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艦長日誌 西暦2007年5月31日
今日の仕事は深夜1時前まで。さすがに眠いっす。晩飯もインスタントの焼きうどんとお菓子で済ますという不健康さ。そして肩というか首が凝ってる。あ〜温泉に行きたいでございますよ。
艦長日誌 西暦2007年5月30日
九州ローカルの深夜番組で、鹿児島の内之浦にある鹿児島宇宙空間観測所が取り上げられてました。ここは文部科学省直轄の宇宙航空研究開発機構(JAXA)の打ち上げ射場です。日本初の人工衛星「おおすみ」はここから打ち上げられ、火星探査機「のぞみ」の打ち上げもここからです。
ちょっと調べてみたが、日本のロケット打ち上げとなるとどうしても種子島を思い出しますが、種子島宇宙センターは気象・放送・通信などの実用衛星を、内之浦では天文観測衛星や惑星探査機が中心となっているとか。内之浦では、これまで打ち上げに使ってきたM−Vロケットが昨年9月の打ち上げをもって現役引退だったそうで、番組ではその打ち上げ間での様子などが放送されてたのかな(夜遅かったので最後まで見ませんでした)
打ち上げに際しては遠くからロケット好きが見学に集まってくるようで、番組でも横浜や京都、三重などから来ていた方々を取り上げてました。しかも打ち上げは雨天延期され、それでも「こういう事も含めて面白い」と言ってのける強者達。良くやるなぁと感心しますが、考えてみれば、スキーのために年何回も県外に足を運び、熊野古道や石見銀山に車で行く自分もかなりの物好きであるんだな。まぁ自分の好きなことに関しては遠くに足を運ぶのは苦ではないって事ですな。
2007年05月29日(火) |
いい汗かいて、また飲んで |
艦長日誌 西暦2007年5月29日
今日も今日とてブートキャンプ。なんとか基本プログラムの60分について行けそうな感じです(バンドなしですが・・・)。いやはや、30代半ばともなると衰えてますねぇ。いい汗かいて風呂入って、風呂上がりの発泡酒がウマイ!! って、だめじゃん。ダイエットになっとらんですよ。いや、基礎代謝が上がるから、その分で痩せる・・・といいなぁ。
母から携帯にメールが入った。アドレス変更したとのこと。とはいえ、いきなりメールが来て「アドレス変えました」だけ。内容とメールアドレスから、おそらく母だろうということはわかるが、せめて名乗ってください。じゃないと迷惑メールかと思っちゃいますよっと。こういう、アドレス変えたよとメール送ってきながら自分が誰かを文面に書いてない人、たまにいるよなぁ。気をつけましょう。
艦長日誌 西暦2007年5月28日
今日は衝撃的なニュースが2件、立て続けに飛び込んで来ましたね。 片や有名歌手の転落死(事故か?自殺か?)、そして国務大臣の自殺。う〜ん、どちらの死に方も、やりきれないというか、納得いかないというか。人の命ってはかないものだなぁと、つくづく思います。自分は限りある生を有意義に生きてるか・・・時間を大切にしなきゃ成らんなぁと思いつつも、またいつものダラケタ生活に戻っていくんだろうな。
艦長日誌 西暦2007年5月27日
昼くらいから犬飼リバーパークに行ってきました。5月も末になって、ようやくカヤック初漕ぎです。現地に着いたら、なにやら競技が終わったところらしい。いかにも上級者な感じの皆さんがいらっしゃいました。表彰式らしき者が終わるまでしばらく待機。さて表彰式も終わり常連さんが漕ぎ始めたのでこちらもカヤックに乗り込む。
まずはロールの練習。さて半年ぶりのロールは・・・意外と簡単に成功。今日は自分の艇じゃなくてKENDOだから楽ちん。やっぱりKENDOは乗りやすいわ。今日の犬飼は水量かなり少なめ。おにぎり岩はマッポシ顔を出してます。国体に向けた整備中で、スロープの工事が進んでます。なんか瀬も若干変わったみたい。おにぎり岩あたりの流れがかなり激しくなってるようで、その代わり一番下の瀬がなくなってる・・・初心者にはかなり良い練習場所だったんだが。全体的に上級者向けのコースにしてるようです。あー、今年の県体は思いやられるなぁ・・・。
結局3時間程度漕いで終了。まぁ初漕ぎにしては良く漕いだんじゃないかと。これから先、月に1,2回くらいは練習しておかないとなぁ。
2007年05月26日(土) |
自転車散歩で濃厚ラーメン |
艦長日誌 西暦2007年5月26日
飲み会の翌日で若干二日酔い気味。今日は上司様がオートポリスにスーパーバイクレース観戦に行ってるので、ワタクシは遠出できません。ということで今日は近場でのんびり休日です。
お昼はチョイと自転車を漕いで、府内大橋の近くにある「一骨家」というラーメン屋へ。大分では結構美味しいという噂のお店。店内はレトロな居酒屋という雰囲気。サザンのライブDVDが液晶大画面で流れてたりします。14時過ぎだがお客は結構多い。炙りチャーシューの煙が天井を漂ってます。ラーメンメニューは厚切り炙りチャーシューラーメンと、軟骨のトロ肉ジューシー麺の2種類。俺はトロ肉のほうを、嫁様が炙りチャーシューを注文。スープはかなりとろみのある豚骨醤油かな?ラーメンの器が四角くて奇妙です。なのでスープはレンゲで頂きます。かなり濃厚で好みの味。麺は極細ストレートでかなり固麺。これも個人的に好み。軟骨トロ肉も本当にトロトロになるまで煮込んであって美味い。炙りチャーシューの方もちょっと食べたが、こちらは炙ったチャーシューとスープが主張し合ってちょっとクセが出てしまってる感じ。俺的には軟骨トロ肉の方が好きかな。でも人気は炙りチャーシューの方が上みたい。ちなみに、食後はかなり喉が渇きます。う〜ん、塩分多め、化学調味料多めってことかしらん?
