a Day in Our Life
「珍しなぁ、」 「何が」 唐突に始まった会話の流れで、黙って指差した先に、小さなニキビが出来ていた。 「ヨコのニキビなんて、久し振りに見たわ」 また不摂生でもしたんやろ、と軽く笑われる。 「どやろ、いつもと変わらんのやけどな」 毎日不摂生やと言えばそうやし、それやからそれだけが問題って訳でもない思うけどなぁ。まるで他人事のように呟く横山は、だからと言って生活習慣を改めるつもりはさらさらないらしい。それも今更だ、と村上は口を出すつもりもないけれど、それにしたって体が資本の仕事なのだから、少しくらいは気を使っても罰は当たらないんじゃないかと思う。 「それも、今更やろ」 俺、この事務所入る前からこんな生活やけど、大きな病気もしたことないし。ええねん、日々が楽しければ。あっさり笑う横山は、ある意味では刹那主義なのだろうと思う。村上は、それが少し、怖いような、それでいて安心するような。そういうところをひっくるめて横山裕という人格なのだから、仕方がないのかも知れない。 「ていうかな、これ、おまえのせいやで」 「俺?」 急に矛先が向けられて、村上は目を瞬かせる。 「昔から、言うやろ」 思い、思われ、振り、振られ。 青春の象徴ともいうべきニキビを、その出来た場所によって選り分けて。そうやって指差し意味をつけた。曰く、 「思い、思われ、やからこれは思いニキビやねん」 村上から見て、顔の左側。目の下のちょうど頬骨の部分に小さく赤い吹き出物があった。それは横山の思いの詰まったニキビなんだという。それを村上のせいにする横山の言葉は、婉曲が過ぎて実感が湧かない。 「えぇ、でも」 それでも僅かに微笑んで、村上は人差し指を持ち上げる。 「思い、思われ、違うかった?」 ぴんと直角に立てた人差し指を、横山の頬に当てる。向かって右側から思い、思われ。横山の赤い印を指した言葉は、「思われ」ニキビではないかと村上は言う。 「ちゃうやろ、思い、思われやって」 今度は横山が人差し指で、村上の頬を土台にする。「そうやったかなぁ?」頬に当たる横山の指をちらりと見下げて、僅かに首を捻る。聞かれた横山も自信はなくて、お互いに、どっちやったっけ、と答えを見出せない。 「まぁ、どっちでもええわ。…どっちにしろ、」 一度言葉を切る。頬に触れる指を離して、覗き込むように視線が降りてくる。 「間違うてへんやろ?」 自信たっぷりな目線に捕らえられる。それは持って生まれた横山の美貌が、一番華やぐと思われる瞬間。 「…まぁ、な」 その視線を逸らすことなく挑戦的に見上げる村上の表情も、また。
***** 思い、思われ、振り、振られ。要するにどっちでもいいんです。
「ヒナ!事故ったって、ホンマか!」 ドアを開けた瞬間に開口一番でそう問われると共に、ひどく切羽詰った横山の顔を見た。 「あぁ…うん。なんで知ってるん?」 「そんなんどうでもいいねん!怪我はないんか?大丈夫なんか?」 「見ての通り、ピンピンしとるよ…なぁヨコ、落ち着けって、」 「落ち着いてなんかいられるか!」 横山の剣幕に村上は、びくりと肩を強張らせた。横山の怒鳴り声なんて、久し振りに聞いた。今にも噛み付かれそうで、知らず一歩後ろに後退する。そんなことには気付いていないであろう横山は、それでも感覚として、後退した分を確実に詰めて来た。 「…何で連絡してけぇへんかってん」 さすがに興奮しすぎたと思ったらしい。大きく息を吐いて、気持ちを鎮めた。 「色々せなアカンくて。警察呼んだり、保険屋に電話したり。俺も初めてのことでテンパってもぅて、マネージャーさんに電話入れるだけで精一杯やった」 ごめん、と呟いた。 「心配してくれたん?」 「……するに決まってるやろ」 「そぅ…そうやんな」 不機嫌を露にした声で、俯いてしまった横山の、つむじのあたりを見つめた。また、ひとつ息を吐く。きっとマネージャー経由で話を聞いて、今までずっと心配してくれていたのだろう。状況を知らされずに事実だけを聞けば、心配するのも無理はない。 「軽い物損だけで、ホンマに大したことなかってん。車もちょっと互いに傷いっただけで、トラブルもないし、大丈夫やった」 俯いたままの横山にひとつひとつ、説明をした。まるで自らの不実を補うように。余裕がなかったのは確かにあるけれど、こんなにも心配させてしまったのは間違いなく、自分のせいだった。 「…ごめんな」 同じように俯いた。深く頭を下げて、起き上がると横山の顔があった。もう怒ってはいない。変わりに随分と、情けない顔をしていた。その顔が、やっと安心したかのようにゆっくりと歪む。最後に一度、深く息を吐いた。 