a Day in Our Life
「愛は必ず、最後に勝つんです」
だから大丈夫ですよ、と錦戸は笑った。 何が大丈夫なのだろう、と村上は思う。十年以上も前に流行った歌を思い出した。そうやって少し遠い目になった村上を知ってか知らずか、けれど目の前の錦戸は、負い目も引け目もなく、涼やかに笑う。 「やけど、それは、」 村上にしては珍しくもぞもぞと中途半端に口篭もって、しかし結局は、一気に言い募った。 「俺にはヨコがおるから」 「分かってますよ」 笑い顔のまま、錦戸は即答を返した。それはやはり、すっきりと晴れやかな。 「分かってます。やけどそういうことにして、俺は生きていけるんです」
それで幸せなのだ、と言った。
***** リスペクトスピッツ。
その日は朝から体調が悪かった。 腹に鈍痛を抱えた上、その影響か眠気がひどいし、体熱で妙にふわふわする身体を抱えて、それでもついつい癖のようにいつも通りに振舞ってしまった。体調が悪い、と知らせてしまえれば楽なのに、病人ぶるのもなんとなく憚られて、それはこのグループにおいて自分が年長者に当たるからなのか、それとも単に面倒だったからなのか、そうすることで結局、余計に疲れるのは自分なのだと内心ため息をついてみたりする。 「村上くん。具合悪いん?」 そう、声をかけてきたのは内で、少なからず村上は驚いた。横山や渋谷ならまだしも、まさか内に感づかれるとは思ってもみなかったのだ。グループ内最年少の、自分から言わせればまだまだ甘ちゃんなところも、いい意味で自分本位なところも、むしろそれが内のよさなのだと思っていた。 「…ちょっとな、」 なんでもない風を装ってはみるものの、すっかり見破られているらしい。オナカ?とゆっくり目線を下げられれば意地になって隠すのも面倒になって、片手で下腹を擦りながら僅かに頷いてみせれば、大丈夫?と真顔になった内が随分と大人に見える。 「何で分かったん?」 黙って耐えるのと、誰かに話して聞かせるのと、それだけの差が何か意味があるのかと思う。けれど内に言ったことで、少しだけ楽になった気がする自分がゲンキンだと思う。 「分からへん。なんとなく」 「普通にしてたつもりなんやけどなぁ」 それを気に留めた訳ではなかったけれど、なぜ内だったのだろう、と村上は不思議に思った。 「村上くんは普通やったけどね。俺、そういうの結構分かるねん」 そう内が言うので、今まではわざわざ言わなかっただけかな、と村上は思い直した。同じABの特性として、他人との距離感が独特に見える内は、無関心なだけだと思っていたけれど、周りはきちんと見えているのかも知れないと思う。 「薬とか、貰う?」 「いや。ええよ、そこまでひどないから。我慢出来る」 気が付いたからには、と内が気を回してくれるのを、やんわりと断る村上に、我慢、という言葉が内には引っ掛かったらしい。ほんの僅かに眉を顰めて、憐れむような表情をした。 「何でやろ、村上くんは」 「ぅん?」 「周りのことはよく見えて、しんどい子は助けたるのに。自分がしんどい時は、誰にも気付かれへんねんな」 言ってゆっくり目線を動かした。無意識だったかも知れない、思い思いにリラックスしたメンバー達に視線が注がれる。それが悪いことだとは思わないけれど。気付いて貰うくせに、彼らは気付かない。 「可哀想やと思う?」 言わんとすることは伝わったらしい。或いは村上本人も、もちろんそのことに気付いていたのだろうか。 「そうは思わへんけど」 「そう。やって、わざとそうしてるんやから」 「わざと?」 痛いはずの村上が、笑ったような気がした。微笑む、というのが正しいのだろうか。そういう顔で、内を見上げる。受け取ったその視線を、どうしたらいいのか分からなくて、黙って見つめ返した。 「うん。気付かれへんように、わざと普通にしとるんは俺やから。それでええねんよ」 でも内は気づいてもぅてんなぁ、と村上が呟くので。 「気付いたらアカンかったん?」 言えば今度こそ、目に見えて笑った村上が、 「ううん。嬉しかったよ。ありがとうな、心配してくれて」
その言葉に内も思わず、にっこりと笑い返した。
***** ex.生@痛ですみません。
「ヒナ。…ヒナ、」