その後、ゼビオにちょっと立ち寄るが買いたい物は特になし。店内をぶらついてたら、友人にバッタリ!会うのは1年半ブリくらい?しばらく近況など話し込む。相変わらずアクティブな男です。
河川敷を自転車こいで帰宅。帰宅後はテレビを見ながらのんびりマッタリ。ふやけた休日を送りました。
艦長日誌 西暦2007年5月25日
今日は会社で所属するGrから別部署に出ていた方2名が4月に戻ってこられたのでその歓迎会。場所はキ○ン大使館。以前は普通に刺身や鍋を出す宴会が出来る居酒屋?だったのだが、いつのまにかある程度の料金払えばメニューに載っている品は食べ放題飲み放題ってなシステムに変わってた。とはいえ、酒が出てくるのも料理が出てくるのもとにかく遅いので、あまりお得感はありません。加えて幹事が不慣れもいいとこで段取り悪し。この幹事任された若手社員もかなり変わったやつです。幹事なのに歩いてきて会場にきたのが開始5分前。幹事ならもっと早く来んかい。 宴会の方は、戻ってこられた方の挨拶が、まぁ他部署でいろんな経験をされた方ならではの広い視点での発言、さすがだなぁと感心する。やっぱり人間経験を積むことで良い方向へ変わるのですなぁ。
艦長日誌 西暦2007年5月24日
今日のエクササイズ・・・あ〜もう面倒くさい、ブートキャンプです。今日のは腹筋プログラムをやってみることにしました。息が上がるというようなキツさはないが、本当に腹筋に効きます。最後の方は、本当に腹が攣りそうになった。ヤベェヤベェ!と慌てて腹筋ゆるめたり(笑) 本当に、自分の体が衰えてるんだなと言うことを実感します。鍛えねば!
それにしても、やってるとキツいんだけど楽しいんよね。ハイになります。ビリーの台詞がまたやる気を増幅させるんだわ。「キツかったら休んでもいい。でも必ず戻ってこい!最後まで諦めないことが肝心だ!」 うん、なんか良い言葉です。
艦長日誌 西暦2007年5月23日
昨日のエクササイズの効果というかナンというか、早速太股の後側が筋肉痛です。前側は全然平気なんだけど。それだけ後側の筋肉は普段使ってないって事ですねぇ。こりゃ効果有りですわ。でも今日は夜時間が無かったので出来てません。明日はやるぞ!
2007年05月22日(火) |
サークル!サークル! ツイスト!ツイスト! |
艦長日誌 西暦2007年5月22日
某テレビショッピングで売ってるエクササイズのDVD、手に入れました。7日間の短期集中プログラムってやつですな。以前から、テレビで見てあのテンション高い黒人マッチョの動きに興味津々でした。ってことで、今日はちょこっとだけやってみました。
こりゃきつい・・・今日はお試しで途中で止めましたが、この基本編約60分をいきなり通して出来る人は充分な体力の持ち主だと思われます。とりあえず、30分ほどやって汗だくです。以前スポーツクラブでやってたエアロビよりもキツイかもしれん。
このあと、最終プログラムがどんな感じか見てみました・・・ 30分程度だけど、テンポ早くて動きも複雑になってます。これまともに出来るようになるにはやっぱり体力と基本的な動きを身につけてからじゃないと厳しそう。基本編から覚えていってボチボチ挑戦ですな。
明日から本格的にやってみよう。まずは基本編60分を通して出来るように頑張りましょ。
艦長日誌 西暦2007年5月21日
給料出ました。何かと出費が多くて大変です。節約しなきゃなぁなどと思いつつ、6月は友人の結婚などもあってまた出費が・・・ま、目出度い事への出費ですから喜んで〜、ということで。
今晩のメニューはすき焼き。わ〜い♪と、昭和の子供のように喜ぶ・・・なんてことはないですが、発泡酒と共にウマウマー(゚∀゚) でもここ3日続けて飲酒なので今日は控えめに。またまた腹一杯食べてしまって、体重が気になるお年頃。明日からダイエットだっ!多分。秘密兵器も手に入ったしね。ニシシ・・・
艦長日誌 西暦2007年5月20日
朝7時前に起床。ちょっと寝すぎたか。快晴で朝のひんやりした空気も気持ちよい。軽く朝食を済ませキャンプ村を後にする。
硫黄山前の駐車スペースに車を停めて韓国岳を目指す。今回の山行の目的はミヤマキリシマ鑑賞だったが、4月に降った雪のせいか、ここでも開花はかなり遅れている模様。標高の低いところにチラホラと咲く程度だ。いまだに三つ葉ツツジが咲いているのだから仕方ない。
頭上を覆っていた潅木もすぐになくなり日差しが照りつける。晴天の下、景色を堪能しながら高度を上げていく。南には桜島の大きな山体も見える。足元はゴロゴロと石が転がる道からごつごつとした岩に変わり、大浪池が見えてきて、登山開始から1時間15分で山頂へ。あまりに早くついたのでちょっと拍子抜け。山頂からは高千穂の峰の綺麗な姿が見えるが、なぜかその上にだけ雲がかかっている。
