ここんとこ、ここんとこって一体何年になるだろう やる気が出ない。 家を出る、と思って実家に戻った大学卒業時。 いまだに家にいる。 家を出るという選択肢は、ときおり頭をかすめるが 決定打(の理由)がないため、ずるずると過ごしている。 母親の愚痴相手がいなくなるだとか、子育て中の地元の友達が心配だとか。 それって別に家を出るのを正当に否定する理由ではない。何かのせいにしてるだけだってことも気付いてる。
2007年01月29日(月) |
モチベーション テンション |
やる気がないときは、無理に何かをしなくてもいんじゃなかろうか。
なんて、自分に甘いはちみつの如く甘い。常に。
今日も、有楽町に行くかどうか迷ったけど、元気が出ないので行かないことにした。やる気があるときに、いっぺんにがんばれ(?こなせ?)ばいいんだって。自分にいつも言い訳してます。
あれしたい!これ観たい!とか、つよく思うことが少ない。 あまりでこぼこのない暮らし。 それが平和ぼけでしあわせなのかもしれないけれど。 まんねり ぼやぼや。 ストレスを感じては、食べ物に手を伸ばす。 ぶくぶくむっちりまたしても、体重最高記録に到達(おそらく)。 そしてそれがまたストレスとなって悪循環ループループループ!!
最近の脳内口癖。
おしゃべりな人は、表現が実際よりも大袈裟で眉唾だ。 話を聞いてもらいたくて、興味をひきたいからだろう。 いろんな人に喋るので、同じことを平気で何度も話す。 その話はもう聞きました。 本人は喋ることでもう大方のストレスは発散してるんだろうけど、 聞かされる方にとっては、そのこと自体がストレスだ。 そんな土曜の夜だった。
食べ過ぎた夜中なのに。 いつものことです。そして絶賛後悔中。 あれ昨日も後悔してなかったっけか。 思い起こせば、中学のとき初めてCDを買ったときも後悔していた。 三つ子のたましい百まで。 ほんとうに制服がきついのでまじやばいとは思っている。ストレス食いだ。いかん。と思ってるとそれがまたストレスに。ああループ。でも吐こうとは思わない。勇気がないだけです。 自分がここまで肥えるとは、ほんとう他人の身体みたいです。出た腹がへこまない。軽く妊娠してるくらいの出張り様。ズボンはきつい。スカートもきつい。体重5キロ増。それがストレスだ。
例えば、毎日3度の飯を食いすぎる。毎日。腹の皮が突っ張るまで食べる。食べないと気がすまない。満腹になるまで食べる。 食べ過ぎて胃が痛くなる。もっと食べることで治そうとする(意味がわからないけど、胃が痛くても、むしろ痛いからこそ食べ物で中和しようとする)。 夜は食べる時間が遅いのを気にして、猛スピードで食べる。大量に食べる。今日の晩飯は、お茶マグカップ1杯、水炊き(シチュー皿大盛り1杯)、きんぴらごぼう・切干大根・数の子小皿に1杯、納豆、お米パン1本(バタール程度の大きさ)、ぬれ煎餅1枚、ヨーグルトきな粉とオールブラン・野菜グラノーラ入り(マグカップ半分)、りんご半個。以上 書いてる途中で、これはおかしいと思った。食べ過ぎている。しかも食べ始めたのは午後9時。食べ終えたのは午後10時半。 今朝も腹が重くなるほど詰め込んだし、きっちり弁当+味噌汁にデザートまで平らげた昼飯の後は、もらったお菓子を3個も食べた。残さず食べた。いったい摂取カロリーはいかほどか。それを知ったら、またストレスになりますね。そりゃ肥えるよ。百貫でぶだよ。自己嫌悪。
何が外的要因なのだろ。仕事か。まあ仕事だろうな。内的要因は、自分の性格であろ。もっと別のストレス発散方法があれば。健康的に。運動しろよ。おなかが苦しい。
これだけまとまった雨は、久しぶりだ。 たまには雨もいい。 ウォーキングには不向きだが。(そして今日は一歩も外に出ていない)
一昨日の突発家族でボーリング大会により、未だに右手が筋肉痛。 長じてからは、ボーリングなど楽しくなかったが、なんやかや言われることなくできたので、予想を裏切るほどに楽しめた。やはり、ひねくれているのがいけなかったのだろう。 自分は気難しい一面もあるのだと認識させられる。
わかっちゃいるけど、休日に寝坊するとろくなことがない。 まず、朝飯が長い。 午前10時頃から昼頃まで、だらだらと食べ続け、さらに午後0時に家族と一緒に昼飯をつまむなどというのは通例になってしまっている。 冬休み、毎日のように出かけていたので、今日くらいはだらだらしてもいいか。とはいえ、今後もこのような休日を過ごすのは感心しない。いつ家を出るのかという懸念事項も、本当に漠然としか考えていない。しかし、家を出る必然性や逼迫した事情などないのだ。ただ、このままじゃ甘えたぬるま湯生活だし、減量に適さないなどという自分勝手な理由があるだけだ。環境を変えればどうにか展開するのではという楽観的な見方もある。笑っちゃうほど、お気楽なものだ。覚悟というものもないし。平々凡々な人生である。
今年は。 何かがあるのだろうか。例年になく、そんな予感がしている。ただの勘でしかない、思い込みかもしれない。 数少ない友人が人生の節目を迎えていて、それが自分にも降りかかるのではないかという期待なのかもしれない。他人は他人、自分は自分なのだが。
改めて、年末に行ったイベントでも自分について気付かされたことがある。 よいと思った人に、なりたくなるのだ。 ファッションを真似たいと思うし、自分がその仕事に就いたら、ということを妄想する。買い物に行けば同じような服がないか探してしまい、求人広告を見ればその人に関連する就職口がないか目で追ってしまうほどだ。単純だ。 他人に、誰かに、なりたがっているのだろうか。表面ばかりをつるつる滑っていて、自分を掘り下げていないようにも思う。熱中できるものも今はない。寝食を忘れるほどに、打ち込める趣味や仕事があることは、素晴らしい人生だ。今の自分には、何があろう。ふわふわただよう埃であろうか。
あまりこの日記を書かないし、振り返らない。捨て置いているのだ。また、必要に迫られてもいない。 学生の頃は、吐き出し口をここに求めていたので、毎日のように長文でぐつぐつとした暗い文章を書き溜めたいたと記憶している(消去してしまったのだが)。
ふと、久しぶりに日記を書いたので、自分のページのもくじを見ると、書き出しが2002年の節分(誕生日)だった。5年前(!)の自分。あまり変わっていないように思う。しかし、そんなに前からここを使っていたとは、改めてちいさく驚いた。
ここの他に、趣味+写メを載せられる軽い日記とミクシにも書いている。そこでは、表現が限られてしまう。ここが、一番自分の芯の部分を書ける場所だと思う。
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