遠くから呼ぶ声が聞こえて、村上は深く沈んだ意識下で、ゆっくりと浮かび上がっていく自分を感じた。ゆるゆると目を開けると、完全には開ききっていない視界の中、飛び込んで来た金髪が眩しくて、また目を閉じそうになる。するとやはりヒナ、と呼ぶ声と、今までは気付かなかった、やんわりと添えられた手が、優しく肩を揺さぶる。 もう一度、ゆっくり瞼を開くと先ほどよりは幾分はっきりとした金髪の輪郭に、徐々に焦点が合ってくる。黙ってその先を見つめると、金色の前髪の間から覗いた黒眼がきょろ、と動いて村上を見つめた。吸い込まれそうなその黒い目を散漫な動きで捕らえた村上も、同じように見た目よりは大きな目を今度こそはっきりと開いて、覆い被さるようにして自分を見ている横山を見つめ返した。 覚醒した途端、驚いたように見開かれる村上の瞳に、僅かに小首を傾げた横山が、同じようにやや目を開いて村上を見遣る。 「どないしてん」 村上が日常の意識上にいたのなら、無理矢理起こしておいてどうしたもこうしたもない、と言い返したかも知れなかったけれど、眠りの縁から引き寄せられたばかりの村上は、そこまで頭が回らなかったらしい。大きく一度瞬きをして、ただぼんやりと横山を見上げる。ぽかんと半開きに開いた唇が、ゆっくりと動いた。 「…昔の夢を見ててん」 「夢?」 寝起きは悪いわけではないのに、珍しくいまだぐずぐずと眠りに落ちそうな村上が、ぼそぼそと話す言葉を、聞き取るために横山は、今よりもう少し顔を近づける。殆ど吐息がかかりそうな距離で、村上の枕元についた片肘で体を支えて、開いた片手で寝乱れた村上の髪を撫でてやる。 「ぅん。昔の俺とヨコが出て来た」 「昔の…?」 それは、どれくらい昔の俺なんかな、と横山が口ではなく頭で問い掛けた言葉が通じた訳ではないのだろうが、いまだ髪を梳く横山の指先にうっとりと目を細めた村上が、ヨコが自衛隊に入ったり、空手習ったりしてた、と言うので、あぁその頃か、と横山は納得をする。 「よりによってそんなん夢に見てたんか」 言えばようやく会話がしっかりしてきた村上が、でも今よりずっと頑張ってたで、と少しだけ笑った。 「何で、そんな夢見たん」 横山の言葉に深い意味はなかったけれど、言われた村上は、飽きず自分を見る横山の目線から逃れて、何故だろう、と考えた。 「何でやろ…昔を思い出すようなことはしてへんのやけど」 夢は深層心理を表すというけれど。昔の夢にはどんな心理が隠されているのだろう、と村上は思う。昔の横山と自分。そこには単に懐かしむというよりは、もう少し違うものがあったような気がした。 「俺が呼んだからかな?」 それを悪びれる様子はない横山が、あっさりとそう結論づけようとするのに、抵抗するわけでもなくただ、目線を差し戻す。至近距離で見上げる横山の瞳に、やはり吸い込まれそうだと思った。夢に出て来たのと同じ金髪の根元は夢と同じく少しだけ黒く伸びていて、髪が飾る肌は、あの時と変わらず白く透き通るようで。その金色の髪から見え隠れする眉が、昔に比べて細くなったくらいか。 あの頃の横山は、今より随分と太い眉のせいか、今よりずっと子供の顔で。今よりずっとシャイでおっとりしていたその表情は、けれど今でも、ふとした時に顔を覗かせる。きっと二人きりの時に見ることが多いその穏やかな横山の表情が、村上は好きだと思う。そう、例えば今みたいな。 「…何で呼んだん」 カーテンに目をやってもその先は僅かな光すら見出さない。遮光素材とはいえ、窓の外はまだ闇に沈んでいるのだろうと、時計を見ないまでも村上は当たりをつけた。そんな真夜中に、わざわざ自分を呼んで起こしたのは何故だったか。眠りの浅い横山が、夜中にふと目覚めて戯れで自分を起こしただけかも知れなかったけれど。 「さぁ?何でやろ、」 それでも、村上は思う。 それは自分を救い上げる手だったに違いない。黙って自分を見上げる幼い横山の真摯な目線から、きっと今の自分は逃れることが出来なかったはずだから。おとなしく待つその手を、きっと取り上げてしまったに違いないから。 目の前にある横山の手を取った。何、と反応を示しながらも村上にされるがままの横山の、その手に柔らかく指を滑らせる。それは、あの頃と比べて随分と骨ばっていたけれど。
今も昔も変わらない優しさで、村上を包むのだと思った。
***** きみくんとひなちゃん。
「あ、」