ここからは二手に分かれる。剣客のA氏と大学でも山に登っていた新人2名はこのまま高千穂河原までの縦走。私と嫁は帰りの運転に備えて無理をせず大浪池経由でえびの高原に下山し、高千穂河原に3名を迎えに行くことに。大浪池を目指しての下りは新緑と池の眺めが綺麗。だが木の階段の連続でちょっとうんざりする。大浪池を過ぎ、心地よい森の中をゆっくり歩きえびの高原まで降りる。
下山後一足先に温泉に入ってから高千穂河原へ3名を迎えに行く。意外と早く、13時半には高千穂河原に下りついていた模様。途中、警察や消防団など捜索隊の方が出ていた。遭難者かけが人でも出たのだろうか。
3名を乗せて大分への帰途に着く。帰りは国富町あたりから門川町へと抜ける広域農道を通ってみる。昨日キャンプ場の温泉で一緒になった延岡の登山者から教えてもらったルートだ。その方の言うとおり、信号がなく車も少なくて快適に走れる。時間的にもけっこう短縮できて良い。大分に帰りついたのは19時半ごろ。思ったより早く帰れた。生き返りの運転でさすがに疲れたが、今回は霧島連山の違った顔も見れて良かったんじゃないかな。
艦長日誌 西暦2007年5月19日
会社の山の会で霧島山行です。朝5時に集合して5名でえびの高原へ向かう。さすがに眠い、そしてワタクシ運転手なのでキツイ・・・。
当初の予想通り11時前にはえびの高原駐車場に到着。今日は一般的なルートではなく、韓国岳からえびの高原をはさんで反対側の白鳥山と甑岳に登ります。11時に登山開始。登山道というよりは、池巡りコースとして整備された遊歩道を歩く。40分くらいで白鳥山の山頂へ。眼下には白紫池、そしてその向こうには韓国岳がどっしりとそびえる。晴天に恵まれ見晴らしGood。
白紫池の縁を巻くように進み高度を下げると、すぐ隣にある六観音御池が見えてくる。酸性の水を湛えた火口湖はコバルトブルーに輝き水際は砂浜のよう。霧島連山の中で一番美しい湖とも言われる。この池の縁には豊受神社がある。ここで読経をしていた性空上人(910〜1007)がヤマトタケルノミコトの神霊に会ったのち、堂を建て六体の手彫りの観音像を安置したのがはじまりとされる。 明治の神仏分離豊受け神社となった。周囲には樹齢五百年を超える杉の神木をはじめ巨木多数。この御池の畔で昼食。
昼食後、甑岳を目指す。不動池の縁から甑岳方面へ。道中は背の高い赤松の森。新緑に包まれた林床は気持ちが良いが、若干ルートが不鮮明でテープを頼りに進む場所もある。
森の中をなだらかに下った後は一気に急登で甑岳山頂。山頂の河口跡は湿原になっている。目の前には韓国岳、景色は抜群だ。
ちょっと長めに休憩後下山。不動池を回って若干の舗装路歩きでえびの高原の駐車場へ戻る。
下山後は予約していたえびの高原キャンプ村へ。泉質良さそうな温泉に入り、宿泊するケビンでみんなで鍋を囲んで酒盛り。山の話や方言の話など色んな話題で盛り上がる。明日の山行があるので23時に就寝。
2007年05月18日(金) |
立食パーティーは疲れます |
艦長日誌 西暦2007年5月18日
会社の自分が関連する部署の創立30周年記念パーティがあり、最初は出席するつもり無かったんだが半ば強制的に参加させられる。某ホテルで、現役からOBの方まで300人規模の立食パーティ。早めに案の定、この手のパーティーは冒頭のお偉いさんの挨拶が長い長い。合計40分も。うへ・・・。もちろん立食だから立ったまんま。乾杯の後も、何とも退屈なパーティーで、OBの方は懐かしい話しで盛り上がってらっしゃいますが、つい最近この部署に関連することになったワタクシなんぞ話しに全く入れません。ただ突っ立って食べてるだけです。 まぁ、30年の歴史を支えてきたOBの方々の労をねぎらう意味もあるので、こういうパーティは必要なんでしょうが、正直疲れます・・・。会がお開きになったら早々に退散。帰宅して明日の登山の準備して早めに就寝です。
艦長日誌 西暦2007年5月17日
今度の土日は会社の山の会で霧島へ行きます。今回ワタクシ幹事なので、参加者集めて打ち合わせ。当初は縦走の予定だったが、日程や対象の山の希望などから、土曜日は白鳥山〜甑岳、日曜日は韓国岳〜大浪池に留まる予定。日曜日はそのときの体長や時間次第で新燃まで足を伸ばすかも知れないけど、なにせ大分からえびのまでの移動が250km、5時間は確実にかかるからなぁ。帰る時間も考慮し、あまり無理しない計画にしました。「なんちゃって登山家軟弱派」って感じですかね。でもこの計画だと、ミヤマキリシマはあまり見れそうにないなぁ。それに開花も遅れてるみたいだし。まぁ他の見所もいっぱいあるでしょう。
