おーのの育児日記

2007年01月21日(日) ボーケンジャー

クリスマスにサンタさんからもらったプレゼント。
晃太朗の大好きなボウケンジャーのロボット達。
晃太朗は毎日組み立てたり分解したり、訳のわからない母に「ここが伸びるんだよ」「くるりんとなるんだよ」と細かく説明してくれ「ほら、お母さんもやってごらん」「上手にできたね」と指導。
母は何度説明されてもわからず、いつもフンフンと聞いてはいるけど名前も覚えていない状態。
晃太朗は片付ける時は、ちゃんと元通り、箱の中に入れて、箱もきれいに並べて片付けます。
何度も出し入れしているので箱は破れてしまっているけど、破れるたびにセロハンテープで修理しています。
何が楽しいのよ、と母は思いますが、旦那様は子どもの頃の自分を思い出させるらしくニコニコしながら見ています。

我が家は子どものおもちゃはクリスマスと誕生日に買うだけ、と決めているので来月の晃太朗の誕生日が過ぎるとクリスマスまでおもちゃはしばらく増えません。
晃太朗はお誕生日にはさらにもう一体、ボウケンジャーのロボットがほしいと言っています。


そう、晃太朗は知らないのです。


5歳の誕生日の二日前には次の戦隊シリーズが始まることを・・・


だからこうちゃん、もうボーケンジャーのおもちゃは作ってないし、売ってないのよ・・・(涙)



2007年01月20日(土) 初めての歯医者

はなの、生まれて初めての歯医者(フッ素)に行きました。
1歳6ヶ月検診で歯科検診とフッ素は経験あるものの、大泣き→嘔吐でよい思いでなし(本人の記憶には残っていないと思う)
保育園で歯科検診の経験はあるものの、歯医者さんのあの独特のにおいと雰囲気に、彼女はどう反応するのか楽しみであり心配でした。

案の定、初めての場所・人は苦手の様子で、診察台に座ってもピクリとも動かず、歯科衛生士のお姉さんが優しく「お口開けてね」と言っても、唇を真一文字に結んだまま、一点を見つめておりました。
そこの歯医者さんは、決して無理に子どもの口を開けたり治療したりしないので、お姉さんは花奈乃の口を開けずに歯医者さんを呼びに行きました。
歯医者さんは優しく、優しく花奈乃に語りかけ、口を少し開けると大袈裟に褒めてくれ、なんとか歯のチェック終了。
虫歯はなしで次はブラッシング指導。

お姉さんが新しい歯ブラシを持ってきてくれ「はなのちゃーん、歯磨きしてみようね」と言っても歯ブラシを握りしめたままで一点を見つめ動かない花奈乃。
私が歯ブラシを持って磨こうとすると、ようやく口を開いて歯磨き開始。
「上手ね」「えらいね」と褒められ、ようやく表情が柔らかくなりました。

次にフッ素。
お姉さんは「りんご味だよ」と花奈乃にフッ素のにおいを嗅がせてくれました。
花奈乃はにおいを嗅いでちょっと笑い、おとなしくフッ素をぬってもらいました。
最後に歯ブラシをもらって満足そうな花奈乃。
家に帰ったらこれで歯磨きするーと言い、車の中でもずっと握りしめていました。

初めてにしては上出来かしら。



2007年01月18日(木) 今度は晃太朗

胃腸風邪のはなさんがやっと復活!
今日から保育園に行ったと思ったら、昼頃保育園から電話。
今度は晃太朗が発熱です。
下痢もないし吐かないので、花奈乃の風邪がうつったわけではなさそう。
迎えにいったら案外元気で、食欲もあるし、ゲラゲラ笑ってるし。
こいつ、ほんとに熱があるのか?と思って測ってみたら37.8度。
晃太朗にとっては微熱です。

木曜日はいつもの小児科は午後は休診なので、このまま家で様子を見て、熱が下がれば明日は保育園かな。
咳が出るのが気になるけど・・・



晃太朗に「お母さんは王様だね」と言われました。
私はそんなに横暴か!?と思って「どういうこと?」と聞いてみました。
「だって、お母さんは赤ちゃんを産むから!人間の王様」と晃太朗。
ますます意味のわからない私。
「蟻も蜂も女王様が卵を産むでしょ?」
にこにこしながら教えてくれました。
なるほど〜〜〜。
納得の母です。



