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毎週金曜日の夕方、都内の某大学に、聖書の講義を聴きに行く。 現在パウロ書簡について、その生涯と活動を辿りながら、読んでいく。 6月2週目からは、マタイ福音書を読むことになっている。 2000年も前に、交通手段もなかったような時代に、ほとんど徒歩で、生涯に4回の伝道旅行をしたパウロと言う人がいなかったら、キリスト教は広まっていかなかったかも知れない。 地中海世界を歩いた旅程は、合わせて4000キロ以上に及ぶそうである。 シリアの町から始まって、トルコ、ギリシャ、ローマへと、次第に広まったキリスト教は、今は世界的な宗教となっているが、同時にイスラム教との軋轢も深くなっている。 もとは同じユダヤ教から出てきているふたつの宗教が、何故、こんなことになっているのか。 とりあえず、聖書と、その歴史を、少し勉強したいと思った。 受講生は神学校のシスターもいるが、ほとんどは社会人、キリスト教徒が多いのかも知れないが、私のような、無宗教の人間も、少なからずいるだろう。 いや、私は仏教の家に生まれたので、仏教徒と言うべきかも知れないが、私自身は、仏典も読んだことなく、葬式の時に意識するくらいで、無宗教と言った方が正確である。 キリスト教は、宗教としてよりも、物心着いた頃から読み始めた西洋文学に、必ず出てくる聖書のことばや思想によって、自分が信ずるかどうかは別として、興味を持ってきた。 特に音楽は、すべて、神への祈りから始まっているので、ミサやレクイエムを歌うとき、意味はわからずとも、ラテン語の歌詞は、自然に覚えてしまっている。 また、この7,8年は、市内にあるキリスト教系大学の公開講座に、行くようになり、少しずつ、神学や、聖書に関することを、学ぶようになった。 そこでも、神学通論と、アメリカの宗教的背景をテーマとする講座に出ている。 こちらは、学生と混じっての授業、一クラスに6,7人の社会人が混じっている。 どちらの大学も、大変安い受講料で、受講できる。 単位も、卒業も関係なく、自分の関心のあるテーマで学ぶ機会が、最近増えてきたのは嬉しい。 今日は、講座が終わって、チャペルに寄った。 パイプオルガンの演奏があったからである。 バッハなどの数曲を聴き、少しばかり献金して、帰ってきた。
5月というのは、日本では一番良い季節の筈。 緑の色が深みを増し、やさしい風が頬を撫でる。 暖房も冷房も、ほとんど遣わずに済む貴重な時期。 それなのに、今の時期は、一体どうしたことだろう。 風薫る、と言う言葉にふさわしい日は、あまり体感することなく、5月も半ばを過ぎてしまった。 このまま梅雨を迎えるのだろうか。 参加しているWEB句会で、今月の季題を出して欲しいというメールが、主催者から来たので、「薔薇」「走り梅雨(または迎え梅雨)」{蝸牛(ででむし、まいまい)」の三つを出し、そのうちの走り梅雨が採用された。 句会の主宰も、その季題に、感ずるところがあったのかも知れない。 数日前、会合で一緒になった、別の人から、その人のWEB句会に誘われた。 参加者10数人で、WEB句会を、大分前からやっている。 それは知っていて、昨年暮れから投句もしていたが、正式に参加していなかった。 正式というのは、面識のあるその主催者に、「ネット上と言うことで、本名はしばらく名乗りませんが、参加させてください」とメールを出し、「名乗る必要はありません。ネットでのお名前で充分です」と言ってくれたので、そのまま半年経っていた。 投稿の書き方などで、あるいは、私であることは解っていたのではないかと思っていたが、そうでなかったようだ。 話が出たからには、ここで名乗って、挨拶した方がいいと思ったので、「実は・・」と、白状した。 「そう思ったこともあったんですけどね」と、少しビックリしたようだった。 ネットは、実人生とは違う空間で、別の自分を表現できる場である。 自分を語る手段は、そこに表現された言葉のみ。 顔も姿も関係ない。 どんな美人も、同じ土俵に立たねばならない。 刺激的で、面白いが、厳しい世界でもある。 私も、WEB上の連作ボードをいくつか持っている。 趣旨に添った参加の仕方なら、顔見知りであろうと、無かろうと、どうぞお入り下さいと言っている。 ボードで共通の目的を持って、参加している限りに於いては、例え、参加者が、実人生で波長の合わぬ人であっても、構わぬと思っている。 