艦長日誌 西暦2007年5月16日
5月の26,27日と、上司はオートポリスで行われる「スーパーバイクレースin九州」を観戦に行くとのこと。上司はバイク好きなんですねぇ。ということで、必然的にワタクシめは遠出不可と相成りました。さてなにするかねぇ・・・。そろそろカヤック今年初漕ぎにでも行くかなぁ。その前に自艇の修理を終わらせなきゃ。シート取り付けずっとほったらかしだし。
艦長日誌 西暦2007年5月15日
今日は仕様の打ち合わせ・確認などで20時前まで。それ以外にも調査依頼の対応等々、けっこうあわただしかったなぁ。上司が休んでる日に限って色々あって忙しくなるような気がするのは気のせいか。
もう5月も半分過ぎますねぇ。なんか月日が過ぎるのがとても早く感じられる。歳を取ったって事でしょうかね。もっと時間を効率的に使わんとなぁ・・・などと思いつつも、過去の実績上、そして自分の性格上出来ないことは分かっております。ならば、楽しむべき時は目一杯楽しむ!という方針で行くしかないのかなぁ。
艦長日誌 西暦2007年5月14日
今日のニュースはなんと言ってもこれでしょう。
【国民投票法が成立 22年施行、改憲の手順整備】 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070514-00000036-san-pol
憲法改正の手順が明確に見えてきました。これから関連法の整備が必要みたいですが、これでようやく憲法を国民自らの手で変えていける「まともな国家」への一歩を踏み出したと思います。
例によって「護憲派」の皆さんは大騒ぎしてますが、この法律が成立=即改憲ではありません。そもそも憲法自体に改憲の定義がされているにも拘わらず、その手段となる法律が存在しなかったことに問題があるわけです。この法律に問題点が全く無いわけではありませんが、国民投票法の必要性は民主党も認めています。これから関連法を整備する段階で問題点を抽出、国会で議論して正すべき点は正していけばいいと思います。
最も争点となるのがいわゆる憲法9条ですが、改憲を最終的に決めるのは国民の審判に委ねられるわけです。新しい憲法の草案が悪いものであれば、国民が明確に「NO!」を突きつければよい。それこそが民主主義です。ようやく日本の民主主義もまともになってきたのかなと思います。 自分がこんな偉そうなことを書くのはおこがましい気もしますが・・・(^^;
艦長日誌 西暦2007年5月13日
ゴールデンウィークに行った石見銀山遺跡、7月にも世界遺産登録されるかもとかなんとか言われてたら、こんなニュースが。
【世界遺産イコモス報告書 石見銀山「登録延期」】 http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/modules/news/article.php?storyid=374471169
最終的に世界遺産に登録されるかどうかの決定をするのは6月に行われるユネスコ世界遺産委員会ですが、イコモスの評価報告書が4段階(登録・情報紹介・登録延期・不当録)のうちの「登録延期」だったので、このままだとユネスコの方でも登録にならない公算が大です。仮にユネスコで「登録延期」になると、申請の再提出などを経て最短でも登録は2009年になるとのこと。
「登録延期」と評価された要因、要は世界遺産に足る証拠をもっと出しなさいって事のようです。世界遺産だから、他に比べての特異性、この場合だと、石見産出の銀が自国・東アジアのみならず、世界的な影響を与えたことに関する証拠の提示が不十分とのこと。
実際、文化遺産であれば、特異性の提示は容易でしょう。「他にない文化」であればいい。自然遺産も同様。「他にない生態系・自然環境」を示せばいい。その点、鉱山遺跡としての特異性を示すには、生産量や流通量に占める割合、他国の産地との比較などなど必要なんでしょうな。しかも、現在における者ではなく、石見銀山が盛況だった戦国・江戸時代のことだから、そういった資料を見つけてくるのは大変でしょう。他国のデータがあるかどうかも疑わしい。
少々残念なニュースではありますが、それでも石見銀山の歴史は素晴らしいものだと思います。仮に世界遺産登録されなくても、世界に誇るべきものだとして保護・継承が疎かにならないよう望みます。まずは、登録への可能性を模索し諦めないことですね。関係者の方々、応援してます!