2007年01月16日(火) 納豆

せえこさんのブログにも書いてあったけど、スーパーから納豆が消えています。

花奈乃は胃腸風邪で保育園お休み中。
昼寝をしている間に、こっそりドキドキしながら買い物に行きました。
いつものおかめ納豆が高くなっている〜〜。
いつも3パック78円なのに・・・100円以上になっている〜〜。
前日までは消えていた納豆たち。
私は納豆嫌いなのでどうでもいいんだけど、晃太朗は朝食に納豆がないとだめなのよね。
でも、その隣で3パック68円の納豆を発見!
からしも無添加〜〜。いいじゃん、いいじゃん♪
納豆買って帰りました。


不二家のお菓子も消えてるね。
カントリーマァム好きなのにな。
ホームパイも好きなのにな。
ペコちゃんキャンディーは子ども達が好きなのにな。
今は買う気にはなれないけど、このまま無くなるのは寂しいです。



2007年01月13日(土) 嘔吐・下痢

はなさんが昨夜から吐きまくり。
今日は熱出して下痢です。
胃腸風邪だそうです。

私は朝から保育園の資源回収のお手伝い。
新聞紙や雑誌、ダンボールなどを集めます。
かなりな力仕事に妊婦参加で、周りの人達も「帰ってもいいよー」と言ってくれたけど、前日、役員会の会長さんに参加するように頼まれてしまって・・・
前回は晃太朗が朝から吐いて参加できなかったし、次の機会は産後で赤ん坊連れだとやっぱりできないだろうし、やるなら今回だと思って参加しました。
でもやっぱり気を遣わせて申し訳なかったなあと思ってみたり・・・

はなさんは旦那様が小児科に連れていってくれました。
でもポカリ飲んでも吐くし、食べても吐くしで薬は一日飲ませられず、吐いたものの後始末と洗濯に一日中追われて過ごしました。



2007年01月10日(水)

三連休に住宅展示場を二ヶ所まわった。
休日に○○レンジャーショーがあるような大きなところじゃなくて、その会社だけの展示場。
旦那様は建てるならここ!という会社をもう二社決めている。
私もどちらかにお願いしたいと思っている。

迷うなあ。
どちらも一長一短。

片方のいいところはもう片方にはなく。
いいと思う会社の足りない部分がもう一社にはある、という感じ。

旦那様母が運勢をみてもらった結果、年内中に建てた方がいいということだったのでその方向で動いているけど(来年の運勢は最悪なんだそうだ。今年もよくはないけど、晃太朗の就学のことがあるのでしかたない)
出産までに契約までは済ませたいので、気持ちばかりが焦ってしまう。

今週中に、二社とも旦那様実家を見に行って、今月中にはラフプランを出してくれるらしい。
それにしてもお金がかかることなんだね。
うれしさ半分、大変さ半分。
しかも敷地内別居・・・今年の春には旦那様父は定年退職だし(働きに出されるらしいけど)
やっぱり夜はしっかり眠れません。
妊婦だから余計眠れません。

気分転換に、住宅雑誌を眺めたり少しずつ荷物を減らしていったりしてみても頭の中は家のこと、実家のことでぐ〜るぐる。
実家両親はあれ以来何も言ってこないけど、疑り深い私は何かあるんじゃないかと余計な気をまわしてみたりしている。

旦那様は「僕は自分の親や鈴鹿の親の味方じゃない。僕は君の一番の味方だ」と言って泣かせてくれる。
今はその言葉を信じて、自分にできる事をやるだけなのかな。



2007年01月02日(火) 新年に毒を吐く

去年のGWに実家母(美智子)と喧嘩して以来、一度も会わず、会話もなし。
時々連絡程度の業務用メールは送るものの、余計な言葉は一切なし。
あちらからはフレンドリーなメールが送られてくるけど、送信元に美智子の名前を見た瞬間、私は激しい嘔吐を繰り返したわよ。
電話のナンバーディスプレイに実家の文字を見ると、心臓ドキドキバクバクだし、友達には「病んでいる」と言われているけど、どうしたって体が反応してしまう。

この正月も実家に帰るつもりは毛頭なく、もちろん出産のための里帰りもしない。
赤ん坊の顔を見に来るのもやめてほしい。
とにかくそっとしておいてほしい・・・

と、思っています。

子どもの頃から「私はあなたを育てた覚えはない。あなたを育てたのはおばあちゃんだ」と言われ続け(実際そうだったし)それには「まあそうか」と思っていた。
祖母と母とのことを見て育っているから、母には同情もするし理解もあったと思う。
でも、自分が母親になってみて、この一言は「ほんとは言っちゃいけないよなあ」と思うようになった。
それでも聞き流していたんだよ、私は。

花奈乃が生まれてから、またこのことを言われた。
そして続けて言われたのよね。

「妹を育てるのは本当に楽しかった。毎日が充実していた」

それってどうなんだ。
そう思ってしまうことはわからないでもないけど、娘に(私に)直接、しかも笑顔で言っちゃいけないんじゃないのかい?