その日は毎月恒例の雑誌撮影の日。与えられた衣装に袖を通した村上を何気なく見遣った錦戸は、思わず声を出した。 「?何?」 口を開けて、驚いた顔で自分を見る錦戸に、何か自分におかしいところがあるのかと、村上は思わず自らを顧みる。ラーメンに入っていたネギが歯に挟まってるとか、パンツからシャツが出てるとか。髪が跳ねてるとか?けれど今日はラーメンは食べていないし、たった今、着替えたばかりの衣装はセーターだった。髪は…これからセットして貰うから、跳ねてるかもしれないけれど。しかしどうやら錦戸の目線は、そこではないらしい。というかこの、セーター? 「それ、さっき俺が着てたやつや」 錦戸が指を指した先、たった今、身につけたばかりのセーター。肩部分に切り替えのついたV字ネックの黒いセーターは、つい先程まで錦戸が着て撮影をしていたらしい。 「…そうなん?」 「うん、別の雑誌やけど。ええんかなぁ、同じ号なんやろ?」 確かに出版社が違っても発売日は同じだから、撮影も取材も一緒くたに行なわれたりもして、裏取引的貸し借りが行なわれていても不思議はないけれど。それにしたって全く別のグループでもなく、錦戸にとっては掛け持ちのユニット同士で同じ衣装って、ええんかな、ホンマ。自分にとってはどうでもいいことを思わず考えながら、けれど村上は違うことを思っていたらしい。 「なるほどそれで、亮の匂いがするわ」 「え?」 「セーター。着た瞬間、亮の匂いがするからおかしいなぁって思ててん」 幻覚とか幻聴とかはよぅ言うけど、幻嗅なんて言葉はあるんかな?俺、そんなに人恋しいんかと思ってちょぉ焦ったわ、と笑う村上が、ふと言葉を切って、意味ありげに見上げてくる。悪魔のような口角が持ち上がる。ちゃうわ、間違えた、と言った。 「人やなくて亮やんな。”亮恋しい”て言うんが正解かな」 「…っ、」 亮の匂いに包まれるって、ちょぉヤラシない? 鮮やかに笑ってみせた村上に、やられた、と思った。本当に錦戸の残り香に気付いたかなんて村上にしか分からなくて、そもそもきつい香水をつけている自覚はないのに、そんなものが残っていたかどうかもどだい、知る術はないのだ。だから村上がそう言って笑ったからと言って、信じてはいけない。飲まれてはいけない。 「村上くん、撮影始まりますよ」 それはじり、と片足で一歩を後退しかけた錦戸を、救ったのかどうか。のんびりとした大倉の声が聞こえる。あぁ悪い、今行く、ともうそちらに目を向けた村上が、ほな行ってくるわな、とセーターの襟首を直す仕草すら、意味があるように思える。行ってらっしゃい、の言葉が果たして言えたかどうか。気がつくと村上と入れ替わりに、大倉の姿があった。 「亮ちゃん、かなりキたやろ今」 「……うるさいわ、ボケ」 果たしてどこまで聞いていたのか、のんびりとした大倉の笑い声に錦戸は、思い切り顔を顰めた。
***** W誌ネタ。
2004年11月04日(木) |
スノースマイル。(横雛) |
「やから、冬は嫌いや」
合わせた両手に息を吹きかけながら、横山がボヤく。日中はまだ暖かい日が続くとはいえ、朝夜は随分と冷え込んできた。今、ラジオの仕事を終えた二人が局を出る頃には、漆黒に沈んだ夜が、しんしんと空気を冷やす。 何度息を吹きかけても温もらない両手に、諦めたように横山が、その手のひらを今度はジーンズに擦りつけた。それで気休めになる訳でもないのだろうけれど、そうでもしなければいられないらしい。今からそんなことでどうするのだろう、と村上は、ちらりと隣を歩く横顔を盗み見る。それでいて手袋やマフラーや、防寒着と呼ばれるものをおよそ横山は身につけることがないのだ。思えば真冬でも随分と横山は薄着で、それで寒いと文句を言う。 「そうかな?俺は好きやで」 「何が」 いっそ楽しげに呟いた村上の言葉に、不機嫌そうな横山の声が返る。不機嫌な横山が不機嫌な声そのままで当たる相手は限られていると思うから、本当はそれだって、呆れたり困ったりすることはあっても、嫌だと思うことは少ない。 「冬。俺は好きよ」 「…物好きやな」 「そぅ?やって、」 言って村上は、おもむろに自分の右手を持ち上げて、隣の横山の左手を掴んだ。するりと滑るように握り込む。咄嗟のことに驚いた横山を見て、にっこりと微笑んだ。 「冷たいヨコの手を繋ぐ理由になるやろ?」 村上のその微笑みと同じくらい、その手は暖かくて。自らの息よりもジーンズの生地よりも、比べようがなく横山の手を温める。 「……アホやろ、おまえ」 口を尖らせた横山は、それでも決して振り解くことはない。それでいてちょっとだけ、ほんのちょっとだけ冬が嫌いではなくなったかも知れないと横山が思ったことに、村上が気付いたかどうかは分からなかった。
***** バンプリスペクト。
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