艦長日誌 西暦2007年5月12日
今日は山に行きたかったが、仕事の関係もあり我慢ガマン。久しぶりに小津留湧水で水汲みをし、湧水茶屋で美味しい豆腐にありつく。ウマウマ。その後は久住方面にドライブするが、やったことと言えば草原に車を止めての昼寝のみ。やる気ナシナシな一日でした。う〜ん、イカンのう。
艦長日誌 西暦2007年5月11日
会社の係内のミーティングで、通信教育の話しが出てきて耳が痛い。内の会社では、技能職社員は職場のリーダー的な役職になるためのハードルとして、指定の通信教育を5科目以上履修して、認定試験に合格しなきゃイカンのですよ。ちなみにワタクシ、通信教育はサボりにサボって1教科しか認定受けてません。はぁ、勉強しなきゃならんのぅ〜。高校の頃は勉強もそう苦にならなかったが、今じゃすっかり怠け者ですよ。いらん知識欲ばっかりはありますが(笑) ともあれ、少しまじめに取り組むべし。
艦長日誌 西暦2007年5月10日
なんかここのところ心身ともにダルイです。やる気でない感じ。というか、眠くてしようがない。当然仕事の効率も上がらんですわな。ま、マイペースでボチボチ行きます。思いっきり体を動かしてスッキリ今日この頃。
艦長日誌 西暦2007年5月9日
昨年はアケボノツツジを見に山に登る機会を逸して見れなかったが、今年も4月末に登ったときは開花が遅れて花には出会えず、ゴールデンウィークも石見銀山に行ってたので、機会を逸してます。今週末なら何とか見れそうだが、先週遠出してるし、仕事の建前上山に行くのは気が引ける。アケボノツツジが満開の時の、あの桃源郷のような景色をまた見たいんだけどなぁ。う〜んどうしたもんか。悩みます。
艦長日誌 西暦2007年5月8日
来週の金曜日、そして再来週の金曜日と会社の飲み会。さらに6月最初の日曜日はアウトドアサークルのメンバーの結婚お披露目会。飲み事が続きますねぇ。ま、会社の飲み会は積み立てた金から会費が出るので懐は痛まないのでいいんだけど。
飲み事と言えば、最近はよく晩酌してます。先月、某酒店に「赤霧島」が入荷してるという情報を仕入れ、早速買いました。最後の一本でした!ムフフ。お値段も通常の価格でお得な気分。赤霧島は芋の風味がしっかりしてて好き。基本的に芋焼酎は芋の風味がしっかりしたものが好きです。逆に黒霧みたいなスッキリ系はちょいと苦手かな。週に2,3日、一回につきロックで1杯だけのお楽しみです。
艦長日誌 西暦2007年5月7日
やっぱり9連休の後は仕事復帰が難しいです。なんというか、眠い。妙にボーっとしてます。ま、今日はリハビリ期間ってことで。そして18時には仕事切り上げ。明日から頑張るさフフン。
NHKで鉄鋼業界再編に関する番組やってました。予想される業界1位のアルセロール・ミッタルからの敵対的買収に対する新日鉄の取り組みが紹介されてました。なんかこう、市場原理を否定するつもりはないが、株式とか先物とかの仕組みは、投資ばかりが大きくなって本来の目的を大きく逸脱している感が否めません。すっかり金儲けの道具と化してしまっている。目には見えない金が右から左へ、コンピューターの上で企業の価値が増えたり減ったり・・・。なんか空しさすら感じます。いずれにせよ、日本の企業は今後どの企業も買収されることを視野に入れながらの経営をしていかなければならないということみたいです。
艦長日誌 西暦2007年5月6日
今日も昼くらいまで寝てました。起きてからはゴールデンウィーク中の旅行を艦長日誌にまとめる作業。これが結構時間かかります。かなり写真撮ったのでその中から選んで加工してってのが大変。TOPの画像も更新して一通り終了。疲れた・・・
さて明日から日常復帰。早く寝ますかね。
2007年05月05日(土) |
こどもの日 寝て過ごす |
艦長日誌 西暦2007年5月5日
あいにくの雨の天気。長旅の疲れと夜更かしのせいで、昼過ぎまで寝てた。それからもテレビ見たりネットしたり昼寝したりとぐうたらな一日。まぁ5日間思いっきり充実した日を過ごしたので、ゴールデンウィーク残り2日はぐうたら生活を決め込んでます。力いっぱい休みます。
2007年05月04日(金) |
萩散策 夕日を眺め帰郷 |
艦長日誌 西暦2007年5月4日