その人が、どこでどんな生活をして、どういう人であるかと言うことは、ほとんど関係ないからである。 しかし、そうした区別の出来ぬ人というのも、存在する。 一時期、あるWEB句会に、参加していたことがあった。 主催者に参加申し込みをし、あくまでWEB上だけの付き合いのつもりで、参加していた。 だが、半年ほど経って、参加不能の状態になってしまった。 主催者が、黙って、URLを別の場所に移してしまったからである。 問い合わせたが、「閉鎖しました」という返事だった。 でも、それがウソであることは、すぐ解った。 私は、その句会に関する限り、礼儀正しく、ルールを守って参加していたが、何か、気に入らぬことがあったのだろう。 実人生で、自分の気に染まぬ人は、ネット上でも付き合いたくないという、タイプの人だったらしい。 私の投句した句をみると、それとは関係ない記憶が蘇ってきて、我慢できないと言うことがあったのかも知れぬ。 だが、それは向こうの思いこみである。詮索しても仕方がない。 個人サイトの管理者は、人を受け入れる自由も、拒否する権利もある。 文句を言う筋合いはないのである。 ただ、私にとって、不快なことには違いない。 私が親しくしている人たちに、広く参加を呼びかけているので、そんな話題も時に耳には入ってくるからだ。 見せびらかして、仲間はずれみたいな、姑息なことをするなあと、ずいぶん傷ついたが、この頃は、もうどうでもよくなった。 そんなことがあるので、今回誘ってくれたひとに、あとからメールを出した。 今まで黙っていて悪かったこと、これからは、あらためて、宜しくお願いしますと書いた。 すると返信が来て、こんな事が書いてあった。 「WEB句会にいるあなたが主人公であり、本体にはそれほど興味はないのです。 仮面であってもなんであっても、その人らしい気持ちと表現であるなら、どのようでもよいと私は思っております。 自分というものだって、何だか幻のようなものではあります。大事なのは、その場所にいるその人の思いだけです。 その人が、実際にどんな人かと言うことは、興味がありません。 句会に対する熱い気持ちがあれば、それがすべてです」。 そして、あまり思惑を持たず、自由な気持ちでお付き合い下さい、あなたが誰と言うことは、私から言うことはありませんからと結んであった。 その言葉に私は感動してしまった。 こういう感性の持ち主なら、多分、相通じるものがある。 正体のわからぬ忍者でいる楽しみは失われたが、これからも、月一回のWEB句会を愉しみたい。
・・・と思うような雨模様が続いている。 本当は一番良い季候の筈なのに。 風薫る緑の季節。 冷房を入れるほど暑くはなく、ちょっとした旅行にも、美術館や音楽会にも、出かけやすい頃。 雨も、嫌いではないが、梅雨を控えての、今頃の長雨は、ちょっと恨めしい。 夕べは夜中の一時頃まで起きていたので、今朝はちょっと寝坊した。 町会費と赤十字募金を、当番の人が集めに来た。 このあたりは11軒がひとつの班になっていて、一年交替で、当番が回ってくる。 半世紀前は、民家もほとんど建っていないような農地だったらしい。 豪農というのか、大きな地主が住んで、畑や畜産業をしていたようだ。 昭和30年代に入って、地主が少しずつ土地を宅地にして売りはじめ、家が増え始めた。 町会議員は、ほとんど地主が交代でやっていたので、その便宜のために、町会を作ったのであろう。 小さな神社があり、その管理や、その頃あまり進んでいなかった街や道路の整備、家々の連絡のための必要性があったのかも知れない。 うちが引っ越してきたのは、昭和40年代後半だが、まだ、周りには、桑畑や、豚を飼っている農家もあった。 その中にの20数軒が、ひとつの班になって、町会に所属していた。 後に、ふたつに班が分かれ、募金や、神社のお祭りや、防犯、防火、交通安全の行事に協力している。 でも、ほとんどが宅地化され、サラリーマン家庭が多くを占めている現在、住民サービスは市のレベルで行われており、情報も、市報やインターネットで採れるので、町会の果たす役割はほとんどないような気がする。 回覧板を見ても、新しいことは何もない。 年に3回ほど廻ってくる募金も、一体どんな風に使われて居るんだろう、届くべきところに届いているんだろうかと思いつつ、お付き合いで出すが、出さないときもある。 