「ホンマに、勘弁してくれ」 こんなこと金輪際せんといて、って小さく呟いた。事故ったなんて聞かされて、俺がどんな思いをしたか。こんな思いは二度と御免や。 その顔が、あんまり情けなくて必死だったので、場も忘れて村上は、思わず笑ってしまった。 「…笑うなや!」 顔を赤くして横山がまた怒鳴るけれど、迫力に欠けてそれすらが笑いを誘う。ごめんごめん、と謝りながら止まらない笑いが顔中に広がって、それは随分と幸福な笑い声だと思った。 「ホンマに、ごめん」 それから、と続けた。 「ありがとぉ」 微笑みかけると今度こそ完全に真っ赤になって、横山が絶句する。そんなに愛されてるなんて、知らんかったよ。 言うとアホかって返されたけど、否定はされずに。 ぷい、とそっぽを向きながらついでにように「覚えとけ」ってぼそりと呟いた横山の横顔をきっと、忘れないでおこうと思った。
***** 事故ってもタダでは起きないオタク…。
からかうように何度も鳴らされた呼び鈴に慌てて玄関へ向かって、ドアを開けた瞬間に村上は、顔を顰めた。 「ぅわ、酒くさっ!」 玄関先で上機嫌に笑う横山は、どこからどう見ても気持ちよくへべれけになっていた。ふわふわとおぼつかない足取りで、出迎えた村上に抱きつく。 「ちょ…なん、ヨコ!」 「ヒナちゃ〜ん!たらいま〜〜!」 もはや舌すらまともに動かない有り様で、全体重で圧し掛かってくるのを辛うじて受け止めた。夜も更けた時間帯に大声で喚かれては近所迷惑だ、と半ば引きずるようにして何とか部屋の中へ運ぶ。忌々しげにソファに落とそうとするも、蛸のように巻きついた腕が離れない。アルコールの匂いを露骨にさせながら、至近距離で唇が動く。 「あんね〜今日はぁ、めちゃめちゃ飲んで来てん」 「ほんなもん聞かんでも分かるわ」 「ビール5本とぉ〜日本酒一升とぉ〜〜あとウィスキーとブランデーも飲んだ」 「おまえなぁ、いくら奢りやからって」 「やってタダやも〜ん、飲まな損やん。ヒナちゃんもタダ酒好っきやろ?」 「そら、好きやけど」 つい一々答えてしまって、会話に終わりがない。今にもキスをされそうな至近距離。そこから強烈に匂う酒の匂いに、精気を吸い取られそうな気さえする。 「ちょ…ほんまおまえ臭い、臭いねんて!離れろって!」 「臭いんはヒナちゃんのキャラやろ〜」 「やから俺はそない臭ない言うねん!」 バシ、と突っ込みがまともに入って横山の動きが止まる。あれ?と思った途端にまた頭が動いて、あっと言う間に唇が迫った。 「ちょー待て、待て待て!」 間一髪で手を差し出して、押し戻す。ぐいぐいと押されながら不満げな横山が、口を尖らせた。 「え〜〜ちゅ〜しよぉやぁ〜〜」 「イ・ヤ・や!」 「ほなエッチしょ?」 「それもイヤ」 「ヒナちゃんのケチ〜!」 けちーけちーと言いながら、何度でも唇が迫る。完全に酔っている横山は、絡み上戸になっているらしかった。これはマズイ、と経験が判断する。 「なぁって」 「いやや言うてるやろ」 「俺はいいの」 「俺はいや」 「俺はしたい、したいぃ〜!」 べたべたと引っ付く体が、熱を帯びていた。ずっと絡んだ体勢で、もはやそれがどちらの体温なのかも分からない。酔っているくせに結構な力でぐいぐいと迫ってくる横山に、堪らず村上が悲鳴をあげる。 「ちょ、おぃヨコ、ヨコって!」 「聞こぇませ〜〜ん」 横山の酒臭い息が頬にかかった、と思った瞬間、 「ちょー待て横山、コラァ!」 叫び声と共に、火事場の馬鹿力的勢いで、横山を突き飛ばした。拘束されていた体がやっと離れて、村上は、やや荒い息をつく。ぽかんと間抜けな表情をした横山が、その村上を見つめる。 「そんななぁ、酒に酔うた勢いとかですんのはイヤです」 「……ごめんなさい」 素直に謝った横山が、しょんぼりと項垂れる。いつになく殊勝なその態度に、内心で村上は笑う。 「まずは風呂入って、その酒臭いん落としてき。そしたらしたるわ」 「…え?」 してもええのん?と真顔で聞き返す横山が、可愛らしく見えるから末期だと思う。 「ええよ。明日は打ち合わせだけやし、付き合うたる」 やから風呂、入っといで、と風呂場を指差すとぶんぶんと頷いた横山が、俊敏な動作で踵を返す。さっさと向かいながらふと、振り返って、 「ヒナちゃん」 「ん?」 「一緒に、」 「俺は、もうさっき入ってきれいやから結構です」 「…そぅですか」 それだけでおとなしくバスルームへと向かう横山の、猫背気味の背中を見遣りながら、アイツほんまに酔うてんのかな、と村上は苦笑した。それから立ち上がり、寝間の用意を始めた。
***** 酔っ払い横ちょ。
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