石見銀山遺跡の散策から大分への帰路、萩に立ち寄って散策。最初に言ったのが護国山東光寺。萩藩三代毛利吉就が建立した黄檗宗の寺院で毛利家の菩提寺。かなり広大な敷地を持ち何もかもが立派な造りです。
本堂の奥には毛利氏の廟所がある。萩藩主三代、五代、七代、九代、十一代とその夫人近親者などの墓がある。石灯籠約500基が立ち並ぶ様は圧巻。各墓所の前には鳥居があったり、神道石碑があったりするのは神仏習合の名残か。周囲は樹木に覆われ、厳かな雰囲気が漂う。
自転車を走らせ松蔭神社へ。江戸末期、松下村塾から多くの門下生を輩出し倒幕の礎となった吉田松陰を祀る。敷地内には松蔭の旧宅や松下村塾がある。本殿拝殿は改修中で摂社の松門神社に合祀中。一組のカップルが結婚式を挙げていた。
さらに足を伸ばし、城下町の国指定史跡となっている地区へ。円政寺は高杉晋作、伊藤博文らが学問を学んだという。境内には金毘羅社が残り、神仏分離を免れた珍しい例。拝殿は十二支の彫刻がある欄間を持ち、入母屋作りの二重屋根に唐破風の立派な造り。
次に菊屋家住宅へ。全国でも最古に属する町家として重要文化財。萩藩御用達を勤め、幕府巡見使の宿として本陣にあてられたとか。2000坪の敷地には主屋、本蔵、金蔵、釜場、米蔵などが残り、庭園も綺麗に整備されていて見ごたえあり。
道路を挟んで向かいにある旧久保田家住宅も見事。江戸後期の呉服商で後に酒造業に転じた。萩市が買い取って保存修復し一般公開している。端午の節句にちなみ武者よろいや兜、節句の人形などが飾られていた。
その後高杉晋作の生家などを訪問して、今回の萩散策は終了。萩も広くて見るべき場所はまだまだ沢山ある。また来よう。
国道191号を走り下関を目指す。途中海に沈む夕日を見ようと海岸で陣取るが、残念ながら水平線上に雲があり、夕日は雲に消えていった。
川棚温泉に立ち寄って湯に浸かり、下関で夕食。たまたま立ち寄った回転寿司「すし遊館」だが、ここが中々良い。全皿126円ながら、新鮮なネタと一工夫入れたメニューで大満足。我が家の回転寿司ランキングでは別府の亀正を超えました。冬になったらスキー帰りに立ち寄ろう。
大分に向けてひた走り、帰宅は深夜0時過ぎ。5日間の長旅で疲れたが、充実のゴールデンウィークとなった。
2007年05月03日(木) |
銀山街道 温泉津沖泊道を歩く |
艦長日誌 西暦2007年5月3日
旅館に1泊して、美味しい朝食をおなかいっぱい頂いてから出発。今日は石見銀山から温泉津まで続く銀山街道を歩く。温泉津駅に車を停めて電車とバスを乗り継ぎ大森まで。ここから温泉津まで約12kmの道のり。ゴールデンウィークの後半に入り、観光客で溢れる町並みを横目に、銀山川沿いの遊歩道を歩く。
龍源寺間歩を過ぎいよいよ山道へ入る。中国自然歩道でもあるのでよく整備され歩きやすい。美しい新緑の中を、小さな沢を幾度かまたぎつつ登ってゆく。
坂を登りきると峠にさしかかりベンチや案内板がある。1940年代までは茶屋がありお地蔵様が祀られていた。今は地蔵の基部だけが残っている。ここでクッキーとコーヒーで一服。
峠を過ぎると急な下り坂。ここは街道の難所降路坂。たしかにかなりの勾配で、ここを銀を乗せた馬を引いて行き来したのかと思うと苦労がしのばれる。銀山を巡る尼子氏、毛利氏の戦の舞台ともなった。往時を偲びつつ、石垣や石段の残る坂を下っていく。
勾配が緩くなりしばらくすると樹間から西田の集落が見えてくる。西田の集落は銀山道の中継地であり宿場町として栄えた。立派な石垣を持つ古い造りの家が多い。道路から結構高い位置にある民家の縁側から、お年寄りが手を振って歓迎してくれた。こちらも軽く会釈して手を振る。
集落内にある瑞泉寺に立ち寄る。二重屋根の山門を持ちなかなか立派。
集落の棚田の背後の斜面に神社が建っているのが見える。水上神社。 「ヨズクハデ」と呼ばれるこの地区特有の稲藁を干す方法を伝えたと云われる上津綿津美命と上筒男命を祀る。山の中で海の神様が祭られているのは興味深い。ヨズクハデは魚網の干し方を取り入れたものだそうで、効率的かつ風にも倒れない優れた方法なのだとか。ちなみにヨズクとはフクロウのことで、稲が掛かった姿がヨズク(フクロウ)に似ているので、ヨズクハデと呼ばれるようになった。この地区の秋の風物詩だ。神社の境内で草刈をしていた方と少しお話した。また秋に来てぜひヨズクハデを見てくださいとのこと。