500円くらいのことだが、街中で子どもが箱を持っているところに入れた方がいいような気がする。 町会という組織を使った募金の仕方は、あまり良いことではないような気がする。 自分で、郵便局などに行って振り込んでこそ、募金の意志が現れるのではないだろうか。 そんなことを、いつか町会の総会で発言したら、「非協力的」とか「うるさい人」となどと、陰口を聞かれたらしい。 大体が事なかれ主義、いいとは思わないが、反対してもかえってソンだから適当に付き合っておく、という方がいいようである。 悪くすると、相互監視になるので、戦時中の隣組にならないように、気を付けなければならない。 自分が当番の時に、集まりが悪いと困るので、私も、年に3回の募金のうち、2回は「協力」している。
夫がスポーツクラブに出かけている間のこと。 いい天気なので、私は洗濯をし、それを干そうとしてベランダに出た。 シーツを竿に掛けようとして、両手を伸ばした。 竿は少し高い位置にあるので、上を向いた格好になる。 シーツを伸ばし、端をピンチで止めようとしたとき、急に体が、左によろけて、立っていられなくなった。 傍の椅子につかまったが、崩れそうになる。 とにかく、這って家の中に入り、窓の鍵を閉めた。 そのまま床に寝転がった。 私の頭にひらめいたのは、「脳卒中か」と言うことだった。 その場合は、動かないほうがいいのだろうが、救急車を呼ぶにしても、電話が要る。 また這って、携帯電話のある場所に行った。 頭痛はないし、手先、足先も動く。 歌も歌える。言葉もしっかりしている。 数字を数えてみたが、それも大丈夫である。 脳ではなさそうだなと思った。 携帯で、夫に掛けると、留守モードになっている。 スポーツクラブで、トレーニング中か、風呂に入っているらしい。 メッセージだけ入れて、そのまま床に寝た。 救急車を呼んでも、玄関に鍵が掛かっているし、意識があるから、急を要することではなさそうだ。 それから1時間くらい経っただろうか。 ガレージに車を入れる音がしたので、夫が帰ってきたと解った。 玄関を開けて、夫が走り込んできた。 「どうした」という。 ことの次第を話し、そっと立ち上がってみると、ふらついてはいるが、何とか立っていられる。 「救急車を呼ぼうか」と夫は言ったが、午後から、いつも掛かっている内科の医者に行くことにして、昼食を摂った。 吐き気はないし、食欲もある。 「貧血じゃないの」と夫が言う。 15,6年前まで、私は慢性的貧血があったが、最近は指摘されていない。 午後の診療時間になったので、夫に連れて行って貰った。 車で、15分くらいのところにある医院である。 昔入院したときの大学病院で、若い研修医の女の先生に世話になったが、その結婚相手が内科の先生で、市内で医院を開業、現在に至っている。 夫も私も、そこで検診や、何かの時の世話になっている。 今日は、連休明けということもあって、混んでいた。 1時間くらい待った。 問診で、先生の見立ては、「耳石が三半規管に当たったせいでしょう」という。 人間にも、耳石というものが出来て、それが、平衡感覚を司る三半規管に触れると、目まいを起こすのだという。 加齢や、過労などの原因で、珍しくない症状らしい。 「念のため、脳も調べましょう」と予約を入れ、血流をよくする薬を処方されて帰ってきた。 夕方から「神学講座」に行くことになっていたが、休むことにした。 最近、寝不足が続いていたので、当分、11時に寝ることにした。
今日は寒かった。 おととい都心まで出かけた時は、まるで真夏の暑さ、すっかり汗をかいて帰ってきた。 昨日夕方、人の通夜に行ったが、黒のアンサンブルで、まあちょうどよい気温だった。 今日は昼から下町で、連句の会に行った。 出がけにシャワーを浴び、そのぬくみが残っていたために、外との温度差がよくわからず、薄着で出かけてしまった。 外出前にシャワーというのは、習慣だが、寒いときは、早めに浴びて、体温が落ち付いてから身支度するのに、今日は時間がなかったので、出る直前にシャワーということになってしまったのだ。 半袖の綿シャツに、綿のブルゾン、パンツというスタイル。 それで、丁度いいと思った。 電車の中では寒さは感じなかったし、駅から徒歩7分くらいの距離を、かなり急ぎ足で歩いたので、会場に着いたときは、上着を脱いで、半袖になったくらいだった。 しかし、席に落ち着き、連句が始まる頃から、だんだん体が冷えてきた。 