーの休みが少しずつずれているが、主力は、毎日が日曜日組なので、止まらずに動いている。
連休中、大きな事故や事件はなかったようだが、けさ、イラクで日本人が拘束されたらしいという未確認情報があり、行方が気になる。


命に向き合った人たち
2005年05月09日(月)

今日の昼のテレビで知ったが、JR西日本の運転士や乗務員に対する、暴行や嫌がらせが、出て来ているらしい。
駅員や運転士に暴言を吐いたり、突き飛ばしたりの例があるという。
そんなことをする人たちは、事故の前は、電車が数秒遅れても、暴言を吐いていたのではないだろうか。
事故後、いろいろな、いわゆる「不祥事」が報道され、JRの体質が云々される中、直にお客に接する現場の職員達は、今は、何を言われても、何をされてもジッと我慢の子で、そうした暴言や暴力にも、耐えているのだろう。
さらには、線路に石や、自転車を置いておくなどの、運転妨害行為もあるらしい。
事故に乗じて、JR西日本には、何をしてもいいんだというようなことを考える人がいたとしたら、それは間違いである。
バカなヤカラの仕業であろうが、事件や事故のあとに、必ず生じるこうした理不尽な行為は、遠慮なく取り締まってほしいし、JRの社員、職員達が、それを我慢する理由はない。
そのことで、精神的なストレスが溜まれば、それこそ安全な運行にも、悪影響がある。
無理かも知れないが、現場の人たちには、むしろ早く冷静な気持ちに戻って、業務に当たるように、環境を整えるのが、大事なのではないだろうか。

一方で、事故直後、救急車などが到着する前から、近くの工場で働く人たちや、近隣の人たちが、被害者の救出に力を尽くしたという話も、報道されている。
こういう話を聞くと、ホッとする。
「助けて貰ったお礼を、言いたくて・・」と、事故後、始めて現場に行き、近くの工場を訪れた女性の姿を写していた。
人間は、目の前の人が命の危険にさらされた時、本能的に助けようとする気持ちを、もともと持っているのだという。
あの日、仕事を中断して被害者を助けに向かった人たちは、そう言う人たちだった。
その人達がいなかったら、あるいは、死者の数は、もっと増えていたかも知れない。
誰が誰を助けたかなどと言うことは、お互いにわからない。
みな、必死に、目の前の命に向き合っていたのである。


列車事故報道に思う
2005年05月07日(土)

JR西日本福知山線の列車転覆脱線事故から12日経った。
私は4月から新聞購読を止めてしまったので、事故のニュースは、テレビとインターネットで得る情報しかないのだが、このところのテレビ報道から窺い知る、マスコミ関係者の報道の仕方は、何かおかしい。
この事故で亡くなった人は107人、多数の怪我人も出て、まだ退院できずにいる人もいる。
被害者と、その遺族の方々の悲しみ、憤りは、想像にあまりある。
それを癒す言葉も見つからない。
それをふまえて、敢えて、言いたい。
最初の頃、事故現場に立ってのテレビ記者達の報告は、まざまざと映し出される映像と共に、時間の経過と共に刻々と明らかになる事故の状況を伝えて、テレビならではの利点を痛感した。
事故の原因が究明される中で、運転士の運行状況、その背景にあるJRの管理体制や、無理なダイヤの組み方なども、浮き彫りにされた。
レールや車両などの物理的な問題もあるかも知れないので、詳しいことは、いずれ精密な調査を経て、明らかになるだろう。
多くの犠牲者を出した鉄道事故。
特に、大事な家族や友人を亡くした方々が、悲しみと怒りで、冷静になれないのは、当然である。
しかし、マスメディアが、そこに一体化して、感情的な報道をするのが、果たして事故再発防止に、有益なのだろうか。
亡くなった人の、葬儀の現場に行き、予め想定した答を引き出すような、インタビューの仕方。
故人の人柄や、家族の周辺や、周囲の人たちの反応を取材して、ドラマ仕立てにするような持っていき方。
BGM入りのナレーション付きで、視聴者の感情に訴えるような構成の仕方。
コメンテーターも、その流れに乗って、想定の域を出ないコメントをしている。
ほとんどは、自信で取材したわけでもない、マスメディアからの情報に添ってのものだから、視点を変えての、独自の意見など、持ちようがないのである。
更に、事故車に乗っていたJR社員が、救出活動をせずに出勤したとか、事故後に予定していたボーリング大会に参加していたとか、さまざまな、いわゆる「不祥事」が出てきた。
JRの体質が、たるんでいると言われても仕方のない一種の「鈍感さ」を内包していて、それは充分批判されるものだとしても、まだ、詳細が良くわからない段階から、連日の記者会見で、社長以下、幹部社員をマイクの前で、罵声ともいえる言葉遣いで、つるし上げ的に非難し、カメラの前で、何度も頭を下げさせることが、本当にマスコミの、あるべき姿なのだろうか。
どこか、思い上がっていないか。
頭を下げる相手は、被害者であり、そこにいるマスコミ報道関係者ではない。
カメラの前で、頭を下げるというやり方が、いつの頃からか、事故や不祥事を起こした企業のトップの、記者会見の時の儀式のようになっているが、私は、いつも違和感を感じる。
「あれは、記者達にでなく、マイクの向こうにいる世間に対して頭を下げてるんだよ」と夫は言う。
記者達は、世間の代表だから、被害者遺族を含めた世間に代わって、関係者を断罪しているというのだろうか。
私は、ああいう場面を見たくない。
テレビは、視聴率を上げるためかもしれないが、演出たっぷりのやらせ的な、被害者遺族の取り上げ方をしないでほしい。
たとえその人達の同意を得てのことだとしても、スイッチを切りたくなる。
事故後に明らかになったJR西日本社員達の「不祥事」(とばかりは思えないが)に関する報道は、最初から思いこみで、世間を味方にした感情をバックにするのでなく、冷静かつ公平に取材し、今後の事故をなくすための前向きな視点から、報道してほしい。
それが、事故で大事な人生を奪われた人たちへの、マスメディアの使命だと考える。
そして、プロのテレビ報道よりも、シロウトブログの方が、この問題に、余程冷静に向かい、公平に分析した記事を発信をしていることを、あちこちで見て知った。
記事の書き方は、プロの記者のように、理路整然としていなくても、市井に生きる生活者ならではのスタンスで、生の声が出ている。
どこにも利害関係のないシロウトだから出来ることだと、一介のブロガーとして、共感を持てるものが少なくなかった。



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