西田の集落を離れ中村の題目塔を過ぎると再び山道へ。往来する馬子たちが転石に線を刻み将棋を指して休んだという将棋岩を過ぎ、一旦舗装路に出ると清水の集落。ここに金柄杓井戸がある。金柄杓井戸はその昔、ここの水の美味しさに感動した大森の代官が当時高価だった金柄杓を奉納したことによる。島根の名水百選にも選ばれ、今も大切にされている。
再び山道へ。ここから松山の集落までの区間は比較的石畳が多く残っている。福光石(凝灰岩)の石切場や石垣などもあり、銀山街道の中でももっとも往時の雰囲気が残る場所のようだ。
清水トンネルの上を通過し車道に出る。ここからは車道歩き。松山の集落では窯元がいくつかある。江戸時代から生産が始まった温泉津焼の産地。やきものの里では復元された大きな登り窯が見られる。
車道をテクテクと歩き温泉津駅まで。約5時間半の街道歩きでした。その後車で沖泊集落まで足を伸ばす。ここが銀山街道の終点で銀が積み出された港。集落内へは行かなかったが、岬の岸壁に続く道を歩いてみた。船をつなぎとめた鼻ぐり岩が多く残っている。歩いてぐるりと櫛島のほうまで。櫛島に櫛島城、対岸には鵜の丸城が築かれ防備を固めていた。往時の港の賑わいは如何ほどだったろうか。
3日間、石見銀山遺跡と温泉津温泉を満喫して大満足。まだまだ行っていない場所も沢山あるので、また機会があればぜひ訪れてみたい。
さて大分へむけて車を走らせる。途中で温泉に入ろうと思い立ち寄ったのが有福温泉。知らなかったのだが、結構有名な温泉街のようで、西暦650年頃に起源を持つ歴史ある名湯。狭い谷あいに所狭しと旅館が立ち並ぶ。3つある共同浴場のうち御前湯へ。若干白濁したお湯はぬめりがあり美肌効果抜群だとか。
夜のうちに車を走らせて国道9号から国道191号へ。山口県に入り道の駅ゆとりパークたまがわで車中泊。
2007年05月02日(水) |
石見銀山遺跡散策 2日目 |
艦長日誌 西暦2007年5月2日
石見銀山2日目。昨日は大森の街並みを半分見て時間切れになり、肝心の坑道(間歩)を見ていないので、今日は一番に龍源寺間歩へ向かう。自転車で向かうが結構遠い。徒歩だと結構きついよなこれ。ホント自転車持ってきて正解。
龍源寺間歩は正徳5年(1715年)に開発され、代官所直営の五か山の一つ。長さ600mにも及び、石見銀山では大久保間歩に次いで2番目の大坑道。この坑道を人の手で掘ったのだから、その苦労は計り知れない。
龍源寺間歩は観光用に別の坑道を掘って裏の谷へ通り抜け可能なようになっている。坑道を抜け下っていくと、佐毘売山神社がある。長い石段を登ると立派な社殿が現れる。鉱山の守り神である金山彦命を祀る。永享六年(1434)美濃郡益田(益田市)にある佐毘賣山神社からご分霊を移し祀った。拝殿の重層屋根は天領特有の形式だそうだ。
佐毘売山神社の横から奥に伸びる山道を歩いていくと、新横相間歩がある。江戸中期に開発され、五か山の一つ。立ち入り禁止だが入口から中をのぞくことができる。
大森の街並みへ戻るのに、銀山遊歩道を通ってみる。銀山川沿いの緑に囲まれた気持ちいい小道だ。道沿いに寺社跡やお墓、間歩跡、精錬所跡など見所多数。一つ一つ見て歩くととにかく時間がかかる。寺社は各宗派のものがいくつもあったようで、今では跡地のみで墓石や石塔だけが残っている場所が多いが、往時は日蓮宗だけでも五か寺あったそうだ。
ようやく大森の町並みまで戻ってくる。すでに昼を大きく過ぎている。腹は減ったがこの町では食事できる場所が少ない。焼きたてのパンを買って食べて誤魔化し、ギャラリーや町並みを見て回る。
主要な見所はある程度見て回ったので今日は早めに切り上げ。まだ見ようと思えば仙の山や山吹城跡、間歩跡などいろいろあるのだが、今日はちょっと贅沢して温泉津温泉の旅館泊まりなので、そちらへ向かう。今日泊まったのは「もりもと旅館」。インターネットで1室だけ開いていたのをなんとか予約できたのだが、思っていた以上に雰囲気の良い旅館だった。岩石狸湯と名づけられた内湯は薬師湯からの引き湯。奥の壁が自然の岩石で雰囲気良し、泉質ももちろん良し。食事も近海の海産物を中心に、豪華ではないが品数も多く美味しかった。写真のほかにも鯛のホイル焼きやサラダ、鯛のお吸い物にデザートと、おなかいっぱい大満足。