冷房は入ってなかったが、空調は作動していたようで、その風が、寒く感じられ、また上着を着たものの、夕方6時に終わったときは、すっかり、寒くなってしまった。 同席の男性が、「今日は寒いんですよ。僕なんかコート着てきましたよ」と言った。 連句が終わると、残った連中で、近くの飲み屋でいっぱいやることになっている。 そのつもりで、みんなが揃うのを、私も待っていたのだが、店まで歩く途中、このまま行けば風邪を引くなという気がしてきた。 ウールの上着にすればよかった、急いでシャワーなんか浴びるんじゃなかったと後悔した。 店に着いたとき、「何だか寒気がするから、今日はこのまま帰るわ」と言って、一人で帰途についた。 夫は、私が連句に行くときは、どうせ遅くなると思っているから、夕飯はアテにせず、一人で済ませることになっている。 駅近くで、出来合いのお弁当やら、つまみを買い、家にはいると、夫は、すでに食事を済ませて、巨人戦を見ていた。 「ホラ、今日は気温が低くなるよと言ったじゃないか」と夫は言ったが、私は聞いていなかったらしい。 食事をし、お茶を飲んだら、やっと落ち着いた。 このところの気温の変化はおかしい。 トシのせいか、体温調節機能が衰えているようだ。 私が先に帰ったことをあとから知って、今日の連句仲間からメールや電話があった。 「天敵はいなかったはずですが・・・」というメールは、先月、飲み屋の入口まで行って、天敵がいると知って、Uターンしたことを知っている人からである。 「薄着で行ったので、風邪を引きそうでした」と返信した。 「出がけに、天気予報も見ないのは、怠慢です」と、また返信が来た。
知人の奥さんが亡くなり、その通夜に行く。 知らせがあったのは、昨日だった。 私は、おととしの秋から1年あまり、その人が主宰する連句の会に参加していたのである。 以前、その会に連句を教えに行っていた人が、都合で行けなくなり、私に誘いがあった。 もちろん、私は教えるような立場ではないし、柄でもないので、「お仲間として参加させて下さるなら」とはじめに断って、月に一度、神奈川県S市まで、行くようになったのである。 メンバーは、全部で6人ほどの小さな会。 心優しい人たちばかりで、愉しく和やかにお付き合いしてきた。 昨年春、その人の奥さんが悪性腫瘍で手術し、一旦はよくなったかに見えたが、2ヶ月ほどして再発、再入院した。 それからは、一進一退の状況だったらしい。 昨年暮れ、看病に専念したいから連句をやめたいと言われ、解散した。 その後、病状を訊ねるのも憚られるので、そのまま音沙汰無かったが、昨日来た突然のメールが、訃報だった。 奥さんの学生時代の友達が、私の連句仲間なので、相談して、今日の通夜に行くことにした。 式場に赴くと、喪主の連句会で一緒だった女性が受付を手伝っていた。 目礼して、通夜の席に着く。 読経が始まり、親族に続いて、焼香する。 遺影の主とは、面識はなかったが、明るいふくよかな感じの人。 妻を亡くした人の心中を思いやると、胸が詰まる。 老後を愉しく過ごしたかったに違いないのに、昨年、癌が発見されてから、行ったハワイ旅行が、最後の思い出になったようだ。 今年の年賀状には、「いずれ落ち着いたら、連句も、再開したいと思っています」とあったが、その言葉は、どういう意味だったのか。 分野が違っても、自身が医者の身、妻が不治の病と悟りながらも、奇跡を信じていたのか。それとも・・。 私の所属する連句の集まりには、連れあいを亡くした人が結構いる。 多くは、高齢になって、夫を亡くしたケースだが、最近は、奥さんに先立たれる人が増えてきた。 それも、癌などの病気で、まだ、充分余命を残しての年令である。 私の仲間にも、奥さんを亡くした男性が二人いる。 1,2年は悲嘆のあまり、会にも出てこなかったが、気持ちが落ち着き、時間が経つと、復帰してくる。 「あなた達と喋ってると、気が紛れていいよ。家に帰ったって、待ってる人がいないんだもの」 などと言って、我々女どもの、下らないお喋りに付き合いながら、結構愉しんでいる。 今までそばにいたひとが、突然居なくなると言う現実。 癒してくれるのは、時間だけである。 風薫る5月。 その最初の日に、人の不幸の儀式に立ち会うことになった。
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