それでも私は怒りを押さえたよ。
我慢したよ。
でもそれがいけなかったのかもしれない。
結局、去年のGWに積もり積もったものが溢れて切れちゃった。

今まで喧嘩しても、それはお互いを理解し合うためのものだったと思う。
でも、今回は違う。
もう、母に私の気持ちをわかってほしいと思えなくなったし、母の事情をこれ以上察して我慢するのはやめたいと思った。

だから距離を置いて、置きまくって様子をみた。
さすがに7ヶ月もほぼ音信不通状態で、美智子も何かを感じていたかと思っていた。


そう、私は甘かった。


大晦日、旦那様実家で餅つき機でお餅つき。
何気ない会話の中で「鈴鹿に帰るの?」と聞かれ笑顔で「帰りません」と答える私。
旦那母は気を遣ってか「お母さんも寂しいだろうし、来てもらったら?託けたい物もあるし」と言ってくれた。
毎年恒例のシクラメンとミカンらしい。
同居を前に、いい嫁を演じたい私は「は、はい・・・」と言ってしまった。

自宅に帰り、実家に電話する私。
低い声、しかも用件のみで電話を切る。

2日か3日の午後にくる、とのことだった。
1日、「明日の11時くらいに行きます」とメール。
午後だって言ったのに・・・
昼の用意をしろとのことらしい。
うちの近所のスーパーは、昔かたぎで新年は5日からしかやってない(青果市場が5日からだかららしい)
しかも2日の午前中は私、用事があるんだけどな。

元旦は緊張と嫌気でなかなか寝つけず、朝は4時に目が覚めて眠れなかった。
今日もやっぱり朝早くに目が覚めてしまった。

仕方がないので早起きして、身支度をすませ、昼食の用意をする。
掃除・洗濯をし、家族の朝食を用意して、9時半に一人で出かける。
旦那様には「このまま帰らないかもよ」と冗談を言ってみたりもしたけど、半分本気なのはわかっているみたい。

出先でシュミレーション。
正月なんだし、久し振りなんだし、喧嘩なんかしないでできるだけ笑顔で接しよう。
旦那様実家敷地内に家を建てることも話さなくちゃいけない。
結婚前から反対していたから(特に美智子が)旦那様から話させるわけには行かない。
私が言わなくちゃ。

頭ぐるぐるのまま、帰宅。
昼食の用意を再び始めていると、いきなりドアがあいて「こんにちは〜〜」
と能天気な声。
心臓がビクンとなった。
晃太朗と花奈乃はうれしそうに出迎えていた。
この人は相変わらずチャイムを鳴らすとか、返事があるまでドアの外で待っているということをしない。
それにイラッとするけど我慢、我慢。
「あけましておめでとう〜〜。こうちゃ〜ん、はなちゃ〜ん」
ああ、この声を気持ち悪いと感じている私は何!?

年末、実家から届いた荷物は、受取人が晃太朗と花奈乃になっていたけど、晃太「朗」は晃太「郎」になってた。
まあこれは許そう。誰もが間違うことだから。
でも花奈乃は「花奈子」になっていた。
これって根本的に違うんじゃない?
さらにカードに、年末歳暮に送ったシンビジウムのお礼が書かれていたけど、シンビジウムが「シンポジウム」になっていた。
娘の事を「貴女」なんて気取って書いているくせに、この間違い。
旦那様は「これは・・・痛いな」と笑ってくれたけど、私はもうあきれて笑えない。

玄関にドカンと置いてあった旦那様実家からの荷物、野菜やらミカンやらを見て「これ、もらってくの?」と美智子。
「あ、これはいらんわ。こっちもいらん。それよりそっちのキウイちょうだい」

この人は変わっていなかった。
というか、磨きがかかってた。
うちは八百屋じゃないのよ。
そりゃ、もともと料理する人じゃないから、野菜もらっても仕方ないんでしょうけど。
隣で祖母(美智子母)が「せっかく用意しといてくれたんやし・・・」と言っているのも耳を貸さない。
私の青筋に気付いたのか、祖母は「○○にあげればいいし、もらっていこう」と気を遣って言ってくれたけど、私は「迷惑やったらいいです」とさっさと美智子がいらないというものを片付けた。