旅館の温泉とは別に温泉街を散策して元湯と薬師湯にも入り、温泉街の楽しみを満喫。いやはや贅沢な時間です。マッタリほっこり過ごし、明日は街道を歩く予定なので早めに就寝。
2007年05月01日(火) |
石見銀山遺跡散策 1日目 |
艦長日誌 西暦2007年5月1日
石見銀山遺跡への旅初日。温泉津駅で車中泊して一夜明けた朝、夜のうちにかなり強い雨が降っていたようだが、朝起きてみると晴れ間が覗いている。早速石見銀山を目指す。
石見銀山遺跡は銀山の坑道(間歩と呼ぶ)が集まる銀山ゾーンと、国指定の重要伝統的建造物群保存地区でもある大森ゾーン、そして周辺ゾーンに大きく分かれる。まずは銀山の町として栄えた大森ゾーンを散策。このゴールデンウィークから交通規制が始まり、乗用車は原則石見銀山駐車場に停めてバスまたは徒歩でのアクセスとなる。今回は折りたたみ自転車を準備、自転車で大森の街並みへ向かう。
最初に訪れたのは羅漢寺。江戸時代、銀山で働いて亡くなった人々を供養するために25年の歳月を掛けて五百羅漢が作られ、またそれを護る為に羅漢寺が建立された。羅漢像はそれぞれ違う活き活きとした表情で見ていて飽きない。羅漢像の安置された岩窟の前を流れる銀山川支流には三つの反り橋が建立時そのままに残っている。
銀山川沿いに自転車を走らせる。大森の街並みの裏側を通る感じ。新緑と石垣、大森の古い町並みが調和して美しい。
道路沿いに井戸神社がある。大森代官所の第19代である井戸平左衛門を祀る。享保大飢饉の際、西日本各地で餓死者が出る中、井戸平左衛門が私財や裕福な領民から募った資金で米を買い集めると共に幕府の許可を待たずに代官所の蔵を開いて領民に米を与え一人の餓死者も出さなかったことによる。また当時は薩摩藩から持ち出し禁止のサツマイモを苦労して取り寄せ栽培成功し、芋代官様と慕われた。代官職にあったのはたったの2年だが、領民に慕われた良い代官だったようだ。
大森代官所跡は現在、石見銀山資料館として銀山に関する歴史資料、鉱物標本などを公開している。最盛期は世界の三分の一の銀を産出したといわれる銀山の採掘の様子や鉱山を巡る歴史を見て回る。さほど大きいわけではないが結構時間がかかった。
昼食は代官所跡前にあるお店で「代官そば」をいただく。かけそばと割子そば、天ぷらがセットになっててお得です。
代官所跡のすぐ横にある城上神社へ。重層式入母屋造の拝殿が見事。内部の鏡天井には「鳴き竜」が描かれていて、この下で拍手を打つと反響して聞こえる。境内は緑が多くて清清しく、樹齢三百年の相生の松や亀石などあり。
天気が怪しくなり肌寒くなった。龍源寺をお参りしているときに雨が振り出すがすぐに止んだ。雨が止んだ隙に向かったのは熊谷家住宅。鉱山業、酒造業、掛屋、郷宿、代官所御用達などを勤めた石見銀山御料でもっとも有力な商家のひとつで、修復復元された広い屋敷とそこに収められた家財が当時の暮らしぶりを想像させてくれてとても興味深い。ここはかなり長い時間掛けてみて回った。写真は2階からの小蔵と庭の景色。
江戸時代の雰囲気を今に伝える町並みを見て回る。郵便局ですらこの町の景観に合うような造り。西性寺、観世音寺、妙蓮寺などを見て周り、町並み交流センターでは石見銀山の歴史などを伝えるビデオを鑑賞。武家屋敷の河島家住宅を見終わるころには16時を回っていた。今日は時間切れでここまで。 駐車場に戻り、温泉津温泉へ向かう。もちろん温泉目当てだが、その前に温泉津の町も散策。こちらも重要伝統的建造物群保存地区で、石見銀山遺跡の周辺ゾーンにも入っている。古き良き温泉街の雰囲気。龍御前神社裏の岸壁上にある祠から町を見渡すと、瓦屋根が立ち並ぶ素敵な景色。
町の中に点在する寺社を見て周った後はお目当ての温泉へ。今日は二つある共同温泉のひとつ薬師湯へ。明治5年の浜田大地震の時に地殻変動で大量に噴出し始めたため「震湯」の別名を持つ。若干茶褐色がかったが湯いかにも効きそうで気持ちいい。
今日は温泉津の「ゆうゆう館」駐車場で車中泊。
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