満足そうな美智子は、荷物を旦那様に持たせて父の車に運ばせた。
でも、父の車は離れたところに駐車したから、旦那様はうちの車の荷台にとりあえず入れてくれた。
自分は孫とのご対面に大忙し。
その後「これ持ってきたんやけど」とお肉を出した。
私は「今手が離せないから、そこに置いといて下さい。冷蔵庫は勝手に開けないで」と言ったら「わかった」と冷蔵庫をあけ「どこにいれよう?」

娘家族の家だから自分の家のように振舞うんだよ、と旦那様は言ってくれるけど、旦那様母は出かける前に必ず電話。
チャイムを鳴らし、外で待つ(こんなの当たり前だよね)
しかも旦那様母は私に気を遣って、絶対家にはあがらない。
私が誘っても「お茶しておしゃべりするタイプじゃないから〜〜」とさっさと帰ってしまう。
息子家族の家でも、他人がいればよその家。
親しき仲にも礼儀あり、なんだと美智子に誰か言ってほしい(私は散々言ったけど、意味不明って感じで聞いてもらえなかった)

私はすっかり笑顔をなくし、事務的にお茶をいれた。
もう、作り笑顔もできそうにない。

あきれたことに、美智子は私が7ヶ月間避けていた事を「妊娠のせい」だと思っていた。
お盆に帰らなかったこともかい!
その時は妊娠してなかっただろうが〜〜〜。

確かに、今回の妊娠は、初期に出血が何度もあったりつわりも一番厳しくて大変だったけど。
その事を知っていても「来週遊びに行ってもいい?」とのんきなメールを送ってきてたのは美智子だけど。

もういいや。勘違いしたかったらそれでいい。

結局、家のことは旦那様が話してくれた。
両親は何にも言わなかった。
突然だったし「建てようと思っている」じゃなくて「建てることになった」と言ったので、すぐに反対できなかったんだと思う。

晃太朗のことは話す気がなかったんだけど(母本人が理解していると思っていても、無理解な言葉が出てくると思ったから)旦那様がそれも話してくれた。
内心「それは言うなよー。何言うかわからんぞ、この人は」とヒヤヒヤしてた。
旦那様が晃太朗の事を「アスペっぽい」と言ったので「いや、こだわりはそれほど強くないから、広汎性発達障害に近いのかもってお医者さんは言ってたよ」と付け足したら、美智子はフンフンと頷いて「そう、こうちゃんはこだわりが他の子より強いのかな」だって。
全然人の言葉を聞いてない。

帰り、車の荷台に入れておいた野菜とミカンを旦那様と私に運ばせ、自分は孫とのさよならに大忙し。
「ごめん」も「ありがとう」もなし。
さようなら。もう会いたくない。
赤ん坊が産まれても、私は連絡しない。
ただでさえ産後の不安定な時に、あえて自分が苦しくなるようなことはしない。
私は自分で選んだんだ。
自分の親子関係より、旦那様と子ども達との今の家族のほうが大事なんだ。

父の車を見送りながら、旦那様実家の敷地内に住むようになったら、今以上に会わずにすむようになるのかなあとぼんやり考えてた。

後日、旦那様母に野菜とミカンのお礼を言ったら「もっとゆっくりしていけばいいのにね。晃太朗たちと会いたいだろうに・・・」と言ってくれた。
義母はよくできた人だと思った(今だけかもしれないけどね)




前日、美智子から電話がかかってきて「今から福袋買うんやけど、サイズ教えて」と言われていた。
私はいらないと答えたけど、美智子は持ってきた。
いらないのなら拒否できるんだよね。
相手の好意なんて気にしなくていいんだよね。
拒否したことが相手にわからなきゃそれでいいんだよね。
次の日、私は子ども服の福袋をそのまま押入れにしまいこんだ。



2007年01月01日(月) 新年

あけましておめでとうございます。

大野家は昨年色々ありました。
でも今年はもっと色々ありそうです。

まずは出産。
5月末の予定です。
今のところ順調で、性別は不明。
私はどっちでもいいけど、旦那様は男の子がいいそうです。
晃太朗は「男に決まっとる」と言い切っています。
花奈乃は「おんなここがいい!」と言っています。

それから年内中に家を建てることになりました。
場所は旦那様実家の敷地内。
色々抵抗を試みていましたが、晃太朗のこともあって折れました。
来年3月に引越し予定です。

というわけで、今年も慌しくなりそう。
よろしくお願いします。


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